落語声劇『秋蕎麦』

 [1:1](一人読み可)※約20分

【登場人物】

■新之介:大工
■蕎麦屋の女将(お秋):訳アリ
■枕:相談

※「枕」は自由にアレンジしてください。
※語尾変更、アドリブ可


----【枕】--------------------------------

江戸四大名物食といえば、「寿司・天ぷら・そば・うなぎ」です。

まずは、屋台を担いで蕎麦を売り歩く。
そして、深夜三時から五時ごろに売り歩く夜蕎麦売り(よそばうり)。

夜蕎麦売りの中でも、屋台に風鈴が二つぶら下げられている「風鈴蕎麦」と呼ばれるものもありました。

夜蕎麦売りには、安い「かけそば」を売る「夜鷹蕎麦(よたかそば)」というものがありましたが、夜鷹蕎麦よりも上等な蕎麦売りが、この「風鈴蕎麦」でした。
かけそばに具を載せており、値段もやや高かったといいます。

しかし、夜鷹蕎麦も真似をして風鈴をつけるようになり、見分けはつかなくなったそうとか。
この流行は江戸末期からですが、明治になっても引き継がれ、中華そば売りになったそうです。

店舗型の蕎麦屋もありました。
幕末、江戸の町には七百軒以上の蕎麦屋さんがあったとされるほど。
現代のように椅子に座って食べるのではなく、畳の上に座り、床にお盆や蒸籠(せいろ)を置いて食べていました。

食べるのも大好きな江戸っ子。商売も、もちろん熱心でした。

歌川貞秀(うたがわ さだひで)の「汐干狩の図」という作品の一部には、汐干狩には大勢の人たちがきている様子、それを目当てに蕎麦屋や、そのほかいろいろな物売りたちも集まってきている様子が描かれています。

商魂たくましい江戸っ子に、美味しいものや賑やかな祭りにすぐに飛びつく江戸っ子。
面白いですねぇ。

さて、本日の演目「秋蕎麦」
話の中に「秋蕎麦」の説明がでてきますので、ここで語るのは省かせていただきますがー
これまでとは違った創作落語。長屋噺か、粗忽噺か、人情話か、はたまた……

時は秋口。大工の新之介之介の仕事帰りからはじまります。
どうぞ最後までお楽しみください。

----【枕おわり】--------------------------------


新之介:いやぁ、この時期は暑くなったり寒くなったり忙しいもんだなあ。
今日は秋の風が吹いて、ちと肌寒いや。
何かあったけぇもんでも食いてぇなぁ。

お、こんなとこに蕎麦屋があるじゃねぇか。
小せぇ店だから気がつかなかったなぁ。
よし、入ってみっか。

こんばんは!やってるかい?

女将:はい、いらっしゃい。

新之介:蕎麦一杯、頼むわ。

女将:あいよ。

新之介:へぇ、女将さんがやるのかい?

女将:ええ、あたしひとりでやってるんですよ。
どうぞお好きなところへ、と言っても多くて四人が入れる程度の小さな店ですからね。
なんとかやってます。さ、カウンターへどうぞ。

新之介:かうんたぁ?

女将:ああ、ここ、お客さんと調理場を仕切る細長い机です。
要するに目の前。どうぞ。

もり蕎麦、ざる蕎麦、かけ蕎麦、どうなさいますか?

新之介:肌寒いから、あったけぇのがいいや。

女将:かけ蕎麦ですね。

新之介:……それにしても珍しいな。

女将:でしょうねぇ。
でも、女だからって、バカにされちゃたまったもんじゃない。
こんな蕎麦食べたことない!ってぇもんお出ししますからね。

新之介:へぇ、そいつぁ楽しみだ。
女将自ら蕎麦打ってんのかい?

女将:もちろんですよ。

新之介:すげぇなぁ。本当にひとりでやってんだ。

女将:ひとりきりですから……

「秋新(あきしん)」をお出ししますからね。

新之介:あきしん?

