古典落語声劇『厩火事』(長屋噺)

【配役】

枕/大家/亭主(八五郎):

お崎:

※約30分

※枕はいいやすいようにアレンジしてください。

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【枕】

よく「縁」なんてぇ事を言いますが、この縁と言うものはどこにでもあるものだと昔から言われております。

「袖すり合うも他生 (たしょう) の縁」なんてことをいいます。

いろんな縁がありますが、なんといっても縁というよりほかに片付けようのないものに、ご夫婦というものがあります。

あれはもう縁というより解決のしようがありません。

もっとも、若い一緒になった当座、「縁だから」なんて言われると少なからず反発を感じるものですよね。

「冗談いっちゃいけねぇ、俺は違うんだ」

「私たちはそんなんじゃない」なんてね。

あの当座は、お互い手と手をとって、目の奥をのぞきあって、

「もしかしたら二人は生まれた時から今日の約束があったのだね」なんて。

よく、あぁ言うことを平気で言えたもんだなぁと。

半年経つってぇと、「これ違ったかな」なんて。

新婚のうちは、なんでもかんでも楽しいもんですよ。

同じ釜の飯食って、買いもんも一緒に入ったり、ひとつのものを二人で分け合ったり、

場合によっては旦那の髪を奥さんが切ったり。

……大概失敗して、床屋に行くんですけどね。


さて、いまも「床屋にいってきます」と言う方はいらっしゃるかもしれませんが、

理髪店、理容店と呼んでおりますお商売、昔はこれを「床屋」と呼んでおりました。

なぜ「床」屋かと申しますと、これは髪結い床の「床」なんですね。

昔は「髪結い」さん、というお商売の人がほうぼうのお宅を廻って、

髪を結って歩いたものですが、

この髪結いさんが開業しましたものが「髪結い床」でございます。

これは女性の商売としては、とても実入りのよい商いでございまして、

おかみさんがどんどんとお稼ぎになるので、

亭主の方はどうしたって怠け心というものが、首をもたげてまいります。

こういうのを「髪結いの亭主」なんていいまして、

夫婦喧嘩のもとになったようでございます。


「大家といえば親も同然、店子(たなこ)といえば子も同然」

さて、髪結いのお崎。

今日もまた大家に亭主の愚痴を聞いてもらいにいくようです。

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【本編】

お崎:(慌てて上がってくる)旦那、いらっしゃいますか?


大家:なんだい、いきなりうちの中に飛び込んできて…

お崎さんじゃないかい。


なんて顔して入って…、ああ、また夫婦喧嘩なんだろう。


お崎:そうなんです。


大家:そうなんです、じゃないや。

どういうわけで、そうやって喧嘩ばかりしてるんだ。


だからアタシがあれほどそう言っただろ?

あんな流れモンの、八五郎を追いかけ回して、

あんなもんと一緒になったって、ロクな目に合わやしないんだから、

やめろやめろとアタシがあれほど口を酸っぱくして止めたにもかかわらずだよ、ええ?


「どうしても八ちゃんと一緒になりたい、八ちゃんと一緒になりたい」って。

アタシんとこに、お百度参りだ。忘れやしまい?


それほど言うんなら……って、アタシが間に入って一緒になりましたよ。


だけど、お崎さん考えてごらんよ。

あんなもんと一緒にならなかった方が、本当は良かったんじゃないか。


今更そんな話したってしょうがないけど、おまいさんの仕事はなんだい、女髪結いだ。

この界隈でまぁお前の右に出るものはないと、そのくらいいい腕だ。


あんなもんと一緒にならないで、一人でやっててごらん。

いまごろは、付き手のひとりもね、手助けとして側に置いて、

それを連れて、道具もそれに持たして、ええっ?

