【配役】
・枕、語り:兼ね役
・旦那(♂):元旗本の武士。あるいは、元殿様。
・金(♂):神田川の金。腕のいい鰻割き職人だが、酒癖が悪く、あちこちの店から放り出されている。
・奥(♀):元殿様の奥方(後半に登場)
・客(♂):金を追い出した後に、やってくる客。(兼ね役)
※嬢さんとお花(女中)がでてくるが、セリフはない。
※アドリブ可
※約30~40分
----【枕】--------------------------------------------------------------------
江戸時代の社会では、武士と百姓、町人(商人と職人)が、それぞれの職能によって区分された身分を形づくっていまして、それを「士農工商」と習った方も多いと思いますが、この概念は古代中国のもので、四つの身分というより「あらゆる人々」を意味したそうです。
正確には、江戸時代の身分には、支配者の武士と被支配者の百姓・町人という二つがあるだけで、百姓と町人については、村に住むのが百姓、主に城下町に住むのが町人、職人、商人というように居住区や職業別にすぎないというわけです。
ところが、江戸時代に儒学者が、強引に日本の社会にあてはめ、それが誤った形で明治以降に伝わっていき、侍が大変に威張っていたんだそうですね。
しかし、徳川という世の中が終わりまして、お侍さんが各々、奉還金(ほうかんきん)というものをもらったそうで、これを基にして、何か商売をと始めたらしいんですけれども、そう簡単にはいきません。
それまでは「無礼者!」「そこになおれ!」なんてなこと言ってたのが、「ええ、いらっしゃいまし」なんてな事が言えるわけがないんでね。
結局は、あいだに入った者に、甘い汁を吸われてしまったというところが本当のところなんだそうでして―
----【枕ここまで】--------------------------------------------------------------------
ー表で、旦那と金が出会う
金:旦那ぁ旦那ぁ、どちらへお出かけですか。
旦那:おお、これは、金(きん)ではないか。しばらくだったな。
いや実はな、お前も知っての通り、今度我々もこういうことになってな。
何か仕事をしなくてはならない、商売をしなければいかんというので、いまさら鍬(くわ)を持ったり、鑿(のみ)や槌(つち)を持ったりというわけにもいかんしな。この歳でもあるし。
「奥」とも相談の上、何が商売はしようということになってな。それで、実は「しるこ屋」をやろうということに決まったんだ、うん。
「奥」は、しるこの砂糖のアクの抜き方ぐらいは心得ておるし、それにまた、しるこが好きだ。
「嬢」もしるこが好きだ。
わしも、しるこが好きだからな。
金:それじゃ、ウチ中で食っちゃうじゃないですか。
せっかくお決めになったところ、横やり差すわけじゃありませんが、それはおやめになったほうがよろしゅうございますよ。
何がってねえ。しるこなんてものは、100杯が100杯売れたって、いくらって金になるわけじゃござんせん。
なんでしたら、料理屋をはじめになったらいかがでしょ。
旦那:え?料理屋?
金:なぁに、酒のいいものさえ置いときゃ、必ず客がつくんですから。旦那、料理屋を始めなさいましよ。あ、そうだ。鰻屋をおはじめになったらどうすか、鰻屋。
旦那:鰻屋か……。やぁ、鰻はわしも好きだからなぁ。いや、しかし、鰻は食うが、あれを扱うのは……
金:旦那が扱わなくたってよろしいんですよ。職人を雇えばよろしい……
あっ、旦那、じゃあどうです、あっしにお手伝いさせていただけませんか。
旦那:金、お前がか!お前は、江戸で一、二と言って三はくだらない、腕のいい鰻割きだ。
やぁ、お前が手伝ってくれればなぁ……
いや、もうこれは鬼に金(かなぼうと言いかけて)……
……
え、あ、いや、これはダメだ。断る。お前は酒の上が良くない。お前がいるといるというと、また何かと……
金:それはあっしもね、そのことは身に染みてよくわかってます。長くいた神田川も酒でしくじりましたしね。それからあっちこっち流れて、やっぱり酒でしくじるんで、てめぇがてめぇで嫌んになりましたね。だんだんだんだん、方々(ほうぼう)相手にしてくれなくなりまして。
しょうがねぇから、近々、大道(だいどう)でもって鰻を焼いて、それで、暮らしを立てていこうかなと。
旦那:いやいやいやいや、お前ほどの腕のものは、大道で鰻を焼くというのはいかんなぁ。
金:ええ。でも、なにしろ酒がよくねぇもんすから。いや、それはよくわかってるんです。
ですからね、あっしが旦那のお手伝いをさせていただくってことについて、いかがでございますか。あっし酒やめます。命を投げ出すつもりで酒やめます。
旦那のお手伝いをさせていただきやす!旦那ばかりじゃねぇ、先代のお殿様からかわいがっていただいておりやすからね。
このとおりでございますから、お手伝いさせてください。あっしに腕ふるわせてください!
