古典落語声劇『粗忽の釘』(粗忽噺)

※古典落語を声劇バージョンにしました。

【配役】

亭主・八五郎:大工。そそっかしい。

女房:

向人:

隣人:

■語りはどちかが兼ねる。

■向人は、亭主役が兼ね役。

■隣人は女房役か、亭主役が兼ねる。

■もう一人配役する場合は、向人と隣人役。

(♂1:♀1)あるいは(♂2:♀1)

※約40分

【豆知識】

・「菜っ葉の肥やし」・・・菜っ葉は、肥やしをかけて育てる。「肥やし」のことを「肥(こえ)」とも言う。つまり「かけ肥」=「かけ声ばかり」ということ。

・八寸・・・約24㎝

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【枕】

「長屋」、「裏長屋」というのは、通りに面した商いを営む人向けの「表長屋」に対して、その裏側に建てられた長屋のことです。

部屋全体の大きさとしては6畳相当になりますが、土間や台所なども含めてその大きさですから、居間兼寝室となる部分は4畳半ほどしかありませんでした。

しかも、押し入れなどの収納スペースなどもまったくありませんから、現代のワンルームマンションなどと比べてもかなり狭い。

江戸の町は非常に火事が多かったために、長屋はかなりの安普請で作られていたようです。

柱は細く、隣の部屋との仕切りも薄い壁1枚のみなので、隣に住む人の声などはほとんど筒抜け状態。プライバシーなどというものはほとんどありません。

いまは、隣の住人から「うるせぇぞ」という意味で壁を叩かれことがありますが、長屋住まいでは、隣の住人に用事があるときは、わざわざ外に出なくても壁をトントンと叩いて「味噌を貸してくれねぇか~」などとそのまま会話をすることができたようです。

ですが、江戸の町ではそういったことを気にする人はなく、隣近所の人たちが家族同然で生活を送っていたわけです。


さて、

落語では「粗忽者(そこつもの)」という言葉がよく出てくるのですが、意味はというと、「そそっかしい人」、「おっちょこちょいな人」の事をいいます。

そんな人が「宿替」-引っ越しーをするってぇとどうなるか。いまみたいに、引越センターなんて便利なものはございませんからね。

長屋住まいは狭く、いまほど物は多くないとはいえ、宿替えをするのはすべて自分たちでやらなければなりません。

さて、粗忽者の亭主、大工の八五郎の宿替え、どうなりますやら・・・

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【本編】


女房:

ちょっと何をウロウロウロウロしてんだよ、この人は。

目障りでしょうがないじゃないか。

今日は何の日だかわかってんだろ。


亭主:

そんなんオメェに言われなくてもわかってるよ。


女房:

わかってるんだったら、ちゃんとしておくれよ。

私ばっかり動いているじゃないか、片付けたり運んだり。

お前さん、ただ腕組んで、ウロウロウロウロしてるだけだろ?

何してんだよ。


亭主:

何してるんだって、そういう口の聞き方するもんじゃねぇよ、ええ?

なんだと思ってんだ。


俺だって、何をどうやってどう持って行ったら、ことが早く運ぶかと思って、

一生懸命考えてんじゃねぇか。


女房:

何言ってんだよ。朝から考えてばっかりじゃないか。

もうお昼まわっちまうよ。

ちゃんとしなくちゃ、しょうがないだろう?


亭主:

うるせぇなぁ。

亭主に向かってそういう口の利き方するんじゃねぇよ。

オメェの方が偉ぇみてぇじゃないか。


何言ってやんでぇ。(ブツブツ)


おう!俺ァ、いま、ちゃんと考えがまとまったよ。


あの~、あれとってくれ、あの、あれを・・・


とんなよ。


女房:

何を


亭主:

何をって言わないで、取ってくれっつったら、「はい」って出すんだよ。


女房:

何取るかわかんなきゃ、出せないだろう?


亭主:

ああ、そう、あー、だからあれだ!


風呂敷(ふるしき)!!


女房:

風呂敷?何すんのさ。


亭主:

そう言うことを聞くんじゃない。

俺が取ってくれっつったら「はい」ってすぐ・・・


女房:

いいだろ聞いたって


亭主:

それはまぁ聞いてもいいけどさ・・・

あの~、だから、あれだよ、大きい風呂敷でよ・・・

そこにある箪笥をくるんで、俺が背中に背負って持ってくから。


女房:

いいよぉ、そんなことしなくたって・・・

八百屋さんから、ほら、大八車借りたろ?