左うちわだよ。


それがあんなもんと一緒になるから、見ろ、未だにうだつが上がらないじゃないか。

それじゃあってんで、アタシが間に入りました、確かに仲人をしました。


で、一緒になったその晩からケンカを始めた。

いや、そら喧嘩したっていいんだ、夫婦だ。

いくら喧嘩したっていいけどもねぇ、お前のところは何だい。

1年365日なんてぇことを言うけども、お前のところの喧嘩は、1年で365日じゃ済まないだろう、ええっ?


「いい塩梅で今日は休みかな」ってぇ思うと、あくる日三つになっちまうだろう?

これじゃ365日あまっちまうよ。ええ?


それで勝手に喧嘩して、勝手におさめてくれるんなら、そら結構。

なんだい、仲人だからってんで、いちいち持ってこられたんじゃ、こっちだって迷惑ってもんじゃないかい。


そうだろう?

あたしゃ、お前のところの夫婦喧嘩の仲裁のために毎日生きてるわけじゃないんだよ、ほんとに。

いい加減にしてもらいたいねぇ。

どういうわけなんだい、今日は。


お崎:こういうわけなんですよ。

今朝ウチを出る時にね、うちの人に、

「今日は帰ってきてから、夜なべが二つばかりあるから帰りが五時頃になる。

帰ってきたらすぐごはんが食べられるように支度をしといて」ってしっかり言いつけて、外へ出たんですよ。


大家:ちょっと待っておくれよ。

せっかく話しはじめたのに、腰を折るわけじゃないけどもね。


おまえねえ、どっか違ってやしないかい?

そりゃ、おまえさんの家業は「髪結い」だよ。

髪結いという家業かもしれないけども、亭主にものを言い付けるというのは、聞きづらい言葉じゃないかい。

女は女らしくということ言うだろう。そこなんだよ。

まぁ今更、おまえにこんなこと言ったってしょうがない。


で、どうしたんだい?


お崎:表へ出たんですよ。

そしたら、あたしの姉弟子のおみっつぁんに会ったんですよ。


「あら、姉さん、どこ行くの?」って言ったらね、

「いま、おまえさんのところに行こうと思ったの」

「あら、いまあたし今出かけようと思ったの。まぁ間に合ってよかった。どうしたの」って。

「実はね、この指見てよ」って、白い布(キレ)を指にぐるぐるぐるぐる巻いてあってね。


今朝ね、髪結いが朝から包丁をいじくりまわすことはないんだけど、

なんか魔が差したんですかね、指を切っちまったって。

「それじゃ姉さん、仕事にならない」

「そうなのよ。大概のとこは断れるんだけど、今日は前々から頼まれていたお得意先へ入り日だから、

すまないけれど、お崎さん代わりに行ってくれないか」って、頼まれたんですよ。

あたしだって具合が悪い場合は、誰かに頼まなきゃならないんですから、よろしゅうございます。

伺いましたよ。


大家:そりゃぁ、世の中は持ちつ持たれつ、お互い様だからな。

お前さんが何かあったときにゃぁ、代わってもらうこともあるだろう。


お崎:そうでしょ?

それでね、二軒目の伊勢屋さんってお宅にうかがったんですよ。

女将さんの曲げは小さいからすぐ結えたんですけれども、娘さんがね、明日お芝居を見に行くから髪を結い直してくれって。


ひとつ結うのも二つ結うのも同じですからね。


でも、あたしはわかりましたよ。

お見合いですよ、年頃ですからね。顔つき見りゃ。

こっちだって長年商売やってりゃわかりますわね。

それで断ったら、往生際が悪いですからね。

よろしゅうございますよ、軽く請け負ってみて、驚きました。


これがまぁ〜〜~~、悪い毛!

くせっ毛というか、立ちの悪い髪の毛でして、なかなか結いずらくて……

そういう人に限って、ここが出てるの引っ込んでるのと、もううるさいったらありゃぁしない。


でも、まぁ商売ですからね、どうにか結っちまって、いつもより少し遅くなって、かれこれ七時頃に帰ったんですよ。


そしたら、もう何が気に入らないのか、おでこに青筋立てて怒ってるんですよ、あんちくしょうが。


「いったいどこで遊んでやがんだぁ!」って。

いきなりこういうことを言うんですよ。


いつ、あたしが遊んでるんです?


