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【登場人物】
■ヒカルの君(♂):源光(みなもと ひかる)、平安時代前期の公卿(くぎょう)。第一親等の皇族ながら、多くの兄弟と共に源姓を賜って※臣籍降下する。
藤原時平と結託し菅原道真を失脚させた張本人の一人とされている。
(男声が出せれば不問)
■あやめ(♀):人ならざる者。名前が次々に変わりますが、同じ調子でも、少し雰囲気を変えても構いません。最後だけ、母親のように話してください。
※約30分
※史実をもとに脚色。
※ジャンル:ファンタジー
#オンリーONEシナリオ2022
------【本編】---------------------------------------------------------
―五月、満月。夜の草原。【SE】
ヒカル:……あやめ?あやめ?
―あやめ、スゥッと現れる【SE 鈴の音】
あやめ:はい、ここにおりますヒカル様。
ヒカル:あやめ、久しいのぅ。息災(そくさい)であったか。一年ぶりか。会いたかったぞ。
あやめ:わたくしもでございます。
貴方様にお会いしたく、この身引き裂かれんばかりでございました。
ヒカル:あやめ……、こちらへ。
あやめ:はい。
―ヒカルの君、あやめを抱きしめる【SE衣擦れ】
ヒカル:ああ、そなたのすっとした姿、文目(あやめ)模様、気品を漂わせる紫の着物がまこと美しいのう。
あやめ:ありがとうございます。ヒカル様は、紫がお好きでございますものね。
ヒカル:ああ、紫は好きだ。高貴、上品、優雅な色、何より紫は人の心を癒してくれる。
あやめ:神秘的な色で霊妙、妖しさもありますが……。
ヒカル:それも含めて、紫が好きなのだ。
あやめ……よい香りだ。清廉さ、優雅さ……
あやめ:人は好きな香りには直ぐに反応し、そうではない匂いは感じにくいそうです。
ヒカル:なるほど。我には好きな香りなのだな。
しかし、このように近くで香りをかぐ者も少なかろうて。
あやめ:……はい。
ヒカル様もよき香りが……、これは「白檀(びゃくだん)」でございましょうか。
ヒカル:そうじゃ。
あやめ:ほのかに甘く優しい香りで安心いたします……。
ヒカル:香を焚いておったのでな。
あやめ:白檀の優しい香りが生まれるまでには五十年以上の歳月がかかるとか。
ヒカル:五十年か……、この香木もようやく香りが出るようになった。
あやめ:……どなたからいただいたものでしょう。
ヒカル:もう覚えてはおらぬ。
あやめ:……母上様だったのでは?
ヒカル:わからぬ。母との思い出は少ない。
あやめ:さようでございますか。
【間】
ヒカル:見よ、今宵は満月だ。綺麗な月だ。少し歩くか。
あやめ:はい。わたくしにとって月はずっと綺麗でございました。
ヒカル:そうか。
あやめ:ずっと一緒に月を見てくれますか?
ヒカル:ああ。もちろんだ。
あやめ:……。わたくしの前は、どなた様と逢瀬を?
ヒカル:なにを言う。我はお主にしか会っておらぬ。
あやめ:それならば、なぜ一年も会いに来てくださらないのでしょう。
ヒカル:政(まつりごと)が大変忙しゅうてな……。
お主と会った時のことを覚えておるか?
