創作落語声劇『富士見酒』ロングVer.
【登場人物】
■ 一八(いっぱち)/枕:小間物屋店主。酒呑み。さくらに店をまかせっきり。元男芸者。いい男。
■さくら:酒呑みの亭主に少々手をやいているが、一八に惚れこんでいる。
一八は小間物屋店主だが、酒呑みで、さくらに店をまかせっきり。そんな亭主に手をやいているさくら。なんとか心を入れ替えさせたいと一芝居うつことに。
※枕は適当にアレンジしてください。
※アドリブ可
----【枕】--------------------------------------------------------------------
日本を象徴する山といえば「富士山」
日本一高い山としての存在感や、美しいシルエット。
現在、富士山がみられるのは稀ですが、よく晴れた日など場所によっては富士の姿を見ることはできますね。やはり富士山が見えると、気分も大変高揚いたします。
江戸の人々にとって、富士は身近な、大きな存在でした。かつて富士山は、関東平野のいたるところから望め、人々は日常的に手を合わせたそうです。浮世絵師たちが江戸の町とともに描き出した富士山が、大きく描かれていることは、江戸人のこのような心情を反映しているようです。
さて、桜を見ながら呑む酒を「花見酒」、月を見ながら呑む酒を「月見酒」と言いますが、富士山を見ながら呑む酒を「富士見酒」……だと思っている方も多いかもしれませんが、本来は別の意味で使われていた言葉でして、この「富士見酒」という言葉の起源は江戸時代までさかのぼります。
兵庫県神戸市にある「灘五郷(なだごごう)」は、「日本一の酒どころ」といわれる場所。
江戸時代、酒の本場である灘(なだ)で作られた酒は上質と言われ、当初、馬で江戸まで送られていましたが、次第に船で運ばれるようになり、江戸に下るという意味で「下り酒(くだりざけ)」と呼ばれていました。
富士山を見ながら江戸まで運ばれてきた酒は、馬の背や船の上で程よく揺られ、酒樽(さかだる)の吉野杉の香りが移ることで、とても美味しいお酒になり喜ばれたとか。
そして、江戸で売れ残った酒はふたたび灘に戻されたのですが、出荷する前よりも丸く、木の香りのするお酒に進化したことで「富士山を見て戻ってきた酒はうまい」と評判になり、「富士見酒」と呼ばれ人気が出たそうです。
江戸時代の人が馬や船で運んだという「富士見酒」の美味しさ味わってみたいものでございますねぇ。
----【枕ここまで】--------------------------------------------------------------------
―店の外にいるさくら
さくら:いやぁ、今朝も富士山がよく見えるねぇ。
「今日もよろしくお願いします」と(手を合わす)
―うちの中から様子をうかがう一八
一八:おぅ、何やってんだ?
さくら:ええ?富士山に「商売繫盛」をお願いしたのさ。
一八:「富士」?
おお、今日もいいお姿だ。
天気もいいし、気持ちがいいじゃねぇか。
さくら:これは、北斎、広重あたりの富士の絵が売れそうだねぇ。
あとは富士山の手ぬぐいや煙草入れ、着物、櫛やかんざし……と。
お前さん、客の呼び込みお願いしますね。
一八:桜も咲いて、いい景色だ。桜に富士山……。
おい、こいつぁ商売どころじゃねぇぞ!
花見だ、花見酒だな。
さくら:なにいってんのさ!
ことあるごとに呑もうとするんだから、油断も隙もありゃしない。
一八:じゃあ、客に一杯ふるまうってのはどうだい。
灘(なだ)の酒なんか出したら、そりゃ客も喜ぶだろうよ。
さくら:そんなこといって……。
「旦那もどうぞ」
「へぇ、恐れ入ります。それじゃ一杯」なんてやるつもりなんだろ?
一八:「どうぞ」って言われたら、断れねぇだろ?
おぅ、看板だしとけよ
「居酒致し候(いざけいたしそろ)」ってな。
さくら:(ため息)はいよ。
一八:しかし、富士はよ、遠くから見てるから「いいねぇ~」と思うんだ。
実際いってみろ。岩やら石っころばかりだぜ?