どこで、遊んで歩いてるんです?


どこでっ!あたしがっ!遊んで歩いているんですよっっ!!


あたしが遊んで歩いているわけないじゃありませんかっ!!!


(床を叩く)



大家:ちょちょちょっ、ちょっと待っておくれよ。

あたしに怒ったってしょうがない。

よく見なさい、顔を。亭主じゃないよ?

アタシにそうやって唾を吐きかけないでほしいね。ええ?


で、どうしたんだい。


お崎:あんまり尺に触ったから言ってやったんですよ。

「なに言ってるんだい、誰のおかげで昼間っからそうやって遊んでいられるんだ!」


大家:どうでもいいけど、聞こえがいいもんじゃないねぇ。

お前さん、それがいけないんだよ。少しばかりの稼ぎを鼻へかけて…


お崎:ええ、まぁねぇ…

でも、うちの人も男なんですね、腹が立ったとみえて、いきなりですよ、


「何を言ってんだ、このオカメ!」って。


尺に触ったからあたしも言ってやったんですよ。


「このヒョットコ!」って。


そしたら向こうが


「般若!」


ってんでしょ。だからあたしが


「外道!」


大家:なんだよ、おい。おまえんとこは面づくしで喧嘩してんのかい?

そんなこと聞いたって、こっちには何の得にも足しにもならないよ。

お前さんちてぇものは、どうしてそう妙な喧嘩ばかりするんだよ。


今日は、どういうつもりで、やって来たのか、それを聞かせてもらおうじゃねえかよ。

どうしたいんだよ。


お崎:旦那にはお仲人までしていただいて、言いにくいんですけど、

本当に、今日という今日は、もう愛想もこそも尽き果てたんですよ。

あたしゃ別れさせていただこうと思いまして、それで伺ったんです。


大家:あぁ、そうかい。

ああ、わかったよ。いいだろ。別れなよ。

あたしに遠慮することはない。

おまえさんが別れたいというなら、別れちまったほうがいい。

おまえさんが言うから、あたしも言ってきかせるよ。


いいかい。考え違いしちゃ困るよ。

おまえんとこの亭主というものは、うちのほうから出た人間。

何かあった時は、あたしは、おまえの亭主の味方をする立場だが、あたしはおまえのとこの亭主の味方はできない。


そういうから言うけど、お前の亭主、気に食わないことがある。

二、三日前だ。お前さんちの前を通りかかった。

格子がこのくらい開いていた。

「いるのかい」って声をかけると、

「ああ、旦那ですか。どうぞおあがりください」

座布団を出してくれた、お茶を淹れてくれた。

よくしてくれたよ?

「どうぞお上がりください」といいながら、前にあった御膳を脇へすっとどかした。

このお膳の上をひょっとみて、あたしはおもしろくない。

刺身が一人前とってあった。これはまあいいよ。

酒が1本乗ってたね。これだよ。


呑むな、じゃないけれども、おまえの家業が髪結いだ。

おまえさんが油だらけになって、真っ黒になって、働いている。

その留守に亭主が昼間から酒なんぞ呑んでいられたら、困るだろ?


おまえだって少しはいける口なんだろ?

どうせ呑むんなら、お前さんが帰って来るのを待って、一緒に呑んだらどうなんだい?

自分はぶらぶらしてんだろ。

女房が働いてるんだから、そのくらいの心遣いをするのが夫婦ってぇものじゃないのかい?

夫婦差し向かえで、刺身一人前、酒一合。やっててごらん?