あやめ:もちろんでございます。
ヒカル:美作(みまさか)・相模・讃岐(さぬき)の権守(ごんのかみ)といった地方官、さらに正四位(しょうしい)・左兵衛府(さひょうえふ)に叙任(じょにん)され、地方官も引き続き兼帯(けんたい)しておる頃に、あやめと出会うことができた。
あやめ:はい、そうでございました。
ヒカル:あの時も、美しい満月の夜であったな。
あやめ:ヒカル様も、若々しく、輝くように美しく、まさに「光る君(きみ)」でございました。
ヒカル:そうか……。あやめと出会った時は、まだ十代だった。
政に慣れてないせいか、疲れを覚え、一人になりたくなり、他の者に見つからぬよう、夜深くに屋敷を出てきたのだ。そして、何かに惹かれるようにここに来たのであったな。
あやめ:ええ。お会いした時は、顔色も悪く、大変お疲れのご様子。悪い氣が溜まっているようでしたので、菖蒲を使い、邪気払いをさせていただきました。剣の形の葉が邪気をはらうのです。
ヒカル:そうであったな。あの時は助かった。
あやめ:氣は同じものを引き寄せます。良い氣の場合も悪い氣の場合も同じです。悪運は悪運を、不運は不運を、といった具合に同じものを引き寄せてしまいます。
ヒカル:重い体が軽くなった。そして、見目麗しいそなたがおった。
あやめ:……身の回りの世話をする女官はいらっしゃるのでしょうか。
ヒカル:もちろんだ。
あやめ:……(複雑な気持ち)
ヒカル:あくまで女官だ。そのような顔をするな。
あやめ:本来ならば、わたくしがお側にいて差し上げたい……。
ヒカル:できればそうしたいのだが……
源の姓になったものの、我は仁明天皇(にんみょうてんのう)の血筋であるため、その……。
あやめ:わかっております。
高貴の出ではないわたくしなど、正室になれるはずもございません。
ましてや会いに行くことなど―
ヒカル:すまぬ。
あやめ:いいえ。こうしてわたくしのことを忘れず、会いに来てくださることが唯一の慰めでございます。
ヒカル:あやめのように美しく優しい女子(おなご)には会ったことがない。
しかし、宮中に入れば、女子同士の醜い争いもある。
相手を陥れようと画策し、利用し捨てられ、傷つき、いつの間にか姿を消した者もおる。そのような中に、あやめを連れて行きたくないのだ。
あやめ:わたくしを守るために?
ヒカル:あやめの悲しむ姿など見たくない。あやめは我だけのものなのだ。
あやめ:ヒカル様……。うれしゅうございます。
ヒカル:(笑う)泣くでない。
あやめ:申し訳ございません。
ヒカル:謝ることもない。愛しいのぅ。あやめに涙は似合ぬ。ほれ。
―あやめの涙を拭く
あやめ:あ、お袖が汚れてしまいます。
ヒカル:構わぬ。
……まもなく、次の天皇が即位されるであろう。
あやめ:お噂は聞いております。
ヒカル:さよう。また、位を授けられるであろう。
政の中心に、さらに入ることになるやもしれん。
あやめと、このような時がとれるのであろうか。
あやめ:ヒカル様。またお会いできなくなるのですね。
ヒカル:すまぬ……。会えぬ時は、文(ふみ)を出そう。
あやめ:うれしい……。
ヒカル様からの「よい便り」をお待ちしております(菖蒲の花言葉)
(少し間)
あやめ:ヒカル様……。
ヒカル様がいらっしゃった時のためにお酒を用意しておりました。
ヒカル:ほぅ。
あやめ:菖蒲は「薬」にも使われておりますが、「菖蒲酒」(しょうぶざけ)は体に良いとされています。お持ちしますので、しばらくお待ちください。
ヒカル:菖蒲酒か。楽しみだ。
―あやめ、酒を持ってくる。
あやめ:こちらでございます。
ヒカル:葉を一枚さしてあるのか。それも一興だ。
どれ。(香りを嗅ぐ)おお、これは、なんとも言えぬ優しい香り。
(飲む)ああ、若葉の香りをはこぶ薫風(くんぷう)のように爽やかな酒。美味いぞ。
満月に菖蒲酒、そばにはあやめ。
……ん?あやめ?
あやめ:はい、ここに。「かきのもと」のおひたしを持ってまいりました。
ヒカル:ん?紫菊(しぎく)のおひたし……?
あやめ:どうされましたか?
ヒカル:いや、それは秋のものではないかと……。
まぁよいか。あやめ、酒を注いでくれるか。
あやめ:はい。
ヒカル:(飲む)日頃の鬱屈から開放されるようだ……。
あやめ:お疲れがたまっておられるのでしょう。少し横になってはいかがですか。
ヒカル:ここでか?