さくら:行ったことあるのかい
一八:あるわけねぇ
さくら:山にのぼるようなタマじゃないもんねぇ
一八:タマはあるぞー
さくら:どこに?
一八:こーこ!
さくら:あら、そ。
富士の話なんですけど?
一八:あ?そうだった。
お怒りになって、噴火されたらひとたまりもねぇ。
「宝永(ほうえい)の大噴火」
とかな
江戸も、昼間から大量の灰が降って真っ暗になったらしいじゃねぇか。
さくら:そうらしいねぇ。たくさん亡くなったとか。
ああ、怖い怖い。
やっぱり、拝んどかないと。
一八:いつ機嫌を損ねるかわかんねぇ、女みてぇなもんだな。
さくら:なんだって?!
一八:ああ、雷様のお怒りだぁ。くわばらくわばら!
さくら:ちょいと、からかうのもいい加減におしよ!
いいから、品出しか、お客さんの呼び込みか、どちらかやってくださいよ。
一八:面倒くせぇなぁ。
さくら:はぁ?
一八:そう青筋立てんなって。皺が増えるぜ。
さくら:もう!
一八:ま、富士山に登る信仰のあつ~い皆さんがおいでなさるんだ。
ありがてぇことじゃねぇか、ええ?
さくら:ああ、二十人から三十人でいらっしゃる「富士講(ふじこう)」だろ?
一八:えぇと、まず麓(ふもと)の浅間神社(あさまじんじゃ)にお参りして、なんだかんだで下山し、麓の町で宴会すんだろ。
ほらな?だから、酒を用意しておかねぇと。
さくら:なんだかんだでって……、
お前さんが言うと、早く仕事済ませて酒が呑みたいにしか聞こえないねぇ。
一八:しかし、こうお天道様の下で、富士山を見ながら酒を呑むのが―
さくら:(被せて)はいはい、いいんでしょう?
一八:でも、オレは富士に登りたいとは思わねぇや。
さくら:アタシは……。
無理とわかってはいるけど、一度は登ってみたいと思うねぇ。
一八:へぇ。やってみろよ。
さくら:あぁ?
一八:おかみさーん、だんだんガラが悪くなってきてますよぉ。
さくら:くぅ~……。
一八:だけどよ、山は「女人禁制(にょにんきんせい)」だ。
「魑魅魍魎(ちみもうりょう)」が住む場所だから、女は安全のために近づいてはならねぇってな。
さくら:ほんとかねぇ。
一八:それでも、二合目までは登れるんだろ?
さくら:そうらしいけどね。
修行で「煩悩」を制御するためだの、女は「血の穢れ(けがれ)」があるからだの、勝手な言い分じゃないか。
アタシは納得いかないねぇ。
一八:そんなに登りてぇなら「富士塚」でも登ってこいよ。
さくら:ああ、「お富士さん」かい。
一八:品川、目黒、あとは、あー、なんだ、まぁ、そこら辺にいっぱいあるじゃねぇか?
酒持って、富士塚登ってくりゃ「富士見酒」になるぜ?
それを店で出してみな。売れらぁ。
さくら:それじゃ、インチキじゃないか。
一八:よほどの「通」でなければ、わかりゃしねぇよ。
さくら:お前さんの方こそ、修行してきたほうがいいんじゃないかい。
一八:オレかぁ?
そうさな、「おふじさん」っていい女が出迎えてくれて、酒注いでくれるってんなら考えなくもない。
さくら:まったく……。
お前さんから煩悩をとったら、影も形もなくなりそうだね。
一八:なんだと、この野郎!
さくら:文句があるなら働いてくださいよ!
一八:「酒かす」っていいてぇのか、この野郎!
さくら:「酒粕」なら体にいいんですよ!お前さんは「酒クズ」だよ!
一八:言いやがったな。やんのか、この野郎!
さくら:ああ、やんのか?