通りがかって、ひょいとのぞいた人、どう思うよ。


「ああ、いい夫婦だな、一緒になったらああいう風になりたいもんだな」と。

同じ刺身一人前、酒一合でも、こうやって人の評判ってのはがらって変わるんだよ。


大きなお世話だって言うんならそれっきり。

だけど、おまえがそういうから、ま、話しをしたんだ。

縁がなかったんだろ。別れ別れ。その方がいいよ。

別れなさい。


別れたほうがいい。


その方がいいよ。別れなさいよ。ね?


遠慮なんかするこたぁないよ。


お別れ。


別れなさい!


お崎:……そりゃまぁそうですけどねぇ。

お刺身だって百人前あつらえて、長屋中に配ってるわけじゃないんですよ。

お酒だって一升も二升も呑んで泡ふいてひっくり返ってたってわけじゃあるまいし…。

あの人、暇なんですよ、ウチにいるですから。

お金に不自由なんかさせちゃぁいませんよ。


一人前の刺し身、お酒の一合やったからって、

なにもそこまで言うことないじゃありませんか!!


大家:何をいってんのおまえは!

何しにきたんだよ?

おまえなんつったよ!

「今日という今日は愛想もコソもつきた、別れたい!」ってさっきそう言っただろ?

だから、こういってんだよ。

どうしろってんだよ。


お崎:どうしろったって…

どうしてって、こう旦那ってぇ人は、じれったい!


大家:こっちのほうがじれったいんだよ!


お崎:そりゃあたしだってね、おいそれと別れたくはないんですよぅ。

今日お宅へうかがうについちゃぁ、もう別れようと思ってのことなんですけどねぇ…。

あの人、ふわふわしてて、掴みどころがないんですよぉ。

あの人の気持ちが知りたいんですよ。


大家:無理をいいなさんな。

アタシは、あいつと暮らしてたわけじゃないんだ。そうだろ?

おまえさんたちは、世帯をもって八年経つんだよ。


八年経ってるおまえにわからないのに、あたしに亭主の気持ちわかるわけないじゃないか。


お崎:あたしが、あの人より、若ければいいんですよ。七つも上なんですもの。

いろいろ心配になっちまって……。


女なんて年取っちまえば嫌われるにきまってますからね。

シワだらけのおばあさんになって、どうにもこうにもどうしようもなくなって、病気になって寝たきりになって、そうやって寝込んでるうちに、若い女を引っ張り込んで、目の前でへんなことされてごらんなさいよ。そんな時に悔しいから噛み付いてやろうたって、歯なんかぬけちゃって、土手ばかりんなって…


大家:何をくだらねぇことをベラベラベラベラ言ってるんだよ。

ほんとに、おまえは、よくしゃべるねぇ。

アタシがひとことしゃべるうちに、お前さんは二十も三十もしゃべってるんだから。

そういうことをしてたんじゃ、いくら経ったって、夫婦の間に喧嘩の絶え間はないよ?


お崎:だけど、旦那の前ですけどね……

あんないい亭主はどこを探したっていやぁしない、

これっきりじゃないかと思うくらい優しいときもあるんです……


大家:何を言ってんだよ!今度は惚気かい!


お崎:人情がある人なんだか、

そうかと思うと、今日みたいに憎ったらしいこともあるんですよ。


共白髪まで添えとげられるものなのか、私が患った時に看病をしてもらえるものなのか、

死に水取ってくれるつもりでいるのか、そういう気持ちがわたしは知りたいんですよ。


もうあたしゃぁ、あの人の了見がわからないから、じれったくって。

何度も言うとおり、あの人の気持ちが知りたんですよ。


大家:はぁ、困ったねぇ。

まぁそう聞いてみりゃあね、かわいそうだって気がしないでもないよ。

人の気持ちを試すってのはあまり好きなこっちゃないけどさ。

お前さんに言って聴かせるものがある。


もう少し前に出な。


お崎:ええ、なんです?


大家:近いな……。

お崎さん、唐土(もろこし)を知っているかい?