あやめ:わたくしの膝でよろしければ……。
―あやめの膝枕で横になる
ヒカル:ふぅ……。まるで、夢現(ゆめうつつ)……。
あやめ:どうぞ目をつぶっておやすみくださいませ。
ヒカル:うむ……。
あやめ:「幸運は必ず訪れ」ます(かきつばたの花言葉)
【間】【SE夜の森】
ヒカル:む……。しばし眠ってしまったようだ。
あやめ:そのようで。
ヒカル:どこまで話したかの?
あやめ:光孝天皇の即位後は※参議に任ぜられた、と。
ヒカル:……?そうか。そうであったかの……?
あやめ:はい。光孝天皇はご兄弟であったとも。
ヒカル:あ?……ああ、優しい兄であった。
あやめ:はい、静かで淑やか(しとやか)、慈しみ恵み、心のひろい帝であらせられました。民にも慕われておりました。
ヒカル:和歌や和琴(わごん)も好んでいた。
あやめ:「君がため 春の野に出でて 若菜つむ わが衣手に 雪はふりつつ」
(きみがため はるののにいでて わかなつむ わがころもでに ゆきはふりつつ)
ヒカル:うむ。
あやめ:恋しい人への真心が染み入るような和歌でございます。
春の「若菜」(春の七草)を食すことで邪気を払う。真白な雪と芽吹いたばかりの緑の対比が美しく、目に浮かぶようです。
ヒカル:よき歌じゃ。我とは違うものを持っていた。
しかし、政にはあまり向いていないようにも思えたな。
あやめ:さようでございますか。
ヒカル:藤原基経(ふじわらのもとつね)の推挙により五十五歳で帝になったが、在任中は基経に最大限の権限を与えていた。
藤原氏は常に、実権を得ようと裏でも動いている。他氏(たし)を着々と排斥してきた。
中臣鎌足が大化改新の大業をなし、天智天皇より藤原の姓を賜ったことから、藤原は、皇室の外戚としてその力を確固たるものとした。
あやめ:ヒカル様が巻き込まれないか、大変心配でございます。
ヒカル:案ずるな。我にそのような野心はない。
あやめ:……
ヒカル:しかし光孝天皇はすぐ病を得て、重篤になり、崩御。たった三年の在位であった。
あやめ:光孝天皇は、桓武天皇の先例にならい「鷹狩」を復活させましたね。
ヒカル:そう「鷹狩」……。
―ヒカル、起き上がる
ヒカル:う……。
あやめ:いかがなさいましたか?
ヒカル:鷹狩……
あやめ:……。ヒカル様は、その後、宇多天皇、醍醐天皇のもとで、大納言までなられて―
ヒカル:醍醐天皇……。うう……
あやめ:ヒカル様?
ヒカル:頭が……痛い……
―歩き出すが、足元が湿地であることに気づく。【SE】
ヒカル:ここは……、草原ではなかったか?
あやめ(かきつばた):ヒカル様。足元にお気を付けください。
ヒカル:あやめ……?
あやめ(かきつばた):「かきつばた」でございます。
ヒカル:かきつばた……。我はあやめと話していたのでは……?
あやめ(かきつばた):いいえ、かきつばたでございます。
ヒカル:そうか……?少し酔うたのかのぅ。
ああ、足元が濡れてしまった。
あやめ(かきつばた):ヒカル様、お手をこちらへ。川べりにあがりましょう。【SE】
ヒカル:うむ……。
あやめ(かきつばた):ところで、菅原 道真(すがわらの みちざね)様は、ご健在ですか?
ヒカル:みち……ざね……?
