【登場人物】
カナ:17歳。女子高生。
アキ:突然、カナの前にあらわれる。年齢不詳な見た目。
※約20分 ファンタジー
【本編】
ーひぐらしが鳴いている
カナ(M):8月半ば。夕方。塾の帰り道。
カナ:あっつい……。
なにが「立秋」よ、全然涼しくならないじゃない。
あ~あ、はやく秋にならないかなぁ。
学校は行けるかわかんないけど……。
9月になると、今年もあと4ヶ月か。……はやっ!
カナ(M):暑さをしのぐため、少しでも涼しい林のそばを歩く。
カナ:あ、ちょっと涼しい……。この木、なんの木だっけ。
アキ:ヒノキ。
カナ:……ん?
カナ(M):声が聞こえた気がして、立ち止まり周りを見回す。
カナ:気のせいか。
カナ:やだ、蚊だ!虫除けつけてきたのにやられた。痒いぃ。
蝉もうるさいし、もうイライラする!
アキ:「立秋」を過ぎてから鳴くセミを「寒蝉(かんせみ)」と言う。
カナ:!
アキ:「七十二候(しちじゅうにこう)」では、寒蝉鳴「かんせんなく」または、「ひぐらしなく」と言う。
カナ:……やっぱり誰かいるよね?!どこ?!
アキ:気がついた?
カナ:だ、誰?そんな林の中から……
びっくりした……。
アキ:襲われないように気をつけてね。
カナ:あ、はい。……じゃなくて!
アキ:覚えてない?
カナ:え、ごめん。どこかで会ってる……?
カナ(M):男の子?だよね。浅黒い肌、細みの身体、少し高めの声。
アキ:この季節、虫の声や蝉の声が、大きく聞こえるでしょ。
カナ:う、うん。
アキ:どう思う?
カナ:……どうって。
アキ:うるさい?
カナ:……ちょっと。
アキ:ハハハ。だいたいみんな、そう言うよね。
カナ:あ、で、でも、おじいちゃん、おばあちゃんは違う、かも。
アキ:そうかもね。あとは、自然に触れている人たち。
カナ:農家の人とか?
アキ:いろいろ感じ取って、準備をしたり、動いたりする。
カナ:そう、かも。
アキ:この辺りは、緑も多いし、田畑も多い。
カナ:なんせ田舎だからね。
アキ:いいところだ。居心地がいいよ。僕は気に入ってる。
僕も、暑さと強い日差しが苦手なんだ。
カナ:……ねぇ、ごめん、どこで会った?あ、学校が一緒とか?
アキ:カナは、引きこもりでしょ?
カナ:なんで名前知ってるの?!あと、引きこもりじゃないし。
引きこもりがちなだけだし!塾は行ってるし!
アキ:そういう子のための個人塾だよね。確かに、引きこもりがち、だ。
カナ:私の勝手でしょ?それより、私のこと、どこで知ったの?
アキ:自分で言ってたじゃないか。
「カナも頑張るから、君も頑張れ」って僕を応援してくれた。
カナ:え、応援……?ってことは、あなたも引きこもり?
アキ:違うよ。
僕が羽化する時に。
カナ:うか?
アキ:「羽化」、知らない?「脱皮」とか「変態」とか?
カナ:ヘンタイ!?
アキ:発育過程のことだよ。形や状態を変えること。
カナ:何言ってるの?あなた、名前は?どこに住んでるの?!
アキ:このあたりに住んでるよ。「その日暮らし」……なんてね。
名前は、そうだな……「アキ」とでも呼んでよ。
カナ(M):なんなの、この人。関わらない方がいいかも。
カナ:あの、私、ちょっと急いでいるから。
アキ:僕、あと七日の命なんだ。
カナ:ちょっ、ええ!どういうこと?
なんかの病気なの?
もしかして、病院から抜け出してきたとか?
アキ:時が過ぎるのは早いよね。
カナ:ちょっとちょっと!他人事みたいに!
こんなところにいていいの?
アキ:病気じゃないからいいんだ。
それより、やらなくちゃいけないことがある。
カナ:やらなくちゃいけないこと?