お崎:知ってますよぅ、モロコシくらい。

大好きですよ。茹でるより、焼いてる方が。

でも、歯に挟まっちまうのが厄介ですねぇ。


大家:とうもろこしの話しじゃないよ!


海の向こう、中国だ。

ここに昔な、「孔子」という偉い学者がいたな。


お崎:へぇ、「こうし」ですか。

そうするってぇと、やっぱり上は「松本」なんでしょうね。


松本幸四郎の弟子、松本こうし…


大家:役者の話をしてんじゃないよ、学者!


お崎:あぁ、学者。

学者ってなんです?


大家:なんにもしらないんだね。

学問のあるえらい方のことを言うんだ。


お崎:あら、先生じゃありませんか。

その先生がどうなすったんです?


大家:こういう方だから、閑静なところが好きなために街なかに住まないで、郊外に住んでいた。

中央の役所にお通いになるのは馬を利用している。

二頭の馬を飼っていらしたんだが、中でもお気に入りは白馬だ。


お崎:あらまぁ、そうですか。似たような話がありますねぇ。

うちの人もね、あれ好きなんですよぅ。

夏はいけないけど、冬はあれに限る、体があったまっていいなって。


大家:どぶろくの話をしてんじゃないんだよ。

乗る馬の話をしてるんだよ。


お崎:あらいやだ、乗る方ですか。それがどうしたんですか?


大家:ある日のこと、乗りかえの栗毛に乗っておでかけになった。

ところが、どういう間違えか、お留守の間に厩で火事から出た。

さあ、ご家来衆は大変だ。

旦那様のご愛馬、もしものことがあってはいけないと、

家来が厩に飛び込んで、白馬をひっぱりだそうと思ったんだが、

「名馬ほど火を恐れる」の例えの通り、ずるずるずるずる後ずさりをする。

そのうちどんどん、まわりに火が回ってくる。

命には代えられない。

ご家来衆は自分たちの身が危なくなったから、羽目を(パンッ)けやぶって逃げ出した。

この間に白馬は焼け死んでしまった。

やがて、旦那様がお帰りになったんで、

「おかえりなさいまし。お留守の間に大変な粗相をいたしまして、厩から火が出まして、ご愛馬の白馬が……」

と言わないうちに、

「家来のものに怪我がなかったか」とお尋ねになった。

「家来一同みな無事でございます」

「そうか、怪我がなければ何よりもめでたい。それはよかった」

とにっこり笑うと、すっと奥へ入っていった。


ご家来衆はどう思う?

ご愛馬を焼け殺してしまって、どんなお叱りを受けるか知れないとハラハラしていたところ、

「馬のうの字も言わないで、逆に我々の身を案じてくれた。

この人に仕えるなら、命もいらない」ということになるじゃないか。

お屋敷は大層繁盛したということを聞いたよ。


どうだい?ええ?たいしたもんだろ?

なにも、これ、アタシが考えた話じゃないよ?

「論語(ろんご)」とかいう本に載っているそうだ。

「厩 焚けたり。子、朝より退きて曰わく、人を傷なえりや、と。馬を問わず。」

(うまや やけたり。し、ちょうよりしりぞきていわく、ひとをそこなえりや、と。うまをとわず。)


お崎:あら、まぁ…。お経ですか?


大家:お経じゃないんだよ。


これと、まるであべこべの話しがある。

麹町にな、さるお屋敷に旦那様がいてな……


お崎:あらまぁ珍しいですねぇ。

なんでも毛が三本足りないなんて聞いたことありますけど。

サルが旦那なんですか?家来はなんです?


大家:お前そういうこと言ってると喧嘩になんだよ。

どう考えても、サルが旦那になるわけないでしょう。

よく言うでしょ?

あるところ、さるところ、ある人、さる人。

ある旦那様、さる旦那様。

名前が言えないから、「さる旦那」っていうんだよ。


お崎:へぇ、そんなもんですかね…。

それで、そのサルの旦那がどうしました?