あやめ(かきつばた):宇多天皇(うだてんのう)の近臣。文才に優れ、学者であり、文武両道に秀でた素晴らしいお方でした。宇多天皇が相談した相手は、道真様お一人であったとか。
藤原時平(ふじわらの ときひら)様が大納言(だいなごん)兼 左近衛大将(さこんのだいしょう)、道真様は権大納言(ごんのだいなごん)兼 右近衛大将(うこんのだいしょう)に―。
ヒカル:時平……。頭が……痛い……。
あやめ(かきつばた):宇多天皇は、皇子(みこ)の醍醐天皇(だいごてんのう)に譲位され、道真様を引き続き重用するよう強く醍醐天皇に求め、藤原時平(ふじわらの ときひら)様と菅原 道真(すがわらの みちざね)様にのみ「※官奏執奏(かんそうしっそう)」の特権をお許しなられました。
ヒカル:(頭が痛いまま)うぅ、そうだ……。時平が左大臣、道真が右大臣に……。
あやめ(かきつばた):ですが、道真様の※栄進(えいしん)をねたむ者も多く、藤原氏にとって道真様は強力な対立者とみなされて―
ヒカル:かきつばた、道真の話はするな……
あやめ(かきつばた):間もなく「宇多上皇を欺き惑わした」「醍醐天皇を廃立して娘婿の※斉世親王(ときよしんのう)を皇位に就けようと謀った」として左遷―
ヒカル:かきつばた、そんな話をしに来たのではない……
あやめ(紫菊・しぎく):ああ、川べりは冷えますね。
でも、虫の声が綺麗。【SE】
ヒカル:秋……?我はあやめが咲くころに、ここに来たはず―
しかし、この空気は……。
菊が咲いている……?あやめ??
あやめ(紫菊):紫菊でございます。
ヒカル:紫菊?待て、あやめ、かきつばたはどこに?
あやめ(紫菊):最初からわたくしでございました。
ヒカル:ちがう……。
あやめ(紫菊):ヒカル様、しっかりなさいませ。
道真様は、ご健在でいらっしゃいますか?
ヒカル:待て……、やめるのだ。
あやめ(紫菊):宇多上皇はこれを聞き、醍醐天皇に面会し、とりなそうとしたものの、衛士に阻まれて参内(さんだい)できず、また道真様の弟子も取り次がなかったため、宇多上皇の参内を天皇は知らなかった……。
ヒカル:あれは時平の「※讒言(ざんげん)」だ。時平と菅根(すがね)らが政治の主導権を奪還せんとしたのだ!
我は関係ない!醍醐天皇も、知っていてそれをよしとしたのだ!
ヒカル:それにしても寒い……。【SE】
秋の空気ではない……。吐く息が白い……
あやめ(菫):時平様と結託し、道真様を失脚させましたね。
ヒカル:違う!!うう……(頭も痛く、寒さで震える)
あやめ(菫):頭が痛いのですか?おかわいそうに……。
そして、道真様の後任として右大臣に叙任されました。
ヒカル様は道真様の後任として正三位(しょうさんみ)・右大臣に叙任されました。
「大宝律令」制定により「冠位」は廃止されましたが、もし「冠位」があったなら、ヒカル様の服色(ふくしょく)は「紫」だったでしょう。
ヒカル:紫……。そうだ、紫は、最上位の位階を示す色であった―
あやめ(菫):野心はなかったのでは?
ヒカル:道真は謀反(むほん)の疑いがあった!それゆえに「大宰府(だざいふ)」に左遷されたのだ!!
あやめ(菫):信じておいでで?無実の罪ではなかったのでは?
ヒカル:藤原だ、すべて藤原……そして、醍醐天皇も……!
あやめ(菫):わたくしは、ヒカル様に、藤原様とは関わらぬよう、何度もお願いをいたしました。
ヒカル:知らぬ!!
あやめ(菫):その話を耳にした時、わたくしは道真様に会いに行きました。しかし、時すでに遅く……、(※)道真様は左遷に。お子四人も流刑に処されました。
後に、「昌泰の変(しょうたいのへん)」と呼ばれるようになりました。
ヒカル:頼む、紫菊、その話はやめてくれ。頼む……。
あやめ(菫):ヒカル様。わたくしは「菫」でございます。
ヒカル:なに……?