旦那:そうかぁ。お前が酒をやめて手伝ってくれりゃあ、本当に鬼に金棒だぁ。そうかぁ、じゃあ一つ、そういうことで頼むかなぁ。
金:そっすか!ありがとうございます!必ず役に立ちますから。
で、今日は?え?そのお店にするウチを探しておいでに?さようでございますか。
それでしたらね、こちらに良いウチがありますから、どうぞこちらへー
----【語り】--------------------------------------------------------------------
なんて、こういうのに口車に乗せられて商売をはじめるということになりますが、その頃は「士族の商法」なんていう言葉があったくらいで、特権を失った士族が慣れない商売に手を出して失敗する、なかなかどうしてうまくいくということも少なかったようでございます。
----【ここまで】--------------------------------------------------------------------
ー開業の日
旦那:お花、膳をひとつこちらへ用意しておくれ。それから、金をこちらに呼んできて、火を落としてからでいいからな。知り合いがな、ご友人を連れてきてくれて、「開業祝だ、金に一杯呑ませよう」と言うのだ。
わしは「それはいかん。あいつは酒をやめて、仕事を手伝うということで雇っている」と言うても、「こういう祝いの時に酒の一杯も吞ませないとなると、ああいう連中はまたうるさいぞ。「わしが責任をとるから」というのでな。あまり断っても角が立つ。
【間】
おお、金か、こっち入れ。
金:お友達の方、今日はみなさん、大勢でいらっしゃって。ご親戚の皆さま、おめでとうございます。旦那、ご開業おめでとうございます。奥様、おめでとうございます。
今日はまたお客さんが大勢来てくださいました。ありがとうございます。
旦那:みなさんが、「今日は祝いだ、一杯やれ」とのことだ。
金:いやぁ、みなさまの前ですがね、こちらのお手伝いしようと酒は断っておりまして……、こちらのお手伝いさせていただいた時から、酒はぷつっとやめたんです。
どうか、酒は勘弁してください。
旦那:それはわしからも言ったのだが、「祝い事だから」と皆が譲らんのだ。いいか、茶碗に二つだけだぞ。
金:そっすか……あまりお断りして角がたっちゃいけません。じゃあ、開業祝で。え、お祝いでございますから。茶碗に二つ。二つでしたら、酒のうちには入りませんので、いやそれだけ。ほんとにそれだけ。
あ、お酌を、すいやせん。
ーここから、吞むごとに酔っ払いはじめ、口が悪くなって、旦那にも客にもたてつく。
金:酒はいけねえんす、あっしには。よーくわかってるんです。わかんなくなっちまうんですよ。ま、湯吞み二つくらいどうってことありゃしませんがね。
これは、いい酒です。いい、酒でございますね。
あっしが決めたんですけどね。
いえ、もうお手伝いをさせていただくて決まった時から、一滴も口にしちゃおりませんから、別に味見をして決めたんじゃありません。
昨日今日の職人じゃございませんから、この酒は、こういうところにはこうぴったり合う、どの酒はどうだって、ちゃんと心得ておりますから。
料理屋の酒なんてのは、ただ美味いってだけじゃダメなんです。料理の味を助けなくちゃいけない。ここが難しいところでねぇ。料理の味を殺すような酒じゃいけません。
この酒置いときゃ間違いございやせん。コクといい、香りといい……文句のつけようがございやせん。
へい、さよでございますか。お酌を。どうも恐れ入ります。今日もこうやってお酒を勧めてくださ……
酒やめたんですけどね。
旦那とも、方々お供させていただきましたなぁ。旦那は評判がいいやぁ。
へっ、表歩いたらね、旦那に会いましてね。……しるこ屋やるっていうんです。
しるこ屋って……(苦笑)
およしなさいよってね。だってそうでしょ。100杯が100杯売れたってあんなのいくらにもならないんすよ。あんなものはぁ。
料理屋やんなさいよって。あっしが、酒を止めてお手伝いをさせていただきますって。
あっしも、そろそろ四十に手が届きますから、ここらで、きちっと酒を断って仕事に打ち込みまして、そいで、いい嫁でも持ちてぇと思ってるんですよ。
旦那:そうかそうか、その心がけで頼むぞ。しかし、金、これで二杯目だ。いいか、それで終いだからな。
