落語声劇『富士見酒』(酒呑噺)

【登場人物】[1:1]

・亭主/枕:小間物屋店主。酒呑みで、女房に店をまかせっきり。
・女房:しっかり者。酒呑みの亭主に少々手をやいている。

亭主は、小間物屋店主だが、酒呑みで、女房に店をまかせっきり。そんな亭主に手をやいている女房。なんとか心を入れ替えさせたいと一芝居うつことに。
落語「試し酒」を少し絡めた話にしています。

【豆知識】
・「宝永大噴火」(ほうえいだいふんか):富士山が最後に噴火したのは1707年の宝永大噴火。江戸でも昼間から真っ暗になるほど大量の火山灰が降り、多数の犠牲者が出た。こうしたことから、富士山は江戸時代の人々には畏れるべき自然の脅威の象徴とされていた。

・「富士講」(ふじこう):「富士講」は富士山を信仰する人々による組織で、「講」とはグループという意味。江戸時代に関東を中心に流行し、各地にたくさんの講ができ、富士山を登拝するために旅してきた。富士山の麓には「御師(おし)」と呼ばれる富士講の人々の食事や案内、お祈りなどの世話をしていた人たちが集っていた。

・「富士塚」(ふじづか):富士山を模した塚が、関東を中心に至るところに作られたのも江戸時代から。現在のような交通機関のない当時、富士登山は大変な労力をともなう行為。そこで富士山にまで登りに行けない人々でも富士講の参詣が気軽にできるように、各地に富士塚が作られ。現在の東京にも、品川神社の品川富士や氷川神社の目黒富士など、いくつかの富士塚が残っている。

・「女人禁制」:修験道の伝統として、霊山などの女性の入山を禁止していた。 富士山も1872年「明治5年」の太政宮布告により禁が解かれるまで、女人禁制であった。

・「酒呑童子」(しゅてんどうじ):丹波国と丹後国の境にある大江山、または山城国と丹波国の境にある大枝(老の坂)(共に京都府内)に住んでいたと伝わる鬼の頭領、あるいは盗賊の頭目。酒が好きだったことから、手下たちからこの名で呼ばれていた。

・「一升」(いっしょう):一合の10倍、10合分=1800ml
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【枕】
日本を象徴する山といえば「富士山」
日本一高い山としての存在感や、美しいシルエット。
現在、富士山がみられるのは稀ですが、よく晴れた日など場所によっては富士の姿を見ることはできますね。やはり富士山が見えると、気分も大変高揚いたします。
江戸の人々にとって、富士は身近な、大きな存在でした。かつて富士山は、関東平野のいたるところから望め、人々は日常的に手を合わせたそうです。浮世絵師たちが江戸の町とともに描き出した富士山が、大きく描かれていることは、江戸人のこのような心情を反映しているようです。

さて、桜を見ながら呑む酒を「花見酒」、月を見ながら呑む酒を「月見酒」と言いますが、富士山を見ながら呑む酒を「富士見酒」……だと思っている方も多いかもしれませんが、本来は別の意味で使われていた言葉でして、この「富士見酒」という言葉の起源は江戸時代までさかのぼります。

兵庫県神戸市にある「灘五郷(なだごごう)」は、「日本一の酒どころ」といわれる場所。
江戸時代、酒の本場である灘(なだ)で作られた酒は上質と言われ、当初、馬で江戸まで送られていましたが、次第に船で運ばれるようになり、江戸に下るという意味で「下り酒(くだりざけ)」と呼ばれていました。

富士山を見ながら江戸まで運ばれてきた酒は、馬の背や船の上で程よく揺られ、酒樽(さかだる)の吉野杉の香りが移ることで、とても美味しいお酒になり喜ばれたとか。

そして、江戸で売れ残った酒はふたたび灘に戻されたのですが、出荷する前よりも丸く、木の香りのするお酒に進化したことで「富士山を見て戻ってきた酒はうまい」と評判になり、「富士見酒」と呼ばれ人気が出たそうです。

江戸時代の人が馬や船で運んだという「富士見酒」の美味しさ味わってみたいものでございますねぇ。

【枕ここまで】
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※亭主はもう酔いはじめている。

女房:いやぁ、今朝も富士山がよく見えるねぇ。
「今日もよろしくお願いします」と(手を合わす)

亭主:何やってんだ?