あやめ(菫):※「東風吹かば にほいおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」(こちふかば においおこせよ うめのはな あるじなしとて はるなわすれそ)
道真様は、京都にある屋敷の梅の木・桜の木・松の木との別れを惜しみ、特に愛でていたらした梅の木に語りかけるように詠まれました。
ヒカル:梅……、梅は赤い。位が低い……。
あやめ(菫):※「あめの下(した) のがるる人のなければや 着てし濡衣(ぬれぎぬ)ひるよしもなき」
そう、「濡れ衣」だったのでございます。
ヒカル:雨が降ってきた……【SE】
寒い、凍えてしまいそうだ……。
あやめ(菊乃):まもなく暖かくなるでしょう。春がやってきます。
ヒカル:む……、風が強い……【SE】
春風か?いったいどうなっている!
あやめ(菊乃):わたくしが道真様に会いに行ったという噂は、あっという間に宮中内に流れ、ヒカル様の耳にも入りました。
ヒカル:お前は、我を裏切ったのだ……
あやめ(菊乃):ヒカル様は、わたくしの話を全く聞いてくださいませんでした。
おそばにも寄れず、宮中を追い出されたのです。
「わたくしを信じて下さい」ませんでした(菊の花言葉)
ヒカル:お前はっ!!……誰だ……
あやめ(菊乃):菊乃にございます。ヒカル様の妻でございます。
(史実は、妻不詳)
ヒカル:きく……の……?黄色……
あやめ(菊乃):そう、黄色の菊でございます。
ヒカル:赤より位が低い……。
あやめ(菊乃):なぜ、そこまで位にこだわるのですか……
ヒカル:違う違う。こだわってなど……
あやめ(菊乃):わたくしの目を見て、お話しください。
ヒカル:我は仁明天皇(にんみょうてんのう)の血筋、皇族である……っ!
お前……、紫の着物はどうした。いつの間に着替えたのだ。その……黄色に。
あやめ(菊乃):着替えてなどおりませぬ。わたくしは最初からこの色の着物でございます。
ヒカル:お前は――ッ!
あやめ(菊乃):菊乃にございます。
ヒカル:頭がおかしくなりそうだ。あやめは、かきつばたはどうした?
まさか、お前が我への恨みを――
あやめ(菊乃):紫木蓮(しもくれん)、菫、藤、牡丹、あやめ、かきつばた、紫陽花、桔梗、朝顔、紫苑 (しおん)、紫菊(しぎく)、竜胆(りんどう)……。
すべて紫の着物を着た花、おなごです。
ですが、ヒカル様、わたくしの顔をよくご覧くださいませ。
ヒカル:顔……?
あやめ(菊乃):いかがでございますか。
ヒカル:みな……同じ顔……(怯える)
あやめ(菊乃):ようやく気づかれたのですね。これはどなたのお顔ですか?
ヒカル:そんな、まさか……っ!母上……
あやめ(菊乃):母上様のお顔でしたか……。
わたくしは、光孝天皇に使える女官でございました。光孝天皇は、黄色いお召し物がよくお似合いでした。不遇だったころを忘れないよう、かつて自分が炊事をして、黒い煤がこびりついた部屋をそのままにしておいた、と書き記し―
ヒカル:あやつは!!あやつは!!
あやめ(菊乃):「天皇少く(わかく)して聡明、好みて経史(けいし)を読む―
ヒカル:やめるのだ……っ!
あやめ(菊乃):容止閑雅(ようしかんが)、謙恭和潤(けんきょう じゅんな)―
ヒカル:やめろと言っておるのがわからぬのか!
あやめ(菊乃):「尤も人事に長ず」(もっともじんじにちょうず)
「身の振る舞いは、しずかでしとやか。へりくだり慎み、柔らかで潤いがあり、慈しみ恵み、心がひろい。まさに最高の人格者」
ヒカル:やめてくれっ!!あやつは、我の持っていないものをすべて持っていた!
あやめ(菊乃):羨ましかったのでございますか?
「白檀(びゃくだん)」も、光孝天皇からの賜ったものだと言うのに……。
ヒカル:知らぬ!知らぬ……っ!!
―鷹の声がする【SE】
あやめ(菊乃):おや、鷹が……。
ヒカル:鷹……?