大家:サルの、じゃなくて「さる旦那」だよ!

その人のお楽しみが瀬戸物だ。


お崎:あら、うちのも、あんなクセに瀬戸物が好きなんですよ。

この間、このくらいのお皿。

しかもヒビがはいってる皿を一円五十銭も出して買ってきたんですよ。

だから、あたし言ってやったんですよ。

「ばかだねぇ。こんなヒビが入ってるお皿一円五十銭も出してもったいないじゃないですか」って。


そしたら、

「なにをいってる、ひびが入ってるから、おれたちの手に入る。ひびがはいってなかったら、手にはいるものじゃないって」

桐の箱へ入れて、黄色い布で包んで、撫でたり、拭いたり、そりゃぁもうたいへんな熱の入れようんですよ。

たまぁに引っ張りだしては、眺めてニヤニヤしてますよ。


大家:ほんとにうるさいねぇ、おまえは…

おまえの亭主が買うような安物じゃないんだよ。

ひとつが何千、何万円という瀬戸物だ。


お崎:いやぁ、そうですか…。

そんな大きな瀬戸モンがあるんですか!?


大家:おまえね、値段が高ければ、大きいってもんじゃない。

塩煎餅買ってんじゃない。

大判は高い、小判は安い、そういうもんじゃねぇだよ。

瀬戸物はどんなに小さくても、ものによっては何千、何万円とするんだよ。

で、あるとき、ここへ珍客がお見えになった。


お崎:やっぱりねぇ。

旦那がサルだから、お客は狆(チン)なんですねぇ。


大家:犬じゃないの。珍しいお客のことを「珍客」というの!


お崎:しょっちゅう来る客を、にゃん客。


大家:うるさいな!少し黙って聞きなさいよ!

さっそく瀬戸物を出して、自慢話しがはじまった。

お客様がお帰りになった後、旦那様が大切にしていらっしゃる品物のことだから、後片付けは奉公人にさせませんよ。


奥さんが瀬戸物を持って二階から下へ降りようとなさった。

いましも奥さんが、一枚の皿をもって、二階から降りようと思うと、クラクラっと目眩がした。

前へのめっちゃいけないと言うので、後ろに反った。

履いてた足袋が新しかったのか、ずたたたたーんっ!と階段を一気に下まで滑り落ちた。

滑り落ちながらでも、普段から瀬戸物は大事だと言われたために、頭の上に捧げていて、そのまま尻もちをついた。


その物音に旦那が飛んで出てきた。


「瀬戸物を壊しゃぁしないか!? 皿を壊しゃぁしないか!?」

と三十六ぺんおっしゃった。奥様は、壊してはならないと身体でかばわれたから、いい案配に壊れはしなかった。


奥様は「瀬戸物は大丈夫でございます」とお応えになった。

「気をつけなきゃだめじゃないか。無事か、そりゃぁよかった!」

そう言うと、すっーと奥へ入ってしまった。それだけだ。

しばらく経つと、奥様の姿が見えなくなった。

みんなでさがしていると、お仲人が見えて「離縁をいただきたい」

何事か、とお尋ねになると、


「恐れ入ります。ご離縁をいただきます。

お宅は、人の身体をなにひとつ心配なさらずに、瀬戸物のことばかり言っていた。さすれば、お宅では人間よりも瀬戸物のほうが大事なんでございましょう。そういう薄情なところに娘を嫁にやっておくことができませんから、すぐに離縁をいただきたい」


さぁ、旦那も困ったよ。

人間の体と瀬戸物が一緒になるわけがないことはわかっている。

わかっているんだけど、

物に凝ってる時、夢中になっている時は、そこしか見えないもんだ。

旦那は出したくもない離縁を出すことになっちまった。

それが評判になって、あそこのうちの旦那は薄情だ。誰一人嫁の候補がない。

とうとう生涯、嫁の来手(きて)がなかったそうだ。


お前の亭主が瀬戸物を大事にしているというなら、幸いじゃないか。

これからうちに帰って、構うことねぇから、手に持ったまんまだよ、どっかにぶつけて皿を割ってごらん。

そのときに、亭主がおまえの身体を心配するか、瀬戸物のことをゴタゴタ言うか…。

瀬戸物のことばかりいうようじゃ、お前の亭主はもうダメだ。

お前の指一本でも聞いてきたら、たいしたもんだよ?