女房:富士山に「商売繫盛」をお願いしたのさ。

亭主:富士?おお、今日もいいお姿だ。気持ちがいいねぇ。

女房:これは、北斎、広重あたりの富士の絵が売れそうだねぇ。
あとは富士山の手ぬぐいや煙草入れ、着物、櫛やかんざし……

亭主:桜も咲いて、いい景色だ。桜に富士山……。
おい、こいつぁ商売どころじゃねぇぞ!花見だ、花見酒だな。

女房:なにいってんのさ!
ことあるごとに呑もうとするんだから、油断も隙もありゃしない。

亭主:じゃあ、客に一杯ふるまうってのはどうでぇ。
灘(なだ)の酒なんか出したら、そりゃぁ客も喜ぶだろうよ。

女房:そんなこといって……。
「旦那もどうぞ」
「へぇ、恐れ入ります。それじゃ一杯」なんてやるつもりなんだろ?

亭主:「どうぞ」って言われたら、断れねぇだろ?
おぅ、看板だしとけよ、「居酒致し候(いざけいたしそろ)」ってな。

女房:(ため息)はいよ。

亭主:しかし、富士はよ、遠くから見てるから、いいねぇ~と思うんだ。
実際いってみろ。岩やら石っころばかりだぜ?
しかも、お怒りになって、噴火されたらひとたまりもねぇ。

女房:ああ、宝永(ほうえい)の大噴火は、すごかったらしいねぇ。

亭主:江戸でも、昼間から大量の灰が降って真っ暗になったらしいじゃねぇか。

女房:そうらしいねぇ、たくさん亡くなったとか。
ああ、怖い怖い。やっぱり、拝んどかないと。

亭主:いつ機嫌を損ねるかわかんねぇ、女みてぇなもんだな。

女房:なんだって?

亭主:ああ、雷様のお怒りだぁ。くわばらくわばら!

女房:ちょいと、からかうのもいい加減におしよ!

亭主:ま、それもあって、富士山に登る信仰のあつ~い皆さんがおいでなさるんだ。

女房:ああ、二十人から三十人でいらっしゃる「富士講(ふじこう)」だろ?

亭主:えぇと、まず麓(ふもと)の浅間神社(あさまじんじゃ)にお参りして、なんだかん
だで下山して、麓の町で宴会すんだろ。ほらな?だから、酒を用意しておかねぇと。

女房:なんだかんだでって……、
お前さんが言うと、「早く仕事済ませて酒が呑みたい!」にしか聞こえないねぇ。

亭主:しかし、お天道様の下で、富士山を遠くから眺めて、昼間っから酒を呑むのが―

女房:(被せて)いいんでしょう?わかりました。
アタシは……、無理とわかってはいるけど、一度は登ってみたいと思うねぇ。

亭主:山は「女人禁制(にょにんきんせい)」だぁ。
山は「魑魅魍魎(ちみもうりょう)」が住む場所だから、女は安全のために近づいてはならねぇってな。ま、それでも、二合目までは登れるんだろ?

女房:修行で「煩悩」を制御するためだの、女は「血の穢れ(けがれ)」があるからだの、
勝手な言い分じゃないか。アタシは納得いかないねぇ。

亭主:そんなに登りてぇなら「富士塚」でも登ってこいよ。

女房:ああ、「お富士さん」かい。

亭主:品川、目黒……、あとは、あー、なんだ、まぁ、いっぱいあるじゃねぇか?
酒持って、富士塚登ってくりゃ「富士見酒」になるぜ?それを店で出してみな。

女房:それじゃ、インチキじゃないか。

亭主:よほどの通でなければ、わかりゃしねぇよ。

女房:お前さんこそ修行してきたほうがいいんじゃないかい。

亭主:オレかぁ?「おふじさん」っていい女が出迎えてくれて、
酒注いでくれるってんなら、考えなくもない。

女房:まったく、お前さんから煩悩をとったら、影も形もなくなりそうだね。

亭主:なんだと、この野郎!その通りだ、この野郎!酒持ってこい、この野郎!

女房:声が大きいんだよ。
ほらぁ、お客さん、うちの店を避けるように歩いてるじゃないのさ。

亭主:上等じゃねぇか、この野郎!

女房:まさか……。あ!もう呑んでるのかい?(ため息)
もうお前さんはいいよ。奥で寝てなさいよ。

亭主:んだとぉ?……じゃ、ちょいと横にならせてもらうぜ。おい、水!