あやめ(菊乃):ヒカル様は、光孝天皇から、ひとつでも奪いたかったのではありませんか?
それで、まもなく光孝天皇の※女御(にょうご)となるはずであったわたくしを、どのような手をお使いになったのか、突然、妻として迎え入れー
ヒカル:お前も、いずれは皇后になろうと企んでおったのであろう!
あやめ(菊乃):わたくしは!光孝天皇の女御(にょうご)になることを心から喜んでいたのです。それをあなた様が!
ヒカル:ならば、拒めばよかったではないか!!
あやめ(菊乃):致しました!ですが、揉めごとが公になると、帝のお顔に泥を塗ることになるのではないかと!
わたくしだけが耐えればよいのだとー。
ヒカル:そんなに、あやつのことを好いておったのか?
皇后になりたかっただけではないのか?
あやめ(菊乃):お慕い申しておりました!地位などどうでもよかったのです!
ですが、貴方様のお子が……、できたのです。
男子(おのこ)を四人産みました。ですのに、生母不明とされー
わたくしは身も心も傷つき、川に身を投げようかと思うほど……
―鷹が鳴く【SE】
あやめ(菊乃):……。ヒカル様、鷹が呼んでいます。
ヒカル:何を言うておる……、ん?うぐっ!!【SE】
こ、ここは、泥沼ではないか!!足が、足がとられるっ!!
あやめ(菊乃):どうなされたのですか?ヒカル様……
ヒカル:見ておらんで、助けろ!手を出せ!!【SE】
あやめ(菊乃):(微笑)無理でございます。
ヒカル:何を!目の前で溺れかけている者を見捨てるのかっ!!
あやめ(菊乃):まだわかっておられないのですね。
さぁ、どうぞ。わたくしの手です。握れますか?
ヒカル:(溺れそうになりながら)うぐぅ……、握れん。なぜだ!!手が透けている?あやめ!あやめ!
あやめ(菊乃):菊乃でございます。
ヒカル様、いつまでこの世にしがみついているのですか?
まだ未練があるのですか?
貴方は、延喜(えんぎ)十三年 三月十二日に鷹狩に出るものの、不意に塹壕の泥沼の中に転落して溺死されたのですよ。
ヒカル:ざ、戯言を申すな!!うがっ!の、のみこまれるっ!!
く、苦しい!息が、息が!
あやめ(菊乃):では、なぜわたくしの差し出した手が握れないのでございましょう。
ヒカル:き、貴様、妖(あやかし)か……!!消えろ!
あやめ(菊乃):妖などではございません。ヒカル様が作り出された幻覚でございます。
ヒカル:幻覚だとっ?ぐはっ!!人を呼べ!!頼む!!助けてくれ!!!!
あやめ(菊乃):そして、ヒカル様の遺体が上がらなかったことから、世人(よひと)はこれを道真様の怨霊の仕業として畏れおののいたと。
ヒカル:っ!!死にたくない!!このようなところで死にたくない!!ぶはっ!