一八:上等だ!表へ出ろ、この野郎!
さくら:ああ、上等だよ!
一八:上等の酒持ってこい!
さくら:やんねぇよ!
一八:こんちくしょう!
さくら:…もう、声が大きいんだよ。
ほらぁ、お客さん、うちの店を避けるように歩いてるじゃないのさ。
一八:おめぇも、どこの輩だよ。「どこ中」だよ!
さくら:「どこ中」ってなんなのさ!
あ!
やっぱりもう呑んでるのかい?
(ため息)
一八:まだ序の口だ。
さくら:もうお前さんはいいよ。奥で寝てなさいよ。
一八:んだとぉ?……じゃ、遠慮なく、横にならせてもらうぜ。
おい、水!
さくら:そのくらい、自分でくんでくださいよ!
一八:ああ、そうですか。そんじゃ、お水、お水、迎え酒っと。
さくら:ちょいと!わかりました。はいはい、どうぞお水です。
一八:ちっ、つまんねえな。お天道様がでて、富士山に桜が拝めてるってのによぅ。
さくら:ぶつくさとうるさいね。お酒は、店じまいしてからだよ。
(客へ)ああ、いらっしゃいまし。どうぞどうぞ、ご覧くださいましな。
【間】
さくら:さ、看板も下げて……。店じまいと。
一八:これでやっと、酒が呑めるなぁ。よしよし。
さくら:なにいってんだよ。もうとっくにやってるじゃないのさ。
一八:おい、おっかあ、お前も呑め。
さくら:あら、アタシにも注(つ)いでくれるのかい?
一八:今日も一日おつかれさん、ってやつだ。ほら、お猪口(おちょこ)出しな。
さくら:おやおや、それじゃあ……。
―注ぐ
さくら:ああ、この香り……。まさか「富士見酒」かい?
一八:そいつぁ灘から江戸へ、江戸から灘へ、そしてまた江戸へ来た出戻り酒だよ。
さくら:インチキくさいねぇ。どこから仕入てきたんだか……。
ま、ありがたく頂戴しますよ。(くいっ)
一八:お!いいねぇ。
さくら:こうやってると、お前さんと出会った時のことを思い出すねぇ。
一八:覚えてねぇなぁ。
さくら:ひどい!
一八:ハハッ。屋台舟、花火大会、だろ。
さくら:覚えてた!
一八:昨日の記憶はございません。
さくら:むぅ…。アタシ、上方から江戸に来てさ。
寂しかったんだよね。
花火見てたらさらに寂しくなってきて。
そしたら、三味線の音と「都々逸」が聞こえてきてー
お前さんがいた。
それが粋でねぇ。いい声でー
一八:で、オレに惚れたってわけか?
さくら:別に?
一八:照れんな照れんな。おらぁ粋で男前だからな。
寄ってくる女が絶えなかったもんだぜ。
さくら:ああ、そうですか。
一八:あん時は、「男芸者」に「野太鼓(のだいこ)」だったからなぁ。
その日暮らしで困ってたところ、オメェに引っかけられたってわけだ。
さくら:引っかけたって…
寒い時分に、外で三味線抱えて座り込んでるお前さんをみたら、放っておけるわけないさ。
一八:懐かしいねぇ。あん時、酒くれてよう。
沁みたねぇ。
あれが「富士見酒」だったなぁ。
さくら:で、そのままウチに転がり込んでさー
一八:オレは何度も出ていこうとしたけどなぁ。
毎度、裾を引っ張る女がいてよぉ。
さくら:(ボソ)悔しい……
ねぇ、一八さん。
たまには、三味線出して唄っておくれよ。
一八:気が向いたらな。
オメェも少しは唄えんだろ。唄ってみろよ。
さくら:なんでアタシが?
一八:唄わなくてもいいから、言ってみろよ。ほら、ヘタクソなやつ。
さくら:……アレは三味線があるから……。恥ずかしいよ。
一八:ほう、オメェにも、まだ「恥じらい」が残ってたか。
さくら:女はいくつになっても、女です。
一八:で?