女房:そのくらい、自分でくんでくださいよ!

亭主:そんじゃ、お水、お水、迎え酒っと。

女房:ちょいと!わかりました。はいはい、どうぞお水です。

亭主:ちっ、つまんねえな。おてんと様がでて、富士山に桜が拝めてるってのによぅ。

女房:ぶつくさとうるさいね。お酒は、店じまいしてからだよ。
(客へ)ああ、いらっしゃいまし。どうぞどうぞ、ご覧くださいましな。

【間】

女房:さ、看板も下げて……。店じまいと。

亭主:これでやっと、酒が呑めるなぁ。よしよし。

女房:なにいってんだよ。もうとっくにやってるじゃないのさ。

亭主:おい、おっかあ、お前も呑め。

女房:あら、私にも注(つ)いでくれるのかい?

亭主:今日も一日おつかれさん、ってやつだ。ほら、お猪口(おちょこ)出しな。

女房:おやおや、それじゃあ……。

―注ぐ

女房:ああ、この香り……。まさか「富士見酒」かい?

亭主:そいつぁ灘から江戸へ、江戸から灘へ、そしてまた江戸へ来た出戻り酒だよ。

女房:インチキくさいねぇ。どこから仕入てきたんだか……。
ま、ありがたく頂戴しますよ。(くいっ)

亭主:お!いいねぇ。ようっ、これで、富士山一合目ってとこか?

女房:お猪口一杯で一合なわけないだろう? 四杯で一合ってとこだね。

亭主:面白れぇな。よし、富士の絵でも見ながら、酒で富士登山と行こうじゃねぇか。
富士見酒だ!

【間】

亭主:ぷはぁ~。おい、これで富士山の何合目だ?

女房:二合目ってとこだね。

亭主:女・子供が登れるとこまで辿り着いたか。
おう、こっから先は、女人禁制だぜ。

【少し間をおいて】

女房:……ヒック!

亭主:あ?

女房:……ふざけんじゃないよ!

亭主:な、なんだよ……、びっくりするじゃねぇか。

女房:な~にが女人禁制だ。女を馬鹿にすんのもいい加減にしろってんだ!

亭主:なんだぁ?酔ったんか。

女房:酔ってません……。注(つ)いでください。

亭主:え?

女房:お前さん、注(つ)いで……

亭主:な、なんでぇ、妙に色っぽいのはいいけどよ。オメェ、かなり酔ってるぜ?

女房:……注げって言ってんだよ!!

亭主:ちょ、ちょっと待てよ。

女房:注(つ)げ!!

亭主:はい!……え?

女房:何だぁ、なんで急に正座してんだぁ?

亭主:い、いや。この辺りで富士登山はやめておかねぇか。
山ァ登って酒呑んだら危ねぇぜ?

女房:あぁ?こっから先が面白れぇんじゃねぇか。逃げ腰になってんじゃねぇぞ、ゴラァ!

亭主:悪酔いしやがった……。

女房:お猪口でちびちび呑んでちゃぁ、埒(らち)があかないんだよ!
あれだ!あそこに飾ってある盃(さかずき)、持ってきな!

亭主:あれって……、大盃(たいはい)のことか?

女房:そうよ。一升入る大盃よ。

亭主:待て待て待て待て。

女房:んじゃ、自分で持ってくっから、ちょっと待ってろぉ。よいしょお。

亭主:おいおい、足元ふらっふらじゃねぇかよ。やめなさいって。

女房:ふらふらじゃないよ。ほ~ら、大きな盃だぁ。いい朱色だねぇ。
アタシはね、丹波の生まれで大江山の「酒呑童子(しゅてんどうじ)」の生まれ変わりなんだよ?知らなかったのかい?

亭主:知らねぇよ!んなわけねぇだろう!

女房:酒呑童子(しゅてんどうじ)様のおな~り~。

亭主:鬼なら、その首、切り落とすぞ!

女房:あんだぁ?お前は、何柱だ?

亭主:は、柱?……だ、大黒柱?

女房:ふ~ん。その大黒柱さんとやらよ。この鬼と仲良くしようじゃないのさ、ええ?
アタシと盃を交わそうじゃないの。

亭主:いったいどうしちまったんだよ……。

女房:ええ?アタシとお前さん二人で、富士山を登ってんだろぉ?
山伏(やまぶし)は山登りを生涯に例えて、「山頂到達で一生」、つまり「一升」と解釈してんだ。富士山に登れないなら、ここで一升呑んでやろうじゃないの。

亭主:修行じゃねぇんだよな……

女房:よし、注(つ)げ。

亭主:やめとけ、呑めねぇって。

女房:あんだぁ?「武蔵野(むさしの)」って言いたいのかぁ?