あやめ(菊乃):ヒカル様。ヒカル様は、とうの昔に亡くなっておられるのです。
苦しいはずはないのです。
ヒカル:なにを……っ!!助けっ…………!!!!ぐっ(沈む)【SE】
―鷹の声【SE】
あやめ(菊乃):鷹よ、随分と待たせたな。
―草原の風【SE】
あやめ(菊乃):亡くなったことを認められず、その後百年、紫の着物を着たおなごを求め、ご自分で作られた幻覚であるわたくしに満月の夜に会いに来られて……。
(ため息)これで最後です。わたくしも疲れました。
なんせ百年も、同じことを繰り返していたのですから……。
「敗れた恋」(黄色い菊の花言葉)は戻りません。
これでわたくしもゆっくり眠れます。
【間】【エンディングテーマ】
あやめ(母):ヒカル。人も花も、散りどきを知っているから美しいのです。
※ 「あはれなり わが身の果てや 浅緑 つひには 野辺の霞と思へば」―(小野小町 辞世の句)
(あわれなり わがみのはてや あさみどり ついには のべの かすみとおもえば)
……ああ、ヒカルは、「月見草」になるとよい。
夏の夜に涼やかに一晩だけ咲く月見草。咲き始めは白色をしていて、朝を迎える頃に淡い桃色に色づく。
「ほのかな恋」「移り気」(月見草の花言葉)
ほんに儚いものよのう……。
母も、ヒカルの横で「月見草」となりましょう。
そなたの隣で咲きます。お前が寂しくないように。
ヒカル、ゆるりと休まれよ……。
【終演】
-------【注釈】-------
「いずれ菖蒲か杜若」:「あやめ」と「かきつばた」は同じアヤメ科に属する花で区別がつきにくいところからいうことば。 また、優劣がつけ難く、一つを選ぶのに迷うこと。
「しょうぶ」を使った邪気払いの儀式をしていた女性を「あやめ」と呼んでいた。
・源光(845年 - 913年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E5%85%89_(%E5%85%AC%E5%8D%BF)
※セリフはありませんが、本編に登場する人物
■光孝天皇(830年- 887年9月17日):源光の兄弟
■仁明天皇(にんみょうてんのう/源光の父)→光孝天皇(こうこうてんのう/源光の兄弟)→宇多天皇(うだてんのう/光孝天皇の第七皇子)→醍醐天皇(だいごてんのう/宇多天皇の第一皇子)
■藤原時平:醍醐天皇の時の左大臣。
菅原道真を政略により大宰府へ左遷した者の一人(宇多の子で自らの婿でもある斉世親王を皇位に即けようとしていたという嫌疑をかける)「昌泰の変」
■菅原道真:醍醐天皇の時の右大臣。
類まれなる才能の持ち主であり、人々から厚い信頼を得ていた。その生涯は、政略による左遷など波乱万丈であった。現在、「学問・至誠・厄除けの神様」として祀られている。
※臣籍降下:皇族がその身分を離れて臣民(一般国民)の身分となること。
※霊妙(れいみょう):人間の知恵でははかり知れないほどすぐれていること。
神秘的な尊さをそなえていること。
※「月が綺麗ですね」=「I Love You」
OKの返事をする場合
・「私にとって月はずっと綺麗でしたよ」
あなたもずっと相手の男性のことが好きだったという、ロマンティックな意味を含んでいる返し方。
・「ずっと一緒に月を見てくれますか?」
奥ふかい告白をしてくれた男性に対して、逆告白をする形になる返事の仕方。
「ずっと一緒に月を見てくれますか?」という返事の奥深くには
「ずっとあなたの気持ちを信じてもいいのですか?」という、淡い女心も込められている。
※参議(さんぎ):日本の朝廷組織の最高機関である太政官の官職の一つ。
四等官の中の次官(すけ)に相当する令外官で、納言に次ぐ。
※「官奏」:太政官から天皇に申し上げること。
「執奏」:意見、書き物などをとりついで天皇など貴人に奏上すること。
※「栄進」:栄転、昇進、登用、取り立て
※斉世親王:宇多天皇の第3皇子、醍醐天皇の弟。菅原道真の娘を妃とした。
※「讒言」他人をおとしいれるため、ありもしない事を目上の人に告げ、その人を悪く言うこと。
※「東風吹かば にほいおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」
意訳:東風が吹いたら(春が来たら)芳しい花を咲かせておくれ、梅の木よ。大宰府に行ってしまった主人(私)がもう都にはいないからといって、春の到来を忘れてはならないよ。
※「あめの下(した) のがるる人のなければや 着てし濡衣(ぬれぎぬ)ひるよしもなき」
意訳:雨が降る天の下では、逃れる人がいないから、着ていた濡れ衣が乾くわけないのだろうか。
※女御:後宮に入り天皇の寝所に侍した高位。皇后・中宮に次ぎ、更衣の上に位した。
※「あはれなり わが身の果てや 浅緑 つひには 野辺の霞と思へば」―小野小町 辞世の句
※意訳:我が身の果ては、荼毘の煙になり、野辺にたなびく霞になってしまうのかと思うと、哀れで儚い