アキ:カナ、さっき「今年もあと4ヶ月。はやい」って言ってたでしょ?
カナ:聞いてたの……。
アキ:大きいひとり言だなって。
カナ:むぅ。それがなに?
アキ:1年が早く感じることを「ジャネーの法則」というらしいよ。知ってる?
カナ:じゃ、ジャネー……?知らない。
アキ:「人間の体感時間は、それまで生きてきた年齢に反比例する」
カナ:は?
アキ:歳を取るにつれて、自分の人生における「1年」の比率が小さくなり、
「体感」として1年が短く、時間が早く過ぎると「感じる」ということ。
「物理的時間」は変わらないけど、「心理的時間」が変わってくる。
カナ:え、なんなの急に。難しいこと言って……。
アキ:たとえば、1歳の時は、1年365日感じていたものが、10歳では37日、20歳では18日―。
そんな風に感じるんだ。もちろん、あくまで「体感時間」。
カナ:あなた、アキ、くん、だっけ。
もしかして頭良すぎて……
アキ:「頭良すぎておかしくなっちゃった人」?(笑う)
僕をそんなに変な奴にしたいんだ。
カナ:だ、だって……。
アキ:カナは17歳だろ?
カナ:なんで知ってんのよ!
アキ:17歳だから「体感時間」としては、1年が「21日」くらいに感じている。
カナ:ええ……。
アキ:365日が減るわけじゃないよ?
カナ:それはわかったわよ。「体感」でしょ。
んん~……。
お母さんがよく「1年が早すぎる」って言ってるけど、49歳だから……
アキ:七日かな。
カナ:1週間じゃない。早すぎ!!
アキ:だから、あくまで―
カナ:体感時間でしょ。もうわかったわよ。
で?その「ジャアネーの法則」がどうしたのよ。
アキ:「ジャネーの法則」
カナ:そ、それよ。それ。
アキ:本当に、七日しか生きられなかったとしたら、カナはどうする?
カナ:そんなの考えたことない。
アキ:じゃあ、いま考えてみてよ。引きこもりがちのカナさん。
カナ:うるさいな……。
アキ:どう?
カナ:ええ~……。んん、と。七日しか生きられないんでしょう……?
そうだなぁ。
家族と過ごしたり、1日1日を大切に、後悔しないように過ごしていく。
と思う。たぶん。
アキ:いい子で、人間らしい答えだね。
カナ:ッ!急に聞かれたからっ!
アキ:ごめんごめん。
カナ:じゃあ、アキ君は……
アキ:「アキ」でいいよ。
カナ:……ん。アキはどうするの?
というか、本当にあと、七日しか生きられないの?
アキ:そうだよ。
僕の答えはこうだ。
「子孫を残す」
カナ:へ?
アキ:何かおかしいこと言った?
カナ:子孫を残すって……
アキ:意味わからない?
カナ:わ、わかるわよ!
アキ:顔が赤くなった。
カナ:そ、それはぁ!
アキ:僕も人間のように何十年も生きられるなら、違う答えがでるのかもしれないけどー
カナ:そ、そうよ。子どもを産むかどうかは自由だし、どう生きるかは自由よ。
アキ:なるほど「生き方」ね。
でも、僕には想像がつかないよ。
カナ:ねぇ、アキは何歳なの?
アキ:何歳?それは難しい質問だな。
カナ:難しくないでしょ。
アキ:「七歳」とでも答えればいいのかな?
カナ:七歳には見えませんけど?
アキ:じゃあ「成人」とだけ言っておくよ。
カナ:えー、秘密なの?
確かに、年齢不詳な見た目ではあるわよね。
アキ:これから季節は夏から秋へ、そして冬へと移り変わる。
セミやトンボ、トカゲやヤモリも、子々孫々に命のバトンを渡していく。
カナ:それがなに……?
アキ:僕も命のバトンを渡さなくちゃいけない。
カナ:ええと……、そろそろお嫁さんが欲しいってことなのかしら?
アキ:これは自然の摂理だ。
カナ:でも、あと七日じゃ間に合わ……、あ!