さくら:……「アナタ色に 染められたい 富士に願うも サクラ散る」
一八:まぁまぁだな。
さくら:意地悪!
一八:ちょっとやそっとの唄じゃぁ、三味線は出せねぇ。
さくら:そのくらいの気概で、店にも立ってほしいもんだねぇ。
一八:何言ってんだ。
客あしらいも、うまくこなしてんだろうよ。
さくら:話しが盛り上がって終わることのが多いけど?
一八:売るだけが仕事じゃねぇだろ?
そういうのが後々つながるんじゃねぇか。
さくら:娘さんたちに話しかけてる時なんか、鼻の下伸ばしちゃってさぁ。
お前さん、声がいいから、娘さんたちも立ち止まるんだよねぇ。
一八:焼きもちやくんじゃねぇよ。
振り向いたら「般若」の形相で立ってやがる。
あれじゃ、若い娘が逃げちまうだろ?
さくら:どついたる……
一八:上方の女はおっかねぇなぁ
(呑む)
さくら:やかましいわ
そういや、オメェだって、囲まれてる時あるじゃねぇか。
「よ、さくらちゃん!」って助平爺い共に(笑)。
さくら:でも、買ってくれるからいいんです!
一八:で、尻(ケツ)触られてな!
さくら:どうしてこう男ってのは~~!
一八:ハハハ!まぁ、呑めよ。ほら。
さくら:呑まなきゃやってられませんよ。
一八:つっても、そうたくさんは呑めねぇだろ。適当にしとけよ。
さくら:その言葉、そっくりそのままお返ししますよ。
一八:(呑む)ようっ、これで、富士山一合目ってとこか?
さくら:まさか。四杯で一合ってとこだね。
一八:面白れぇな。よし、富士の絵でも見ながら、酒で富士登山と行こうじゃねぇか。富士見酒だ!
【間】
一八:ぷはぁ~。おい、これで富士山の何合目だ?
さくら:二合目ってとこだね。
一八:女・子供が登れるとこまで辿り着いたか。
おう、こっから先は、女人禁制だぜ。
さくら:……ヒック!
【少し間をおいて】
一八:あ?
さくら:……ふざけんじゃないよ!!
一八:な、なんだよ、急に。びっくりするじゃねぇか。
さくら:な~にが女人禁制だ。女を馬鹿にすんのもいい加減にしろってんだ!
一八:なんだぁ?またやんのか?ええ!
さくら:やんのか?
一八:やんのか?
さくら:やんのか?ああ?
-二人同時に
一八・さくら:やんねぇよ!
一八:……酔ったのか。
さくら:酔ってまへんえ……。ついてください。
一八:え?
さくら:お前さん、お酒……
一八:なんでぇ、妙に色っぽいのはいいけどよ。
オメェ、かなり酔ってるぜ?
さくら:酔ってまへん
一八:もうやめとけ、しめぇだ。
さくら:……注げって言ってんだよ!!
一八:ちょ、ちょっと待てよ。
さくら:注(つ)―げ!!
一八:はい!……え?
さくら:何だぁ?なんで急に正座してんだぁ?
一八:いやいや。
この辺りで富士登山はやめておかねぇか。
山ァ登って、酒呑んだら危ねぇぜ?
さくら:あぁ?こっから先が面白れぇんじゃねぇか。
逃げ腰になってんじゃねぇぞ、ゴラァ!!
一八:悪酔いしやがった……。めんどくせぇ。
さくら:めんどくせぇだと?…ヒック!
小娘ばっかり相手にしてからに……
あたしを見やがれってんだよ
一八:いい歳こいて「焼きもち」やいてんじゃねぇよ。
さくら:じゃあ、アタシが、若ぁい、いい男とイチャイチャしててもいいのかい?
一八:けっ、出来ねぇ癖に。
さくら:お、あったま来た!
おぅおぅおぅ!
お猪口でちびちび呑んでちゃぁ、埒(らち)があかないんだよ。
あれだ!