普段、男なんてものはね、べらべらべらべら喋るもんじゃないんだ。

噺家じゃねぇんだから。

いざと言うときに、実(じつ)があるかどうかわかるんだ。

いいかい、男というのは、外見じゃないよ。ここだよ。


お崎:そうですねぇ。うちの人のことなんです。

あたしの身体を心配してくれると思いますよ……。


……ねぇ?


大家:ねぇ?ったって知らないよ。それをお前が試すんだ。


お崎:そうですねぇ。言われてみると、心配ですよ。

瀬戸物も、だいぶ大事にしてますからねぇ。

うまくモロコシになってくれればいいけれども、まちがって麹町のサルになるとえらいことになりますから……。


あの旦那……、すいませんけど、一足先にウチに行ってくれませんか?


大家:アタシが?

おまえのウチに行ってどうする?


お崎:あたしが帰ってきて皿を壊すから、瀬戸物のことじゃなくて、身体のことを聞いてくれって。


大家:それじゃ、なんにもなりゃしない。本心が分からないじゃないか。


お崎:旦那、取りあえず本心なんてどうでもよござんすから……


大家:おいおい、どうもお前さんはまだまだ未練があっていけないねぇ。


わかった、わかった。もっと細かく言おうか。

うちへ帰ったら、表から入らずに、裏からお入り。

たぶん、亭主はまだ怒ってるだろうから、先におまえのほうからあやまっちまいな。

一言でいいから、「ごめんなさい」とあやまんな。

どんな男でも女のほうが立ててやるようにしなくちゃいけないよ。

あやまっといてだね、台所へ出ていって、上げ板をすこーしずらしておきな。

で、亭主が大事にしている皿をもって上げ板を踏み外したようなふりをして、片足をつっこみな。

つっこむ途端にその皿をへっついの角かなんかにぶつけて、割っちまいな。


そのときに、お前の亭主がどっちをいうか。

瀬戸物か、お前のことか。

どっちを聞くか、思い切ってやってごらん。

まぁ、夫婦の間でお互いの気を試すというのは、嫌なことかもしれないけれども、

お前さんの一生のためだ。ね、やってごらん。


お崎:わかりました……。思いきってやってみます。

そりゃそうですよね。あたしの一生のことなんですもんね。

ほんとにあんちくしょうめ……。


いろいろお世話になりました。じゃあ、思い切ってやってみます。


大家:ああ、やってごらん。

あとはね、あたしがどういう具合にでも、相談にのるから、大船に乗ったつもりで。

さっきもいう通り、お前さんの味方だ、あたしは。

どんな話しにも乗るから、思い切ってやってごらん。


お崎:旦那、いろいろとありがとうございます。

お手数をおかけしました。またのちほど伺います。


ごめんくださいまし。

あーぁ、旦那は本当に利口な人だねぇ、いいことを教えてくれたよ、まったく……


(裏口からそーっと入る)


ただいま。ただい……、なに。

あらいやだ、おっかない顔しちゃってさぁ。


怒ってる?

ねぇ、怒ってんだろ?おまえさん。


亭主:……怒るわけじゃねーけどよ。

ったくしょうがねぇな、ほんとに。

お前はね、人間は悪くねぇよ。

悪くねぇけど、わがままだと思わねぇかよ、おい。

少しばかり稼ぎがあるのを鼻にかけやがって。

髪結いのどこが偉ぇんだよ!