金:わかってるんですけどね。しかし、おかしいですね……。
あっしはいままで酒ってやめたことなかったんですが、ちょっとやめると、あと効くもんですね。これぁ。「酒は憂いの玉箒(さけは うれいの たまははき)」なんてこと言う。
いい酒だ。
旦那はそうやってね、人の心をおわかりになる、金ばなれもいいけど、世間にはそんなヤツばかりとは限らねぇよ。
その壁の後ろによりかかってる、そのレンガみてぇなやろうよ。おう!てめぇなんて、銭ためるために儲けてんだろう。金(かね)なんて、ためるために儲けるんじゃねぇんだよ。この野郎。金なんてもんは使うために儲けるんだよ、ボケナス。
旦那:おいおい、金。客人に対して失礼だぞ。おい、よさんか。
金:ふん……。何言ってやがんだ。旦那もへったくれもあるか。旦那旦那って持ち上げたら、いい気になりやがって。人に小言なんて言える柄か、てめぇは。
あっしはね、旦那の前ですけどね、間違ったことは言ってねぇです。本当のことしか言ってんですよ。
あっしは太鼓持ちじゃねえから、本当のことしか言わねえんだ。金なんかねぇ、ためるために儲けるんじゃ……(ろれつがまわらない)
旦那:おいおい、金、もうよさんか。湯吞二つといったではないかー
金:わかってますよ。わかってるんですよ。あっしはね、嘘言えねぇタチなんだよ。
おい芸者!華族様とか役人様の言うことばっかり聞きやがって、たまには職人の言うことも聞けぇ!
旦那:おい、しょうがないな。おいおい。これ困ったな。まさかこんなに効くとは思わなかった。お花、床をとってくれ。
金:なんだよ、オレをどうするってんだ?寝かせる?冗談じゃねぇぞ!オレは寝ねぇぞ!
旦那:すまんが、各々方、ちょっと力を貸してくれんか。
----【語り】--------------------------------------------------------------------
皆でもって、さあ何とかかんとか寝かしつけたが、旦那のほうは客の手前、恥をかかされて腹ん中煮えくりかえって、明日の朝になったら、みっちり小言を言ってやろうと思って、目が覚めてみるってと、金は朝から起きて、水はまく、調理場の仕事はする、魚(うお)の水は取り替える、たったかたったか働いてるから、小言を言おうと思ってもできない。
隙をみて何か言ってやろうと思ってるうちに、お客さんが来て、商売が始まって、忙しく始まって、で、すっかり仕事の終わって暖簾を中へしまって、帳場に座って、そろばんをはじいて、さあそろそろしまいにしようかなと思うと、
ドタン、ばさり、がちゃーん!
----【ここまで】--------------------------------------------------------------------
旦那:おい、奥、そちらの方でえらい音がしたぞ。こちらへ、ちょっと灯りを持ってきなさい。灯りをもっとこちらへ…。
ああ?
金だ!
酒樽の前にあぐらをかいて……自分での飲み口をひねって飲んで……
金!!
金:旦那ぁぁ、旦那さまぁぁ……ごちそうになっておりまぁす。
旦那:ほんとに、しょうがない奴だなぁ、お前は!まぁこんなときに小言を言ったって始まらない……。早く寝てしまいなさい!
----【語り】--------------------------------------------------------------------
あくる朝、今度こそ本当に痛い目にあわせてやろうと思って、目を覚めてみるって言うと姿がない。
----【ここまで】----------------------------------------------------------------
奥:旦那様
旦那:なんだ。
奥:金が戻ってまいりません。
旦那:戻ってこんな。困ったな。
奥:いかがいたしますか。表に「魚切れの札」を出して、休業という……
旦那:馬鹿なこと言うんじゃない。開業したばかりものを休業できるか。
奥:だって、あなた鰻割きがいなければー
旦那:鰻割きがいなくても、休業にはできんよ。「それ見ろ、士族の商法だ何だとか言う」……
何?金が戻ってきたかッ
ひとり誰がついてきた?何を持ってきたんだ。あ?これか。何だこれは。
……
……
奥、吉原の勘定書きだ。払ってやんなさい。
金、こちらへ入れ!