あそこに飾ってある盃(さかずき)、持ってきな!
一八:あれって……、大盃(たいはい)のことか?
さくら:そうよ。一升入る大盃よ。
一八:待て待て待て待て。あれは力士がー
さくら:もういい!自分で持ってくっから。
ちょっと待ってろぉ。よいしょお。
一八:おいおい、足元ふらふらじゃねぇかよ。やめなさいって。
さくら:ふらふらじゃないよ。ほ~ら、大きな盃だぁ。いい朱色だねぇ。
アタシはね、丹波の生まれで大江山の「酒呑童子(しゅてんどうじ)」の生まれ変わりなんだよ?
知らんかったんかい?
一八:知らねぇよ!んなわけねぇだろう!
さくら:ふふ。うちを呼んでくれて、おおきに。好きにやるけど、かまへんね?
一八:呼んだ覚えはねぇぞ。「般若」が「酒呑童子」になりやがったな?
おう!鬼なら、その首、切り落としてやらぁ!
さくら:あんだぁ?鬼の首を狙うたぁ、お前は、いったい「何柱」だ?
一八:は、柱?……だ、大黒柱?
さくら:ふ~ん。その大黒柱さんとやらよ。
この鬼と仲良くしようじゃないのさ、ええ?
アタシと盃を交わそうじゃないの。
一八:なんなんだよ……。
さくら:ええ?いま、アタシとお前さん二人で、富士山を登ってんだろぉ?
山伏(やまぶし)は山登りを生涯に例えて、「山頂到達で一生」、つまり「一升」と解釈してんだ。
富士山に登れないなら、ここで一升呑んでやろうじゃないの。
一八:修行じゃねぇんだよな……
さくら:よし、注(つ)げ。
一八:やめとけ、呑めねぇって。
さくら:あんだぁ?「武蔵野(むさしの)」って言いたいのかぁ?
一八:「武蔵野」ぉ?どういう意味でぇ。
さくら:武蔵野は何もなく、ただただ野原が広がっている。
ただただ広~~い野原。見尽くすことのできない野原。
だから、「野を見尽くせない」
「野、見尽くせない」
「の、みつくせない」
「呑み尽くせない」
一八:ハハハ!なるほどねぇ。
そういや、一升入る大盃を「武蔵野」って言うんだったな。
さくら:ハハハ!
……って笑ってる場合じゃないんだよ!
いいから注げ。
一八:おいおい、目が座ってんなぁ。こんなに酒癖が悪かったかぁ?
さくら:はぁ、やっぱり止められへん、たぎる……
一八:これじゃ明日、店開けなくなるぜ?
さくら:へぇ?自分のことは棚上げかい?
いつもお前さん、酒でつぶれてるから、
アタシが毎日毎日、ひとりで切り盛りして大変なんよ?
一八:まいったね、言い返せねぇや。
じゃあ、注(つ)ぐけどよ。無理すんなよ。
―注ぐ
さくら:っとっと……。重っ……。
よーし。そんじゃあ、いただきます。
(ゆっくり呑む)
ぷはぁ~。
一八:本当に全部呑みやがった。
よし、これでしめぇだ。もうやめとけ。
さくら:お前さん、勘違いしてないかい?
一八:なにをだよ、いま一升呑んだろ。もう十分だろう。
さくら:その前に、二合呑んでるんだよ?
一八:……は?
さくら:ということはだよ?
いま山頂についたんじゃなくて、もう下山中なのさ。
一八:ええ~。下山するまで呑むつもりかよ。
さくら:ええ、呑みますよ?なんせ富士山中で迷っちゃあ大変だ。
しかも、アタシは女。
いつまでも山の中にいたら、富士山がお怒りになって、噴火するかもしれないよぅ?
ということで、はい、注いで。
一八:わかった、わかった!オレが呑むから!な?おめぇはもうやめとけって!
さくら:ほぅ?昼間っから吞んだくれてる大黒柱に言われたくないねぇ。
ここはアタシが吞みます。何と言われようと、呑みます。
一八:おいおい!