亭主:「武蔵野」ぉ?どういう意味でぇ。

女房:武蔵野は何もなく、ただただ野原が広がっている。ただただ広~~い野原。
見尽くすことのできない野原。だから、「野を見尽くせない」「野、見尽くせない」「の、みつくせない」「呑み尽くせない」

亭主:ハハハ!なるほどねぇ。そういや、一升入る大盃を「武蔵野」って言うんだったな。

女房:ハハハ!……って笑ってる場合じゃないんだよ!いいから注げ。

亭主:おいおい、目が座ってんなぁ。こんなに酒癖が悪かったかぁ?
これじゃ明日、店開けなくなるぜ?

女房:へぇ?自分のことは棚上げかい?
いつも、お前さんが酒でつぶれてるから、アタシが毎日毎日、ひとりで切り盛りしてんだよ?

亭主:まいったね、こりゃ。言い返せねぇや……。
じゃあ、注(つ)ぐけどよ。無理すんなよ。

―注ぐ

女房:っとっと……。よーし。そんじゃあ、いただきます。(ゆっくり呑む)ぷはぁ~。

亭主:本当に全部呑みやがった。よし、これでしめぇだ。もうやめとけ。

女房:お前さん、勘違いしてないかい?

亭主:なにをだよ、いま一升のんだろ。もう十分だろう。

女房:その前に、二合呑んでるんだよ?

亭主:……は?

女房:ということはだよ?いま山頂についたんじゃなくて、もう下山中なのさ。

亭主:ええ~。下山するまで呑むつもりかよ。

女房:ええ、呑みますよ?なんせ富士山中で迷っちゃあ大変だ。
しかも、アタシは女。いつまでも山の中にいたら、富士山がお怒りになって、噴火するかもしれないよぅ?ということで、はい、注いで。

亭主:わかった、わかった!オレが呑むから!な?おめぇはもうやめとけって!

女房:ほぅ?昼間っから吞んだくれてる大黒柱に言われたくないねぇ。
ここはアタシが吞みます。何と言われようと、呑みます。

亭主:いやいやいやいや!

女房:つべこべ言わずに、さっさと注(つ)ぎなって言ってんだよ!

亭主:いやいやいやいや!

女房:さぁ、さぁさぁさぁ!

亭主:(しぶしぶ注ぐ)介抱する身にもなれよ……

女房:ああ?どの口が言う?よ~し(呑む)

亭主:信じられねぇ、全部吞んじまいやがった……。

女房:いやぁ、これで無事、富士山をおりてまいりましたっと!へへ~!

亭主:こりゃあ、明日は店、閉めるか……?

女房:なぁに言ってんだい。一日でも閉めてみな。おまんまが食えなくなるよぉ?

亭主:ぜってぇ明日は客相手できねぇだろ?おめぇがいなきゃ、店が回んねぇんだよ。

女房:なんだってぇ?

亭主:だ、だから、オレ一人じゃ、店回せねぇんだって。
いつもおめぇがうまいことやってくれてんだからよぅ。

女房:それでぇ?

亭主:これでも、すまねぇな、ありがてぇな、と思ってんだって……

女房:だからぁ?

亭主:これからは、店もちゃんとやるし、酒もほどほどにするからよぅ。

女房:……そうかい。ふ、ふふふ……あははははは!
いまお前さんが言った言葉、よ~く覚えとくよ。

亭主:へ?

女房:(素に戻る)さてとっ、片付けて、寝るとしようかねぇ。よいしょっと。

亭主:お、おめぇ。へべれけになっちまったんじゃねぇのか?

女房:このくらいの酒、なんてことないのさ。

亭主:だましやがったな!

女房:だましたつもりはないねぇ。言っただろ?アタシは酒吞童子だって。
さ、明日も早くから店開けますから、店の主人として、いいところ見せておくれよ。

亭主:こいつぁ一本取られたね……。いや、一升か。

女房:ああ、明日は、またいい富士山が見られそうだねぇ。

亭主:これだから、山もかかあも怒らせちゃいけねぇ。


【終演】