女将:秋に収穫された蕎麦の実や、それを粉にして蕎麦切りにしたものを、「新蕎麦」または「秋蕎麦」って言うんですよ。
新蕎麦の時期は秋以外にもあるので、秋蕎麦を「秋新(あきしん)」と呼んでるんです。
香りが高くて、深い味わいが楽しめますよ。

新之介:ああ、食通のヤツらが言ってるやつかぁ。
オラァそこまでこだわりねぇからよ。

女将:江戸っ子は本当、そういうところに目がないですからねぇ。
「アレがうまい!」と聞けば、高くても食べようとする。
マーケティングリサーチしなくてもいいくらいですよ。ふふふ。

新之介:ま、まーけて??

女将:おや、いきなり「負けろ」とおっしゃるんですか?
気が早いですねぇ。

新之介:いや、ちげぇよ。
いま女将が言った、まーけてんぐなんちゃら……

女将:ああ、市場調査のことですよ。
アンケートなどで市場の動向やトレンド、自社の商品やサービスの認知度や顧客のニーズを調べることです。

新之介:は?

女将:結果が数値でわかるものも多く、項目ごとの比較が可能です。
調査結果をもとに企業はマーケティング対策を適宜変更し、顧客に少しでも満足のいく商品を届けられるようにします。

新之介:あ、え?

女将:市場調査と同様の意味で、「マーケティングリサーチ」という言葉もよく使われていて、現況の把握にとどまらず、未来の市場の動きを予測・分析をおこない、商品の販促をめざすものです。ま、市場調査はマーケティングリサーチの一部ともいえますねぇ。

新之介:お?おう??それは蘭語(らんご)か異国の言葉かなんかかい?
まったく意味がわからねぇ……。女将、出身はどこだい?

女将:東京ですよ。

新之介:とうきょう?聞いたことねぇな。

女将:あ、失礼。江戸です。
いま、秋蕎麦お出ししますからね。

新之介:お、そうだそうだ。秋以外には?

女将:「夏新(なつしん)」「夏蕎麦」ですね。
寒冷地で栽培されていて、秋蕎麦と比べて質が落ちると言われてますけどね。

新之介:「夏新」か。知らなかったねぇ。
コイツァ、その辺で売ってる蕎麦とは違うもんが出てきそうだな。こりゃ楽しみだ。

―蕎麦切り→茹でる→水切り→器に入れる。

女将:はい、お待ちどうさま。
薬味おいておきますね。

新之介:ほう、これは美味そうだ。うん、いい香りだぁ。

ー割り箸を割る

新之介:ふぅふぅ……
(ズルズル音出せなくても、食べている感じを出してくださればOK)

おお、ええ?うまい!!
こんな蕎麦食ったことねぇ!
こらぁ、味にうるせぇヤツらが食いに走るわけだ。

女将:よかった……
新さんに喜んでもらえて……

新之介:え?オレの名前……
女将、知り合いだったかい?

女将:ああ、すみません。
新之介さん、この店の前を通ることがあるでしょう。

新之介:この前の道は通るけど、店があるのは気づかなかったなぁ。
こりゃあ悪いことをした。

女将:いえいえ。小さい店ですからね。
店の前で掃き掃除をしていたら、きれいな若い娘さんに「新之介さん」って呼び止められてるのを耳にしまして。
あの方は、新之介さんの「いいお人」ですか?

新之介:あ?い、いやぁ。お夏か。まぁなんていうか……

女将:隠さなくてもいいんですよ。お似合いです。

新之介:へへっ

女将:近々、お二人、ご一緒になるんでしょう?

新之介:ま、まぁそうなんす。オレ、大工やってるんす。
で、棟梁の娘さんと祝言をあげることになりまして……。

女将:それはおめでとうございます。ようござんした……

新之介:ん……?
あったけぇもん食ったばかりなのに、なんだか寒気が……
むかむかするというか……。

女将:あら、それはいけません。これ、飲んでみてくださいな。

新之介:これは?

女将:蕎麦湯ですよ。

新之介:これを飲むのかい?

女将:はい。蕎麦を茹でたあとの茹で汁で、蕎麦の風味が溶けだした白くてとろみがありますよ。

新之介:このまま?