ー泣いて謝る金
金:まるっきりわからねぇんです。勘弁してください。今朝目が覚めたら、脇に若い女の子がいて、あー、しまった。しくじったなと思ってね。どう思い出してみても、どっからどうだったかまるっきりわからねぇんですよ。
勘弁してください!ほんとうに、今日から酒は断ちますから!お手伝いさせてください。
この通りでございます。
旦那:お前、酒を断って仕事をするといったではないか!
金:ほんとに、ほんとに酒はやめますから!
旦那:本当に仕方のない奴だ。
なに?お客様?お客様がいらした。おい、金、お客様だ!
金:はい!お客さん!へい、いらっしゃい!
----【語り】--------------------------------------------------------------------
で、またくるっくる、くるっくる、くるっくる、金はよく働く。
その日が終わって、さぁ今日は寝る前に1本太い釘を刺してやろうと思ってー
----【ここまで】----------------------------------------------------------------
旦那:おい、金。金、こちらへ参れ。
金:どぁんなぁさまぁぁぁ(泥酔)
旦那:出てけー!
【間】
奥:旦那様。
旦那:なんだ。
奥:金が戻ってきません。
旦那:来んな……出てけ、といったからな。もう戻ってこんかもしれんな。
奥:どうなさいますか。「魚(うお)切れ」の札を表に出してー
旦那:お前は隙を見て、その魚切れの札、魚切れの札と……
お前、開業したばかりのものが休業ー
奥:だって、あなた、鰻割きがいなければ仕事ができません。
旦那:く、口入れ屋でもなんでも行って、鰻割きを調達してー
奥:そんなことをおっしゃっても、洗い場の手伝いだったらば、すぐにでもなんとかなりますが、腕に職のあるものが、すぐにそのー
旦那:そんなことを言ったって、じゃあどうしろとー
奥:ですから、表に魚切れのー
旦那:いい!わ、わしがやる!
奥:なんでございます?
旦那:わしがやる!
奥:あなたが?ご冗談をおっしゃちゃいけませんよ。あなたはミミズを見てさえ、気色が悪いといって触ることはできないのに鰻など…
旦那:できなくっても、やるしかないじゃないか。
そ、そんなガタガタ言うよりもな、やると言ったら、わしはやるんだ!
わしはちゃんと、金のやっていたことを毎日見とったからな。
そんなことを言ってる前に、お前たちは、神棚にお灯明(とうみょう)をあげて、
客が来ないように祈っとれ!
あ、来た……。
客:あ、こんちはー。神田から金さんが来たんだって?友達連れてきちゃった。バカな鰻食いでね。ひと箸付けちゃあ、何か言わなくちゃいられねぇようなヤツなんですよ。
いま二階にあげた、あれがそうなんですよ。なんだかんだうるさく言ってんだ。
ちょっと、魚(うお)見せていただけませんか。
旦那:なんでございますか。
客:鰻を見せていただきたい。
旦那:あ、魚(うお)でございますか。魚でございますれば、こちらでございます。
客:うわぁ、いいねぇやっぱりね。職人の腕が違うってぇと、魚(うお)も違うね。
あ、旦那、これいいな。これ。3番目のこれ。柄を見たいから、ちょっと上げてみてくださいよ。あ、潜って、端っこいったの。ちょっと、ちょっとそれ。
旦那:あ、これでございますか。承知を致しました。これとおっしゃれば、必ずこれを焼きます。
客:それはまあ、わかってるんですよ。焼く前にちょっと上げて、柄を見たいんす。
旦那:あなたから方から見ると、鰻というのは皆同じに見えるかもしれんが、我々商売人が見ると、誰は誰。彼は彼とみな人相の違っている……
客:いやそんなことはどうでもいいんですよ。
旦那:それほどお疑いであればー
客:いや、疑っちゃいませんがね。
旦那:嬢、嬢、こちらにおしろいを持ってまいれ。おしろいを持ってきて、その鰻の鼻の頭になすりつけなさい。
客:旦那……、おしろいを鰻の鼻に擦りつけてどうするんですか。
旦那:目印を付けておけば間違いはない。
客:しょうがねぇな。そういうことを言ってるんじゃないんだ。それじゃあね、二階行ってますからね。
旦那:……けしからんやつだ。町人の分際でどうのこうのと……
お花、酒を持ってな、うん。何か香香(こうこう)でも、何でもどっさり持っていって、それから持って行ったらな、お前は降りてきたはいかんぞ。梯子のあがりっぱなで、客が降りてこんように、そこでもって見張ってろ!