お前、今朝でてく時、なんつったんだよ。

「夜なべが二つある」そういったんだろ?

ってことは、これからまた出かけんだろ。


夫婦の間だよ?たまにはなんかあるよ。

それをなんかあるってぇと、ふくれて、ぱーっと表へ飛び出して、なげぇ時間帰ってこねぇんじゃ、しょうがねぇんだよ。

お前が帰ってきたら、一緒に飯を食おうとおもって、こうやって支度してずーっと待ってるんじゃねーかよ?


お崎:あら……、お前さんなに?

おまんま食べないで、あたしが帰ってくるの待ってたの?

おまえさん、あたしとおまんま食べたいの?


亭主:あたりめぇじゃねぇか。夫婦じゃねぇかよ。

朝だって、温かい飯炊けるから待ってろって言ったって、

お前は得意先のほうが大事だって、冷や飯かき込んで外へ出ちゃうじゃねーか。

昼飯だって外で済まちまうだろ?

夫婦二人で飯を食えるのは、晩だけじゃねぇか。

日にいっぺんぐれぇは、ゆっくりと差しで飯が食いてぇや。

だから、おれはこうやって、支度してずっと待ってんじゃねぇか。


お崎:あら、まぁ、おまえさん、モロコシだね……


亭主:なんでぇ、そのモロコシってぇのは?


お崎:まあ、旦那は大したものだねぇ。ちょぃと嬉しくなってきちゃったよ。

それじゃあ、さっそく瀬戸物のほうに取り掛かるよ。


亭主:訳のわからねぇことばかり言うんじゃねぇよ。

なんだい、その「瀬戸物に取り掛かる」ってぇのは? 


なにしてんだい、おい。

おいおい、それをどうすんだよ。それはダメ!

大丈夫だよ!

それはみんなキレイにあらって、拭いてしまってあるんだよ!

なんだってそんなものを持ち出すんだよ!

壊したら、もう買えやしないよっ!!!


お崎:いいじゃないか、たかが瀬戸物ぐらいのことにそんなに騒がなくても。


亭主:おい、飯になるってのに、いまそんなもの出したってしょうがねぇじゃねぇか。

壊しでもしたらどうするんだよ。


いまそんなものに用はねぇんだよ、おい、おい!


大事な皿なんだから、おめぇ、そんなもん持ち出すなよ!


おい!!


お崎:だから、男なんか油断ができないよ……。

いまモロコシだと思ったら、麹町のサルになっちまうんだから。


亭主:なにをさっきから、モロコシだ、麹町だって……。


おい、危ねぇじゃねぇか!

下の板がずれてんだよ、おい、なんだよ、そんなとこで踊ってっ!

おいっ!!


あっ!アアァッ!!


(割れる)


……ほら言わねぇこっちゃねぇやなぁ、おい。

割っちまったじゃねぇか。

…………。


おい、怪我ぁなかったかよ。


おい?


大丈夫か?


おい?


なにをぼんやりしてんだよ。

指をどっか痛めやしなかったか?え?

瀬戸物なんざぁ、銭で買えるんだ。

それよりも、おめぇ、怪我ぁなかったか?

指でも怪我したんじゃねぇかって、俺ァ聞いてんだろっ!


お崎:(泣く)

まぁ、ありがたいじゃないか。うれしい……


亭主:何も泣くこたぁねぇやな。


お崎:あたしゃね、おまえさんが麹町のサルになるんじゃないかって、

どれだけ心配したことかしれやしないよ……。

あたしが案ずることなんか、これっぽちもありゃしない。

おまえさん、なにかい、そんなにあたしの身体が大事かい?


亭主:あたり前じゃねぇか。おめぇに怪我されてみろ。


明日から遊んで酒が飲めねえ。


―終演―


参考:

桂歌丸

柳家小三治