あれで、大きいもん重いもん乗っけてカラカラカラカラ引っ張ってくの。


亭主:

うるせぇなぁ。俺ぁ考えたんだから、朝からぁ!

やっと考えてまとまったものを、オメェがガタガタ言うことはねぇだろう?

俺がやるんだからいいんだよ。


早く風呂敷を・・・


女房:

はいよ

(女房、風呂敷を出して、亭主の頭に被せる)



亭主:

・・・風呂敷とってくれってのは、頭からかぶせてくれってこっちゃねぇぞ。

なんだと思ってやんだ、冗談じゃねえな本当に。

なんでそうやって、オメェ・・・えばりゃいいと思ってやんだ。


(風呂敷を広げる)


なにボ―っと見てやんだよ。

おい、風呂敷の端がめくれあがっちゃってから、そっち側回ってぴっぴっとひっぱれ。

ぴっぴっと。

ぴっぴっとひっぱんの!


女房:

はいはい。


亭主:

そうそう。

そしたらよ、ちょっと箪笥の向こう側へまわれよ。

箪笥の真ん中によ、いや、そうじゃねぇ、風呂敷の真ん中によ箪笥をな・・・


(運ぶ)


とととと、もうちょっと、おととと。

いいか?いいか?離せ、置け。

よーし、よーし、これでいいんだ。

俺、背負っちゃうから。


おい、風呂敷の余ったの、こっちよこせ。

細引きでぐっとしばって・・・

(しばる)

これでいいんだ。よし!と。


よし!


よーしぃ・・・!


(見渡して)


おい、ちょいとその・・・火鉢。

火鉢、上に乗せろよ。ついでに持ってってやっからよ。


女房:

いいですよ、こんな重いもん乗っけたら、持ち上がんなくなっちゃう。


亭主:

うるせぇなぁ。オレが持ってくんだから。

箪笥の上に乗せろって言ってんだよ。


女房:

はいよ、乗せたよ。


亭主:

乗せた?乗せた?ああ、そう。


あと、おう、そこにある針箱。それも乗せろよ。


女房:

私のは自分で持ってきますよ。


亭主:

うるせぇなぁ。

人がせっかく持ってってやるって言ってんじゃねぇか、ええ?


乗せた?

よーし。


・・・なんかねぇかな、あと。


おう、そこにかかってるひょうたん、ひょうたん。

親父の代からのひょうたんだ。いい飴色になってんねぇ。

それちょっと火鉢ん中、突っ込んで。いいか。


じゃ、ちょっと後ろ回ってな、手ぇ貸してくれ。

「ひのふのみ」っつたらよ、

「み」って言った時に俺と一緒にガッと力を入れて持ち上げんだぜ。

弾みで持ち上げっから。


いいか、そら!

ひのふのっ!


ひのふの、みっ!


みっ!


みーーーっ!


みーーーーーーっ!!!!


女房:

お前さん、荷物と一緒に柱まで結わえちゃってるよ。


亭主:

そういうことは早く言えよ!

やり直しだよ、まったくよぉ・・・


女房:

もう少し落ち着いてやったらどうなんだい?


亭主:

うるせぇなぁ。


いいか、おい。

「ひのふのみ」っつたらよ、「み」って言った時に―


女房:

わかってるよ。


亭主:

いいか、そら!


ひのふのみっ!


ひのふの・・・


・・・お前ねぇ、「み」っつった時に抑えてんじゃねぇか?

びくともしねぇじゃねぇかよ。

持ち上げんだよ。いいか?


ひのふのみーーーーっと!


なーーーっと!!!


(どうにも持ち上がらない)



女房:

うるさいね、この人は・・・

お前さんみたいのことを言うんだよ「菜っ葉の肥やし」っての。


亭主:

なんでぇ、その「菜っ葉の肥やし」ってのぁ。


女房:

「掛け声ばかり」てんだよ。

だから言わんこっちゃない。


亭主:

うるせぇなぁ、俺がやってるんだ。

ガタガタ言うんじゃねぇ。


おい、ちょっと、あの~、あ、そうだ、あのよ。

ひょうたん、おろしてみてくんねぇかな。


女房:

こんなのおろしても同じだよ。


亭主:

黙って取れっつってんだ。

人間ってぇのは気のもんだ。重さじゃねぇんだよ。

なんかおろしたなって思うってぇと、スッと軽くなってな、気分で持ち上がるんだ。


いいか、ひのふのみっ!