さくら:つべこべ言わずに、さっさと「注(つ)ぎな」って言ってんだよ!
一八:顔が「般若」になってるぜ?
さくら:なってなーい!もう、ほら、貸せ!
一八:ああっ!こぼれる!ったくよう……
介抱する身にもなれよ…… (しぶしぶ注ぐ)
さくら:ああ?どの口が言う?(注いでもらう)
よ~し、いただきます
(ゆっくり呑む)ぷはぁ!
一八:あ、あ、あ~あ~……信じられねぇ、全部吞んじまいやがった……
さくら:いやぁ、これで無事、富士山をおりてまいりましたっと!
気分がいいねぇ
歌いたくなってきたねぇ
♪「好いたお方の 背にもたれ 桜浮かぶは 富士見酒」とくりゃぁ!
一八:演歌か……
こりゃあ、明日は店、閉めるか……?
さくら:(泣く)……うわぁぁぁん!一八さぁん!
アタシと「夫婦」になってなんて言わないからぁ、出て行かないでぇぇぇ!
一緒になってぇ!
一八:なに言ってん―。だいたい、いつの話ししてんだよ!
さくら:いやぁあああ、出ていかんといてぇ!!(抱きつく)
一八:おっと!おい、さくら!急に抱きつくな、酒がこぼれる。
…今度は泣き上戸か。ええ?しっかりしろよ。
さくら:ああ、名前呼んでくれたぁ!
一八:いつも呼んでんだろうよ!
さくら:呼んでないぃぃ。
「オメェ!」とか、「おっかぁ!」とか「おい!」ばっっっっかり。
もう「倦怠期」なのかとぉぉぉ!
子どももいないしぃぃぃ!(泣き)
一八:なんでぇ、その「ケンタイキ」ってやつぁ!
さくら:長屋の源さんと梅さんのところなんか、子ども三人もいてさぁ、
この前なんか、源さんが、咲いた梅の枝を取ってきて、カンザシみたいに髪に刺してくれたって!
一八:……じゃあ、桜取ってきてやるよ。
さくら:桜切るバカ!
一八:あんだと?!
さくら:う… 気持ちわる…
一八:待て待て!オレの着物に吐くなよ!!
ひでぇ酒癖だなぁ。おい、水飲むか?持ってきてやるから。
さくら:いやぁ!行かないでぇぇぇ!(泣き)
一八:ちょっ!こんなんじゃ、店は無理だな。
さくら:一日でも閉めたら、おまんまが食えなくなるよぉおお!
一八:だけどよ、おめぇ、ぜってぇ明日は客相手できねぇだろ?
さくら:できますよぅ、ご機嫌でお客様を~~、うぷっ!
一八:おいおいおいおい!待て、さくら!
な、鍋!いや、桶か!
さくら:いやぁあああ!「一発屋」さぁん、出て行かないでぇ!
一八:誰が「一発屋」だ!「一八」だ、この野郎!
さくら:ねぇ、一発さん……、寝よ?
一八:は……?
さくら:お前さん、抱いて?
一八:オ、オメェ、何言ってー
さくら:ぐぅ~(寝る)
一八:寝たのかよ!
ちょっとナニが生えてきたところなのによ!
さくら:ナニ?って
そんじゃ、どれ……
よっこいしょっ!!
一八:落ち着きなさい。刃物を戻してきなさい。
あぶない、あぶないからっ!!!
さくら:収穫できなかった、タケノコ……
うう、いっぱちさぁん……、アタシをおいて行かないでぇ……
一八:オメェよぉ、働きすぎなんだろ……
明日はもう休めよ。
さくら:店は開けますぅ(むにゃむにゃ)
一八:いや、オラァ店できねぇからな。
(ボソボソ)
おめぇがいなきゃ、店が回んねぇんだよ。
さくら:………あんだってぇ?