女将:食後のお茶のような感覚で飲むと、体が温まってほっとする味わいを楽しめますよ。
蕎麦の香りや風味が口いっぱいに広がります。

新之介:じゃあ……(ひとくち呑む)
お、こりゃあうまい。

女将:少し味を変えたいときには、残ったそばつゆを入れてもかまいません。
ただ、そばつゆで割ると塩辛くなりすぎてしまうので、少しずつお好みで。

新之介:へぇ。

女将:そばつゆで割った蕎麦湯にお好みで薬味をいれてもようございます。
蕎麦湯はね、食べた後の胃腸を整えることができるんですよ。

中には、お客さんによりおいしい蕎麦湯を楽しんでもらいたいと、茹で汁ではなく蕎麦粉から作った蕎麦湯を出している処もあるようです。特に信州あたりですかね。

新之介:よく知ってんなぁ。
女将ひとりで、蕎麦屋を出してるくらいだから、そのへんの屋台とは違ぇな。
風鈴をつけた夜蕎麦売り(よそばうり)も食ったけどあるけどよ。
あれよりもうまい。

女将:なんだかんだ言って、新之介さんもグルメじゃありませんか。

新之介:ぐるめ……?するめ?

女将:食通ってことですよ。

新之介:いやいや……。

女将:蕎麦は、江戸わずらいの予防になりますしね。ビタミンB1欠乏症。

新之介:びたみんびー?

女将:長い間、玄米が中心で、白米は身分の高い人しか食べられませんでしたでしょう。
江戸時代になって、庶民でも白米が食べられるようになりました。

新之介:ああ、「江戸には仕事もあって、なにより白米が食える!」って、地方から人が集まりはじめて、より賑わったようだからなぁ。

女将:江戸の人口増加の最たる理由は「白米」とまで言い切る学者筋もいるほどです。

新之介:女将さんよぅ、学者さんなのかい?
時々、難しい言葉を使うねぇ。

女将:いやだ、学者じゃありませんよ。
でも、江戸を訪れた地方の侍や大名を中心に、江戸に行くと体調が悪くなる、足元がおぼつかなくなる、怒りっぽくなる、場合によっては寝込んでしまう人が続出。
ところが、故郷へ帰るとケロリと治ったことから「江戸わずらい」と呼ばれるようになった……。

あれは「脚気」ですよ。「脚気」

新之介:学者じゃなかったら、なんだ、医者かい?

女将:まさか。
ただ、いろんなことを知りたいだけの、オタクですよ。

新之介:おたく……。

女将:あ、もしかして、オタクに偏見持ってらっしゃいます?オタクは悪くないんですよ。
「こだわりがある対象をもち、それに対して時間やお金を極端なほど集中的に消費しつつ、深い造詣と想像力をもち、かつ情報発信活動や創作活動なども行っている人々」のことですから。

新之介:はぁ……??
まぁよくわかんねぇけど、面白れぇ女将さんだな。

こんなこと言ったらなんだけどよ。所帯は持たないのかい。

女将:まぁ……、こんな変わった女でもいいという方がいらしたら……。
でも、あまりそのつもりはないんですけどね。

新之介:こどもがほしいと思わねぇのか?

女将:それはセクハラ発言ですよ。

新之介:せくはら?

女将:ああ、失礼。
なんといいますか、前のお方のことをなかなか忘れられなくて……。
嫁にもらってくれると言ってくださっていたのですが……

新之介:そうか……。どんな男だったんだい。
よかったら、聞かせてくれよ。

女将:新之介さんと同じ大工です。
真面目で誠実、人情にあつく、そして、女子供にはとても優しいお方でした。

新之介:どうしてダメになっちまったんだい。

女将:そう思ってたのは、あたしだけだったんです。

新之介:え?

女将:実は、あたしより先に、棟梁の娘さんと婚約していたんです。

新之介:おいおいおい、穏やかじゃねぇな。

女将:二股ですね。

新之介:で?女将から振ってやったんだろ?