ひのふの・・・っ


(持ち上がらない)


・・・針箱、自分で持ってけ。


ひのふの、みっ!


むぅぅぅー・・・うん・・・


(持ち上がらない)


・・・火鉢下すかな・・・


ひのふのっ


なぁぁ、んんんんーっん!


(持ち上がらない)


箪笥おろして・・・


女房:

何言ってんだよ、この人は。

ほら、ひのふのっ!


亭主:

あ、っととと!

ちくしょう!いきなり持ち上がりやがった。


おい、ちょっとこの下駄どかせ。危ねぇから。

滑るからよ、片減りしてる下駄危ねぇから、どかせ。


ちょちょちょっとそこ開けて。全部開けて。

あと、そこ、どぶ板直して、どぶ板。


よっ!よっ!よっ!


よし、俺向こうで待ってるからよ?そいじゃ頼むよ。


女房:

お前さん、表へ出たらよく気をつけておくれよ。


---【語り】---

・・・と出たっきりこの旦那が、引越し先へも現れなきゃ、元の家へも戻ってこない。

もう、あんなものをあてにしてたって仕方ないてんで、女将さんの方は、近所の人の力を借りて、どんどん物を運んで、すっかり片付けて、掃除をすまして、亭主の帰りを待っていました。

八五郎はというと、もう、日が暮れかかろうという時分になって、真っ赤な顔して、汗だくになって、風呂敷の結びっ玉、ほどけかかったのを喉で抑えながら・・・

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亭主:

(ヘロヘロになって)

ご、ごめんください。


ごめんくださぁい・・・。


女房:

あら、嫌だよ。

いったいどこほっつき歩いてたんだい?


亭主:

ふぃ~、あ~・・・


会いたかった~・・・


女房:

何言ってんだよ、どこ行ってたの?


亭主:

どこ行ってたってオメェ、驚いちゃったよ、オイ。

こんなくたびれた日はねぇよ。

向こうのウチでたろ?

路地から表通りでようとした角のところでよ、犬が二匹喧嘩してたんだ。

隣町のブチと、うちの町内のアカと取っ組み合いしてやんだよ。

そりゃおめぇ今日から別の町内になっちまうけど、今日までの馴染みだと思うから、

同町内のよしみで、「アカ!しっかりしろ、頑張れ!」って、俺声掛けてやったんだよ。

そしたらおめぇ、組み敷かれてたアカがよ、

隣町のブチを、バーンと蹴飛ばしたもんで、

ぶっ飛ばされたブチがこっちにバッて飛んで来たから、

ハッ!て、二、三歩後ろにトントンと下がったら、重てぇもん背負ってるもんだから、

そのままドーン・・・、ひっくり返っちまった。


箪笥は地べたにひっくり返ったけども、

手と足が地べたつかなくてバタバタバタバタやってたら、

通りがかった人が

「なんです、あなた。亀の子みたいな形して。頑張んなきゃダメでしょ」って、

どっこいしょー!って起こしてくれたら、今度ぁ前へ、べたーんって・・・。

また別の人と二人がかりで、やっとのことで起こしてくれたんだよな。


そぃで歩き出したんだけどよ、重たくてフラフラフラフラしてるてぇっと、

向こうから、蕎麦の出前持ちが自転車で片手でもって

肩の上に何段も重ねてフラフラフラフラしてやがんだ。

危ねぇなって、こっちよけてやろうかと思うと、こっちにフラフラってくんだよ。

じゃあ、こっちってぇと、こっちにフラフラってくんだよ。

こっち、あっち、こっち、あっち・・・ってやってたら、ダ――――ン!って・・・


女房:

危ないねこの人は・・・。

ぶつかったの?怪我しなかった?