嬢。嬢は、客が裏梯子から回ってはばかりへ行って、その隙にこちらに来んように廊下の多くで食い止めろ。
ーここから、旦那と奥方が鰻と格闘する
旦那:では、奥、まいるぞ。
奥:は、はい……
旦那:わしはな、ちゃんと金がやってるのを見とる。鰻というものはな。胴っぱらをつかんではいかん。
ここだ。
いいか。このところをだな。キュッと軽くつかめばいい。
キュッ
う……っ(気持ち悪い)
ーするりと鰻が逃げる
旦那:……。逃げたいものは逃しておけばいいのだ。
向こうにいって、やれ安心と思っているところを素知らぬ顔をしてな、後ろの方からこう何気ない顔をして横目で見ながらな、指の腹でな、ここだぞ……
よいしょ えいっ
ーつかめない
旦那:……奥、ざるを持ってまいれ。
……
そちらから追いなさい。そちらから追わんか。それ、それ、そちらへみんな固まっていったからこちらに追いなさい。
奥:お、追いなさいっておっしゃったって……さ、みんなあちらへお行き……
旦那:そんなこと言ったって、来るわけがないではないか。中に手を突っ込む、手を突っ込んで。手を突っ込むのだ。手を突っ込んで、そ、それでは袂(たもと)が……
襷十字(たすきじゅうじ)にあやなして、襷十字にあやなして、鉢巻をして……
奥:敵討ちに行くんではありません。
旦那:つべこべ言わんと、はい、その追いなさい、追いなさい。
ああ、うまくないなあ。ちょっとざるを持ちなさい。こちらから追うから。追うから。
なんでもいいから、ざるの中に入れちまえばわかりゃしない。
いいか。
そらそらそらそら。
そらそらそらそら。
ほら、ほら、ほら、行ったぞ。
奥:(怯えている)
旦那:何をしておる。固まっていったぞ。それ。
奥:はぁぁぁ(怖がる)
旦那:なんて声を出してー
奥:だって、いま、鰻が歯を向いてこちらを睨んで……
旦那:貸しなさい。
ー鰻と格闘
この!
ととと!
こう!
あ!
そら!
取った!三匹入った。三匹入った。よし……
わしはな、金のやることをちゃん見てるんだ。
この、ここのところをこうやってな……
むぅ……
ー気持ち悪いし、うまくいかない
奥……、糠(ぬか)を待ってきなさい。糠を持ってきてこちらへかけなさい。
もっと、もっともっともっとかけないか。もっと、もっと、もっとどっさり。
奥:これじゃあなた、鰻が姿が見えなくなってー
旦那:いい!ぬかみそを付けるような気持ちで。
この糠でもってな、鰻の背中のぬるを流し落とす。こうやって、しごいて落とす。
よぉし、な、ぬるがなくなってきた。薪雑把(まきざっぱ)を持ってきなさい。
薪雑把(まきざっぱ)を持って、鰻が頭を出したところ潰しなさい。
早く!
奥:早くといっても、あなたのおつむが邪魔になってー
旦那:早く!
奥:あ、あ、あなたのおつむがぁ
旦那:はーやーく!
奥:えい!
旦那:痛ーーーーーいっ!
……
鰻の頭を砕けといったんだよ。わしの頭を砕けって……
おー、痛い……
キリ、キリをちょっとこっち出して、口に咥えさせろ。
えっ
こうっ
よし!
奥……、打ちとれたぞ……
もうな、ここから先はな、金がやろうが誰がやろうが同じだ。わしは見とるからな。
この鰻の首のところを軽くちょっとな。
(かんっ)
あ、取れちゃった……
鰻の頭なんざいいんだ。鰻の頭食うわけじゃないんだ。
(カンカンカンカンカン)
よし!はぁはぁ……
ー割く
よし、よっし!
えっ えいっ えっ
あ、いたっ!
……血止め。血止め!
奥:だから、私が言ったじゃありませんか。そんなあなた、生き物の命を取る鰻屋なんかおやめになって、しるこ屋を…
旦那:いまさらそんなことを言ったって始まらん!ああ、こちらのが逃げる!こちらのが逃げる!
ー追いかけて、なんとか捕まえる
旦那:ぷはっ
おっ
うっ
うん
前へ出る。前へでる!
奥、履物を揃えなさい。
白木を開けて。
表の戸を開けて。
奥:あなた、鰻に持ってどちらへおいでになるんです?
旦那:そんなことが拙者ににわかるか!
(サゲ)前に回って鰻に聞いてくれ。
―終演―
参考:
柳家小三治
桂文楽