余計なこと、言っちゃった。
アキ:気にしてないよ。
カナ:ごめんなさい……。
アキ:なかなか相手が見つからなくてね。僕はそんなに魅力がないのかな。
カナ:そ、そんなことないよ。
アキ:じゃあ、カナ。僕の子孫を残してくれる?
カナ:はぁぁぁぁぁ?!いきなり、何を言うのかと思えば!
あんた、とんでもないこと言ったわね!!
私、まだ未成年よ?女子高生!!
アキ:健康そうで、立派な女性だと思うけど?
カナ:やっぱり、ヘンタイさんですかぁ?!
アキ:落ち着いてよ。
僕はいま、君に求婚してる。
カナ:これが落ち着いていられるかっ!
ちょっ、もう帰ってもいいですか?!帰る!
なんかずーっと話、かみ合ってないし!
アキ:カナ!
カナ:ちょっと!手を離してよ!大きい声だすわよ!
カナ(M):その瞬間―
カナ:キャッ!眩しい!!
【間】
アキ:やぁ、やっぱり、君にその羽は似合うね。
カナ:ん……。はね……?
ア、アキ?その背中の羽は……?
アキ:僕の羽もきれいだろう?緑色がうっすら透けてみえて。
カナ:う、噓……。私にも羽がついて……。何、これ……。
ねぇ!ここは、どこ?
アキ:さっきいたところだよ。僕たちが小さくなったんだ。
ほら、このヒノキ。
幼虫の僕は、この木の下の土から出てきたんだ。
地面に穴が空いているだろう?
蒸し暑い日が続いた後の、雨が降っていない日の夕刻。
僕はこの木を登って行って、じっとしていたんだ。
そしたら、通りがかったカナが僕を見つけてー
カナ:……あ。
アキ:やっと思いだしてくれた?
自然界の中で、羽化に失敗して死んでしまう確率は高い。
アリや鳥に食べられることも多い。
僕も、誤って地面に落ちてひっくり返ってしまった。
そんな僕を、カナはそっと起こしてくれて、「頑張れ」って見守ってくれたんだ。
カナ:そうだ……。
久しぶりに見たもんだから、2時間くらい、ずっと見てたんだった。
半透明で少しグリーンかかった色がとてもきれいだった。
あなたは……
アキ:人間には「ひぐらし」と呼ばれている。
カナのおかげで生きられたんだよ。
カナ:……
アキ:でも、もう時間がない。
命をつながなくちゃいけないんだ。
カナに、その手伝いをしてほしい。
カナ:(小声で)……ごめん。
アキ:え?
カナ:ごめんなさい。無理……
アキ:カナ……?
カナ:私は人間なの……。
なんで、こんなことになっているのか全然わかんないけど、私は人間なの!
アキ:だから、僕と同じ―
カナ:(被せて)嫌!人間に戻して!お願い!
アキ:カナ……
カナ:これじゃ、私もすぐ死んじゃうんでしょ?
なんで私なのよ!
「引きこもりだから別にいいだろう」とか思ったの?
アキ:そんなんじゃない。
カナ:私は、これから頑張るの!やりたいことがあるの!
こんなの嫌だ!戻して!戻してよ!!
アキ:僕のこと嫌いなのかい……?
カナ:嫌い!嫌い!こわい!
同じ蝉のメスを誘えばいいでしょ!
意味わかんない!ふざけないでよ!!
アキ:……
カナ:戻してくれなきゃ、私、ここで死んでやる!!
土の上にひっくり返ってれば、何かが私を食べにくるでしょ?
人間に戻れないなら、その方がマシよ!!
アキ:カナ……
カナ:名前をよばないで!!