亭主:

いや、出前持ちがオレにぶつかり損なってな、

脇のたまご屋の店先に飛び込んじゃったんだよ。


卵はぐじゃぐじゃになるわ、上の方からまた別の卵は崩れてくるわ、

もみ殻ひっくり返る(けぇる)わ、そこへ蕎麦ぶちまけるわ、

もう、どこまでが蕎麦で、どこまでが卵だかわかんなくなっちまって、

そん中に卵とじみたいな出前持ちがヌタヌタヌタヌタしてやんだよ。


そしたらね、たまご屋の親父が出てきて承知しねぇんだ。

「この野郎、ふざけたことしやがって!」

「何もふざけてやったわけじゃない。弾みでこうなっちゃったんだ。しょうがない」

「どうしてくれるんだ、この三両!」

「何言ってんだ。俺の方だって損してるんだ!」って

二人で取っ組み合いの喧嘩になりそうになった。

まわりは黒山の人だかりだぁ。

そしたら、お巡りがきてよ。

「この話、お巡りに聞いてもらうじゃねぇか」ってんで、

みんな、ぞろっぞろ、ぞろっぞろ行ったよ。

俺だってオメェ、しょうがねぇよ・・・、行きがかりだから、付いていったよ。


でな、お巡りが「半々で持つってことでどうでしょう」って。

周りからも「そうだそうだ、それがいいや」ってなこと言うもんだから、

ふたりとも、「しょうがない、そういうことにしますよ」って。

ああ、よかったよかったって一人去り、二人去りしてな・・・

しめぇには誰も居なくなっちゃったんだよ。


俺とお巡りだけになっちゃった・・・。


「なんだ」って言うから、「ええ、引っ越してきました」っつったんだ。

「交番に引っ越して来ては困る」

「じゃあ私、どこへ越していったらいいんですかね」

「そんなこと知らねぇ」ってんだねぇ。

だけど、オメェから確かそういわれてみるってぇと、なんか豆腐屋の脇、横丁を入ったところだって聞いてたから、

「豆腐屋どこにありますか」ったら、「すぐそこにありますから」って聞いていったよ。


けどよ、豆腐屋はあるんだけど横丁がねぇんだ。

しょうがねぇ。あっちの豆腐屋、こっちの豆腐屋、

まあ、どこ探したって横丁がねぇ豆腐屋ばかりでさあ・・・


汗は目ぇ入ってくるし、手はもうしびれてくるし、フラフラ汗だくんなって、

ようやく見慣れた家(ウチ)見つけて、ありがてぇと思ったら元の家だろこれが。

元の家じゃしょうがねえ。


とりあえず中へ入ってね、荷物おろしたけど中は空っぽだ。

何もありゃしねーよ。


オメェはなんだぁ、薄情だ。

俺が出かける時に、煙草入れくらい持たしてくれたらよさそうなもんじゃねぇか。

オレが煙草飲みっての知ってんだろ?ええ?

んだよ、一服やろうと思っても煙草持ってねぇんだよ。

あ~あ、弱っちゃたなと思って、ぼんやりしてたらさ、

そこに元のウチの大家が通りかかって、

「おい、八五郎。何してんだ。

こんな近ぇとこがどうしてわかんねぇんだ。

オメェがさがしてきた家だろ」って、

その路地の入り口まで引っ張ってきてもらったらー、

なるほど近えんだよ。


おらぁなんだか知らねえけど、一日中歩き回ってくたびれちゃってしょうがねぇよ。

もう汗が出て、くたびれて・・・


女房:

・・・長いねぇ。

お前さんてェ人は、どうしてそう、そそっかしいんだろうねェ。

一人でうっちゃっておいたら、どこへ行くかわかりゃァしないよ。


それもいいけど、そんなもの背負ったままで門口に立ってないでさ、

こっちへ入って、さっさとおろしたらどうなの?


亭主:

(ヘロヘロ)早く教えろ・・・それを・・・

さんざっぱらしゃべらせといて、いまごろになってようやく教えやがって・・・


(荷物をおろすが、手がこわばって動かない)


・・・見ろぉ・・・

こんなになっちゃったじゃねぇかぁ・・・


ちっ、え~(手が痛い)


ちょっと・・・

ちょっと煙草入れこっち。

一服するんだからよぅ・・・。


女房:

あっそ。一服するのいいんだけどさ。

ね、見てごらん、ウチん中すっかり片付いて掃除も行き届いて、ね?