女将:でもね、あたし別れるのも辛くて……。
向こうもお前と離れたくない、なんて優しくしてくれるものですから……。
妾の話まで出まして、あたしもそれでもいいかな、なんて。
悩んで悩んで……

新之介:女にこんな思いさせるなんて、とんでもねぇ男だな!

女将:そうしましたら、棟梁の娘さんに夜呼び出されまして……。
この前の道、少し先にある橋です。

新之介:あそこか!大きな柳があるところだな。
まさか修羅場になったんじゃあるめぇな。

そ、それで?(ごくり)

女将:娘さんから、別れるように強く言われました。
別れないとどうなるかわからないよ!とすごい剣幕でした。
お金を渡すから、今日明日中に、江戸から出て行ってくれと。
十両です。

新之介:十両か……、その娘もなかなかのもんだな。
受け取ったのかい?

女将:娘さんから言われなければ、あたしから別れていたかもしれません。
でも、十両の金を無理やり渡そうとされて、癪に障りましてねぇ。
「あたしは絶対に別れません!」と言ったんです。そしたら……

新之介:そ、そしたら……?

女将:隠し持っていた包丁でブスリと。

新之介:ええっ!さ、刺されたのか!

女将:そして、川へ落とされました。

新之介:ちょ、ちょちょちょっと待ってくれよ!

女将:あたしは、その時死んだんです。

新之介:ッ!!
ま、ま、まさか、幽霊なんて言わねぇよな……。

女将:目が覚めたら、見たこともない場所にいました。
見上げるような灰色の高い建物、見たこともない乗り物、変わった洋装の人たち。
空が小さく、うっすらと灰色がかっていて、うるさくて、空気が悪くて……。

東京という場所です。約150年以上未来の江戸の姿でした。

新之介:何言ってッー!

女将:刺されたはずの場所は治っていて、わけが分からず……
その時、店を開ける用意をしていた蕎麦屋の女将さんが気づいて、介抱してくださったんです。
そこで住み込みで蕎麦のことは学ばせていただきました。

新之介:わけがわからねぇよ……。

女将:ここで起きたことはすっかり忘れて、一生懸命働きました。
そして大将の息子さん・新太郎さんと結婚して、二人で新しい蕎麦屋を出せたんです。
あたしは本当に幸せでした。

新之介:……

女将:ところが、またです。
新太郎さんには……、夏美という女がいたんです。
その時、一気に思い出しました。江戸でのことを……
あたしはパニックになり外へ飛び出し、足元をとられて、川へ落ちてしまったんです。

そして、気づくと江戸にもどっていました。

新之介:や、やだなぁ、女将さん。
話も面白れぇな。噺家になれるんじゃねぇのか?ハハハ……
そ、そんな、そんな突拍子もねぇ話、信じられるわけねぇよ。

女将:信じられないでしょうねぇ。新之介さん。

お夏さんはお元気ですか?

あたしのことはもうお忘れですか?

ー頭巾を外す女将

新之介:お、お前、ア、ア……

女将:お秋です。
新之介さん、お久しゅうございます。

新之介:ヒッ!

ー逃げ出す

新之介:戸がっ!戸が開かねぇ!

―戸を勢いよく叩く(どんどんどんどん)

女将:新之介さん、もうこの店に入ったら二度と出ることはできませんよ。

新之介:う、嘘言うんじゃねぇ!くそっ、開けろ!開けっ!蹴破るぞ!

女将:無駄ですよ、新之介さん。

新之介:あ、あれは!お夏が勝手にやったことなんだ!オレぁっ!オレぁ知らねぇ!!

女将:落ち着いてください。新之介さん。

新之介:馬鹿野郎!これが落ち着いていられるかってんだ!

女将:憑りついたりはしませんよ。

新之介:く、来るな!あっちへ行け!

女将:あたしの愛しい新之介さん。

新之介:悪かった!この通りだ!許してくれ!頼む!!

女将:そうやってすぐ逃げる癖はなおってないんですね。新之介さん……
大丈夫。あたしがなおしてあげますからね。

新之介:誰かっ!誰か助けてくれーーーーっっ!!!


女将:ずっとあなたの「おそば」にいます……


【終演】