アキ:……ごめん。
カナ:う……、うう……
アキ:泣かないでおくれ。君を悲しませるつもりはなかったんだ。
カナ:はやく戻して……
アキ:わかった。でも、最後に聞いてほしい。
カナ:(泣きながら)なによ……
アキ:僕が命を全うできるのは、君のおかげだ。
君が見守ってくれた時から、僕はずっと……
ああ、僕にもよくわからないんだ。
ただ、毎晩、月に願っていた。
「一晩でいいから人間の姿になって、あの子にありがとうって言いたいです」って。
そんなこと起きるはずがないのに……。
カナ:……
アキ:でも、お月様は叶えてくださった。
「薄明(はくめい)の頃だけ。人間の世界に踏み入ってはならない」と約束して。
それだけでよかったのに……。
僕は、それ以上のことを望んでしまった。
おそらく僕は罰を受けるだろう。
カナ:……罰?罰ってなに?どうなるの?
アキ:わからない。だけど、力が抜けていくのを感じる。もしかしたら……
カナ:死んじゃうの?!命のバトンは……?
アキ:仕方がない。僕が約束を破ってしまったんだから。
僕が土に還れば、何かの役には立つだろう。
カナ:人間に求婚するなんて……、バカなんだから……。
アキ:(微かに笑う)ねぇ、カ……
カナ:名前……、呼んでいいよ。
アキ:ああ、ありがとう。うれしいよ。
お月様が、僕たちを元に戻す前に言わせておくれ。
カナ:なに……。
アキ:きっと、これが人間の心なんだね。
「有明の つれなく見えし 別れより あかつきばかり うきものはなし」
カナ:いきなり和歌?それが言いたかったこと?
アキ:こういう時、人間は和歌を詠むんだろう。
カナ:みんなが詠めるわけじゃないけど……。それ『古今集』でしょ。
アキ:わかるんだ。
カナ:百人一首は好きなの。
アキ:そっか……。
カナ:いまのが言いたかったこと?
カナ(M):しばらく、月の光と静寂に包まれる。アキが口を開く。
アキ:好きだったよ、カナ。
ありがとう、カナ。
さようなら……、カナ。
カナ(M):その後、また眩しい光に包まれて、私はー
【間】
カナ:ん……。んん?
え、朝?!ここ、自分の部屋?
あれは……夢?
カナ(M):慌てて窓を開ける。うっすら霧がかかっていて、日の出前だ。
あまりにリアルで、夢とは思えなくて、思わず私は、あのヒノキまで走っていった。
【間】
カナ:はぁはぁはぁ……。アキ……?
カナ:アキ、いるの?いるなら返事して?
カナ:ねぇ、出てきてよ!いるんでしょ?
昨日は言い過ぎた。ごめん!
あまりにびっくりして、「嫌い」って言っちゃってごめん!
ねぇ、ア……
カナ(M):カサリ。
葉を踏んだ足元を見ると、そこには、土の上で仰向けになっているひぐらしが一匹。
その脚は、閉じていた。
カナ:あと七日って言ってたのに……。
お月様との約束を破った罰なの?
なんで私のことなんか……
どうしてあげたらよかったのよ……
カナ(M):空には、白くて薄い「有明の月(ありあけのつき)」が残っている。
アキ(M):「有明の つれなく見えし 別れより あかつきばかり うきものはなし」
カナ:何よ、私が悪いみたいな感じじゃない。
文句なら、お月様に言ってよね。
カナ:……お月様、アキは約束を破ったかもしれません。
でも―、
大事な命のバトン、つなげなかったじゃないですか……
カナ(M):私はそっと、彼を土の中に埋めた。
カナ:アキ、私の名前、ずっと呼んでてくれたんだね。
―ひぐらし鳴く
カナ:ありがとう、アキ。
【終演】
※百人一首30番
「有明のつれなく見えし別れより 暁ばかり憂きものはなし」
―壬生忠岑(みぶのただみね) 898〜920
【和歌の意味】
有明の月は冷ややかで、つれなく見えた。
冷たく薄情に思えた別れの時から、
今でも夜明け前の暁ほど憂鬱で辛く感じるものはない。
※「有明の月」
月齢16~月齢29までの月をいうが、主に月齢20以降の細い月に対して用いられる。
古典で「有明の月」が用いられる際、夜会いに来て、明け方に帰って行く男性に例えたものや、恋の心情を重ね合わせたものが多く存在している。