お前さん帰ってくるの待ってたんだよ。

何ってさ、箒かけようと思ったらね、箒かける釘がないんだよ。

箒なんてェものは寝かしとくと始末に悪いもんなんだから、

それをかける釘を打っておくれよ。


だから煙草飲むの・・・(あとにしとくれ)


亭主:

わかったよ!

釘一本くらいすぐ打てんだから・・・

もう今日一日中、俺ぁ骨折ってくたびれてんだからさぁ。


女房:

何言ってんだよ。

勝手にくたびれてんじゃないのさ。


亭主:

勝手にくたびれてるってことあるかよ、オメェ。

ちょっと一服・・・


女房:

(睨み)おさまらないから言ってるんだよ!

頼んでんだよ?あたしが。

・・・穏やか~に言ってるの。


亭主:

おお・・・

そうやってな、なんかってぇと、オメェ・・・

そういう目ぇして脅かしゃいいってもんじゃねぇぞ!


・・・やるけどよ。


煙草一服くらいさせてくれたっていいじゃねぇか。

俺もくたびれてんだよ。


・・・やるけどよ。


おい、ちょいと取ってくんなよ、そこの鋸を・・・


女房: 

のこォ?


亭主: 

のこだよ、のこぎり!


女房:

のこぎりをどうするのさ?


亭主:

どうするって鍋を打つ・・・、

いや、その釜、じゃァねェ、釘を打つに決まってんだろ!


女房:

釘がのこぎりで打てるのかい?


亭主:

それだから・・・、おぅ、かんなを出せよ。


女房:

え? かんな?


亭主:

かんなじゃァねえ、のみ・・・・じゃァねえ、じれってェな!


女房:

こっちがじれったいよ。金槌でしょう?


亭主:

知ってるくせにそそっかしい女だなぁ!


女房:

どっちがそそっかしいのさ。

はい、金槌。しっかり打っとくれよ。

ちょっとどこいくの?

道具箱かきまわしたってしょうがないだろ?

いま出したの、釘と金槌。


亭主:

うるせぇ!俺ぁ大工(でぇく)だ!

てめぇにガタガタ言われることねぇんだ!おらぁ!

毎日毎日、釘打って、それでもってな、生きてきたんだぃ!

おぅ、釘はこれでいいな。


この野郎・・・なんだって、偉そうな面しやがって。

俺の上立たなきゃ、テメェ気が済まねぇんだからな。

冗談じゃねぇや、本当に。


女房:

ちょっと能書きはいいんだけど、なにその釘。

ちょっとそれ!瓦っ釘(かわらっくぎ)だよ!

八寸もあんの。そんな長いもの箒かけると―


亭主:

うるせぇ!!


どけっ!!


金槌とか釘とか、ハサミとおんなじで使いようだよ!

テメェにガタガタ言われることぁねぇんだ。

おれぁ職人だ!大工(でぇく)だ!ちくしょう。


おう!大きなこと言いやがったな?

ええ?掃除すました?

おう!どこ掃除すましたんだ!

そういうことは、こういうクモの巣とっぱらってから言ってもらいたいね!

こんなクモの巣がオメェ。


・・・あ、大きい蜘蛛が出て来やがったな、このやろ。

こんなもん潰してから・・・


女房:

いいよ、蜘蛛は。勝手にいなくなるからさぁ。


亭主:

あ、ああ?

この野郎・・・お?

早いねこいつは、このやろこのやろ。


・・・


このこのこのこのこのこのこのこのこのこのこのこのっ!


このーーー!


このーーーーー!!(釘打ちこむ。トントン!!)


・・・


・・・


打ち込んじゃった。


女房:

柱?


亭主:


女房:

冗談じゃないよ、お前さん・・・壁って・・・

お長屋の壁ってのはね、これっぱかりだよ。

瓦っ釘って、八寸もあるんじゃないかぁ。

先、お隣でちゃったよ、ええ?

大事なもの傷つけてやしないか、早く行って謝っておいでな。


亭主:

(ちょっと泣き)・・・ちくしょう

だから一服させろってそういったんだよ・・・

そうすりゃ、こんなことにならなかったんだよ・・・


女房:

ほら、煙草おいてー


亭主:

いいんだよ!これ持ってると落ち着くんだ!