聞こえねぇなぁ
一八:だから、オレ一人じゃ、店回せねぇんだって。
さくら:いつもフラフラ回ってんじゃないのさ~
一八:その回るじゃねぇよ……。
いつもオメェがうまいことやってくれてるからよぅ。
おらぁ、伸び伸びさせてもらってんだ。
さくら:そうかい。それでぇ?(むにゃむにゃ)
一八:(ボソボソ)こんな男と所帯持ってくれてよぅ、ありがてぇな、と思ってんだって……
さくら:んんん~ だからぁ?
一八:これからは、店もちゃんとやるし、酒もほどほどにするからよぅ。
さくら:……そうかい。
ふ、ふふふ……
あははははは!
一八:へ?
さくら:(素に戻る)いまお前さんが言った言葉、よ~く覚えとくよ。
さてとっ、片付けて寝るとしようかねぇ。
よいしょっと。
一八:オ、オメェ!へべれけになっちまったんじゃねぇのか?
さくら:このくらいの酒、なんてことないのさ。
一八:こんにゃろ、だましやがったな!
さくら:だましたつもりはないねぇ。言っただろ?アタシは「酒吞童子」だって。
一八:くっそ~!
さくら:さ、大黒柱の一八さん。
明日も早くから店開けますから、店の主人として、いいところ見せておくれよ。
一八:ええ?こいつぁ一本取られたね……。いや、一升か?
さくら:ああ、明日もいい富士山が見られそうだねぇ。
【サゲ】一八:これだから、山もかかあも怒らせちゃいけねぇ。
【終演】
加筆修正2025.04.13
【豆知識】
「宝永大噴火」(ほうえいだいふんか):富士山が最後に噴火したのは1707年の宝永大噴火。江戸でも昼間から真っ暗になるほど大量の火山灰が降り、多数の犠牲者が出た。こうしたことから、富士山は江戸時代の人々には畏れるべき自然の脅威の象徴とされていた。
「富士講」(ふじこう):「富士講」は富士山を信仰する人々による組織で、「講」とはグループという意味。
江戸時代に関東を中心に流行し、各地にたくさんの講ができ、富士山を登拝するために旅してきた。
富士山の麓には「御師(おし)」と呼ばれる富士講の人々の食事や案内、お祈りなどの世話をしていた人たちが集っていた。
都々逸(どどいつ):江戸末期に初代の都々逸坊扇歌(1804年-1852年)によって大成された、口語による定型詩。七・七・七・五の音数律に従う。主に、恋愛を唄った俗謡。
(例)高杉晋作「三千世界の カラスを殺し 主と朝寝が してみたい 」
「野太鼓」(のだいこ):男芸者も座敷を盛り上げるが、太鼓持の方がランクは下。具体的には、男芸者は吉原に住んでいる三味線や踊りで盛り上げるプロの芸人。太鼓持はおしゃべりや酒の相手が主な仕事。幇間。市中に住んでいる太鼓持は、野太鼓と呼ばれていた。野太鼓は、フリーランスの芸人。「一八(いっぱち)」は、古典落語で活躍している代表的なキャラクター。
「富士塚」(ふじづか):富士山を模した塚が、関東を中心に至るところに作られたのも江戸時代から。現在のような交通機関のない当時、富士登山は大変な労力をともなう行為。そこで富士山にまで登りに行けない人々でも富士講の参詣が気軽にできるように、各地に富士塚が作られ。現在の東京にも、品川神社の品川富士や氷川神社の目黒富士など、いくつかの富士塚が残っている。
「女人禁制」:修験道の伝統として、霊山などの女性の入山を禁止していた。 富士山も1872年「明治5年」の太政宮布告により禁が解かれるまで、女人禁制であった。
「酒呑童子」(しゅてんどうじ):丹波国と丹後国の境にある大江山、または山城国と丹波国の境にある大枝(老の坂)(共に京都府内)に住んでいたと伝わる鬼の頭領、あるいは盗賊の頭目。酒が好きだったことから、手下たちからこの名で呼ばれていた。
「一升」(いっしょう):一合の10倍、10合分=1800ml