どけ、この野郎。


女房:

いいかい、お前さん、落ち着いて行ってくるんだよ。

落ち着かなきゃァだめだよ。

お前さんだってねェ、落ち着きゃ一人前なんだから。


亭主:

うるせぇ!落ち着きゃァ一人前とはなんだ?

じゃァなにか、落ち着かなきゃァ半人前か?

冗談じゃねぇや!

ほんとに俺をなんだと思ってやがるんだ!亭主だぞ!


(ブツブツ言いながら出ていく)


(向かいの家へ)


ごめんください。

あの~、こちらに、その、釘の先でてないでしょうかねぇ。


向人:

え?


亭主:

いや、あの、こちらに釘の先、出てないでしょうかね。


向人:

藪から棒ですな


亭主:

藪から棒じゃねぇんです、壁から釘なんです。


向人:

どちら様です?


亭主:

どちら様ってね、ああ、ハハ。

あのう、あっしゃァねェ、引っ越してきた者なんですけどね。


向人:

ああ、そうですか。

引っ越しのご挨拶にお見えになったんで?


亭主:

ええ、まぁそれはどうでもよくってね。

うちのかかぁがね、なんだかんだ言いやがってね、一服させろってのに、釘かけるから箒を・・・

いや、そうじゃねぇ。

箒をかけるから、釘を打ってくれっていうこと言うもんだから、

腹立ちまぎれに、瓦っ釘って八寸もあるやつを壁に打ち込んじゃったんですよ。

なんか傷つけてたらいけないから謝ってこいって言われましてね。


向人:

ああ、そうですか。それじゃうちは大丈夫ですよ。

向いですから。


亭主:

いや、あなた素人だから知らないでしょうけどね、

瓦釘っつったらね、八寸もあるこんな―


女房:

ちょいとちょいとお前さん!何やってんさ。

(向かいの人に)

すみませんねぇ。うちの旦那、そそっかしくて。

こんなんですけど、悪い人じゃないんで仲良くしてやってください。

どうもすみません。はい、はい。ごめんくださいまし。


亭主:

なんでぇ、オメェが謝ってこいって言ったんだろうが!


女房:

いまの、お向かいのウチじゃないか。路地一つ隔てて向こうだよ?

いくら八寸っていっても届きゃしないよ。

行くのは、お隣。

お・と・な・り!


亭主:

早く言えよ!


女房:

普通言わなくてもわかるだろ?

落ち着いて、ね?

今度こそ、お隣さんに謝ってきて。


亭主:

なんでぇ・・・


(ブツブツ)


まぁ、そうだよなァ、往来ひとつ離れてる家へ釘が届くはずはねえや。

やっぱり俺はそそっかしいンだなァ。かかぁの言う通りだ。

よし、今度はうんと落ち着いてやろう。


(隣へ)

(テンション低めに)


ごめんください。


隣人:

はいはい、いらっしゃいまし。


亭主:

・・・・・・


隣人:

・・・え?

どなた様で・・・?


亭主:

隣へ引っ越してきた者なんですけどね。


隣人:

これはこれはそうですか。

わざわざご挨拶にね、ありがとうございます。

ご近所が増えるってのはまことに嬉しいことで。

よろしくお願いいたします。


亭主:

え~、まずは落ち着かして・・・いただきます・・・


隣人:

・・・あがってきちゃったよ。

あの、ちょっと座布団・・・

どうぞ、座布団をおあてください。


亭主:

こりゃどうも・・・


・・・


落ち着かせていただきやす。


・・・


(煙草を取り出す)


あの火を・・・


隣人:

それは気が付きませんで。

どうぞ、火箱を・・・


亭主: 

ふぅ~(一服)

ぐっと落ち着かせてもらいます。


・・・


(一服)


なかなか掃除が行き届いてますね。


・・・


(一服)


・・・


つかぬ事をうかがいますが、お宅んとこは、仲人があって一緒になったんですか?

それともくっつき合いですか?


隣人:

くっつき合い・・・

え~、仲人があってもらいました。


亭主:

ああ、そうですか。

・・・

(一服)


(惚気)あっしンとこね、くっ付きあいなんです。(照れる)

(いつもの口調に戻る)

あのね、この表でまして右いってね、二丁目ばかりいったところ左曲がって右側に・・・

いまなくなっちゃったんですけど、おととしまであったんだけど、引っ越しちゃった大宮さんっていう大きなお寺あったの知ってるでしょ?


隣人:

知りませんね・・・


亭主:

知ってるでしょ?

いや、あそこにね、うちのかかぁが奉公してたんですよ。

そこに、あっしは出入りの大工だったもんですからね、行ってね、仕事してたんですよ。

するってぇとね、昼時になるとね、頼みもしねぇのに、お茶持ってきたり、

「夕べ(ゆんべ)の煮たものの残りがあるから、おあがんなさいよ」って持ってくるんす。

こいつぁほっとく手はないなと思いましてね、縁日誘ったんです。へへ。

喜んで来やしてねぇ。

縁日でね、都腰巻(みやここしまき)買ってやったんですよ。

これがまた喜びましてねえ。

つまらねぇことで女なんてものは・・・、喜ぶもんでございますねぇ!

ハハハハハ!


まあそんなことでね。

一緒になりやした。へへっ(照)


・・・


じゃ、ごめんください。


隣人:

あの、あなた何か用があっておいでになったんじゃないですか?


亭主:

(慌てて)

ああ、そうだ!そうだ!

何でしたっけ、実はあっしは今日隣に越してきた・・・

それさっき言いましたね。

えっと、どこまで・・・


あっしがね、帰って(けえって)くると、かかぁがね、

箒かけるから釘打てって言うもんですから、なんだかんだあって、

うるせぇこの野郎って腹立ちまぎれに、

瓦っ釘っていう八寸もある釘を打ちこんじゃったんですよ。

こちらさんに出て、なんか傷でもつけてやしないかと、

謝ってこいってんで伺ったんですけど、どうにかなってないでしょうかねぇ。


隣人:

そうですか・・・

そんならそうとおっしゃっていただければよろしかったんですよ。

いきなりお上がりになって、惚気はじまっちゃったもんですからね。


えっと、どこへお打ちに・・・?


亭主:

あの~、箪笥置いたでしょ。

ここんとこに蜘蛛の巣がかかってましたね。


隣人:

うちには蜘蛛の巣はありませんから・・・


こうしましょう、一度お戻りになって、

その釘の頭を軽くポンポンと叩いてみてください。


亭主:

ああ、そうですか!わかりました!すぐナニしますから!

ヘイ!ヘイ!


おぅ、おっかぁ!いま帰った。

(笑いながら)隣、そそっかしそうな野郎だ。


(隣に向かって)

あ~!聞こえますか?ここ!


ここ!

ここです!


隣人:

どこです?


亭主:

ここ!

こーこっ!!


隣人:

どこです?


亭主:

指さしてんじゃねえかよ!!


隣人:

いや、こちらからは何も見えないので軽く頭をトンと・・・


亭主:

あーー、はいはい!


はいはいはいはい!

これこれこれこれ!

トトトン、トトトン、トトトントン!


隣人:

ちょっとちょっとちょっと!壁が崩れます!

わかりました、わかりました。

ちょっと、あのこっちおいでになってください。


・・・大変な人が越してきたねぇ。

長屋なんてものは崩れそうなのを、みんなそーっと使ってんだよ。

壊れちまうよ。


仏壇で何かガタガタいってたね。


・・・


・・・


ああ~~?

お仏壇!!これ阿弥陀さん、阿弥陀さんの喉!!

ここから長いの、にゅ~って出てるじゃない!


亭主:

わかりましたか?


隣人:

わかりました!

ちょっとちょっとこっち来て!

ウチの仏壇見てください、仏壇!


亭主:

あ~、いい仏壇。


隣人:

仏壇ほめなくたっていいんですよ!

中見てください、中!


亭主:

お宅の宗旨は・・・


隣人:

宗旨はどうでもいいんですよ!


亭主:

・・・

はぁはぁ、そうかぁ!

あそこに打つとここに抜ける。


― ここから一気にサゲ(オチ)まで ー


隣人:

だめだよ感心してちゃ!

えらいことになりましたよ、これは!


亭主:

そうです、えらい事になりましたね。


隣人:

そうでしょ!


亭主:

明日からここへわざわざ箒をかけに来なくちゃならねぇ。



―終演―

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参考:

柳家小三治