古典落語声劇『佃祭』(人情噺+滑稽物)

 【配役】
次郎兵衛(じろべえ):小間物屋。真面目。大の祭り好き。
こま:次郎兵衛の女房。大のやきもち焼き。
佃島の女:三年前に身投げしようとしたところ次郎兵衛に助けられた。金五郎の女房。
金五郎:船頭
長屋の仲間:熊五郎、八五郎、与太郎。
枕・語り、坊さん:不問。
永代橋の女:

■配役パターン(例です。好きなようにどうぞ)

次郎兵衛(じろべえ)/与太郎:
こま/佃島の女:
金五郎/熊五郎/坊さん:
枕・語り/八五郎/永代橋の女:

※約40~50分
※元の噺に、長屋連中の名前は与太郎以外でてきませんが、声劇台本化するにあたり、名前をつけました。

【豆知識】

・「ありのみ」:「有りの実」と書き、意味は「梨(ナシ)」のこと。昔、縁起をかついだ人たちが、めでたい席などでナシと呼ぶと「無し」という意味にもとれるので、逆の言い方をし「有りの実」と呼ぶようになった。

・「与太郎(よたろう)」:代表的な落語の登場人物で、呑気で楽天的だが、ぼんやり者で、何をやっても失敗ばかりする。与太郎の登場する噺は滑稽物が多く、与太郎噺と分類される場合もある。

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【枕】

ただいま医学というものが大変進歩をしておりまして、

まぁだいたいの病気が治るようです。


ところが、やっぱり昔はそういうことはないですから、

病を信心でなんてことがありまして、

目を患うってぇと薬師様をお参りしたり、

安産を願う方は、水天宮様へお参りいたします。

虫歯の時には、戸隠様へ「ありのみ」を断(た)ったんだそうです。


「ありのみ」と言うのは「梨」のことです。


梨へ自分の名前、生まれ月日を書きまして、

どこの歯が痛いというのをちゃんと書き込んで、

橋の上から戸隠様を拝んで、そしてこの梨を川に流す。

それからあと、梨を食べないようにしてるてぇと、虫歯が治ったなんて言いました。


ですから、昔は神様に対して、大変にこの感謝の気持ちを込めて、

お祭りというものを盛大に行った。

ことに、江戸っ子というものは祭りが好きですから、

あっちこっちでもって盛大にあります。


「佃島」というところに住吉大社(すみよしたいしゃ)というのがあります。

ここの大祭というのが三年にいっぺんの大祭でございまして、

江戸中の人が佃島へ来るわけでございます。


いまは、佃大橋(隅田川にかかる橋)という橋がかかっておりますから、

陸続きになっておりますけれども、昔は島でございますんで、

乗り物ってぇと、舟でございます。


さて、「情けは人の為ならず」ということを申しますが、

これは神田お玉ヶ池でございます。


小間物屋を営んでおります次郎兵衛さんという人。

普段は、大変仕事に一生懸命に精を出すんですけれども、

祭り見物がなにより大好きという方でございまして、

さぁお祭りということになりますというと、

これがもういてもたってもいられない。

のべつに家を空けます。

ですから女将さんは、あんまりいい顔をいたしません。


今日は、その佃の祭の当日でございます。

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次郎兵衛:

おいおい、すまない、着物をだしておくれ。


こま:

お出かけでございますか。どちらへ?


次郎兵衛:

どこだっていいじゃない。でかけてくるんだ。


こま:

どちらでございます?


次郎兵衛:

うるさいね、お前は本当に。

佃島の祭りは、今年も大層よくできたそうだ。

ひとつ見てこようと思ってな。


こま:

またお祭りですか。

お祭りなんてどこだって同じだと思うんですけれどもね。

こんな暑い日くらい、うちでゆっくりなさったらどうなんですか。

いくらお好きだからって、何も佃島まで行くことはないじゃありませんか。


次郎兵衛:

そういうこと言うけれどもさ、

また佃の祭というのは他のちょいと趣が違うんだよ。

行ったっていいでしょう、えぇ?

あたし、お祭り好きなんだから、ね。

方々見て歩いてるけれども、あたしは佃祭というのが一番好きだ。

神輿を担いで、海に入ってく。

まことにこのね、いくら見ても・・・といっても、お前にはわからないんだよ。

とにかく行ってくるよ。


こま:

お祭り、お祭りって・・・ふん。

どこ行くんだかわかりゃしないんですからね。

どうせなんでしょ?

その佃の祭っていうのが、紅におしろいかなんかつけて、

四畳半かどっかで待ってるんじゃないんですか?

どうぞおいでなさいましなっ!ええ?

おいでになったらいいでしょ!!


次郎兵衛:

お前、嫌なこと言うねえ。

お祭りがおしろいをつけて待ってるわけないでしょ。


知ってるだろ?

あたしがそういうことで言ってるんじゃないって。

大の祭り好きなんだから。


こま:

ああ、そうですか。

本当に行かれるんですか。

どうしても行くんですか。

わかりました。

いってらっしゃいまし。

いってらっしゃいまし!

いってらっしゃいまし!!

いけるもんなら!!!


次郎兵衛:

困ったもんだね、お前にも。だから世間で評判ですよ。

次郎兵衛さんとこの女将さんはね、長屋中のヤキモチを一人でしょっちゃってるから、さぞ重たかろうって。ええ?

そういうことを聞くたんびに、恥ずかしい思いをしている。

おまえさんがそう言や、あたしゃ意地でも出かけていくんだよ。

ああ、嫌な顔しなさんな。

嘘じゃない。本当に佃祭を見物に行くんだから、ね。

心配することはないんだよ。

暮六つには帰る。終い舟に乗って必ず帰ってくるから、ね?

余計な心配しないで、はやく着物を出しなさい。

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【語り】

白薩摩(しろざつま)の着物、茶献上(ちゃけんじょう)の帯、

白鞣革(しろなめし)の鼻緒のすがった雪駄(せった)を履いて、

腰んところに煙草入れをさす、片手に扇子という粋なこしらえが似合う男前で、

人あしらいにそつのない小間物屋とあっては、女将さんが気をもむのも無理はない。


次郎兵衛さん、ぶらぶら佃島へ。

まず、住吉様をお参りして、威勢のいいお神輿を楽しんで、

あっちこっちの飾り物を見る。屋台を見物する、出店をひやかす。

一日遊んでいても飽きない。


で、八幡様の鐘が暮六つをゴーンと打ち始めるってぇと、

終い舟がもう出ちゃいます。いまで言う夕方の六時です。

そうするってぇと、その頃には、もうそれに乗り遅れまいと、

大勢の人が集まってきて、渡舟場はいっぱいの人でございました。


普段より余計、舟は出してあるんで、よさそうなもんですけど、

やっぱりどれもいっぱいなんです。

ところが、この終い舟というのだけは乗り遅れたら大変だというんで、

舟中いっぱいの人でございましてー

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次郎兵衛:

あの船頭さん、これ、なんですか、終い舟?

ああ、そうですか、ああ、よかった。

間に合わなかったらどうしようと思ってたんですよ。

わたしもちょいと乗せてもらいますよ。

今日中に帰らないとなんないんで。

いっぱいなのはわかってますよ、ね。

どこでも構いません。

いやいや、一人だけでございますんでね。

いえ、座らなくてもいいんですよ。

立ったままでもいいんですから。

何しろ、向こうに渡るだけですから。

ちょいと失礼いたしますよ。


佃島の女将:

ちょっ、ちょっとお待ちを!

ちょっと、あのすみません、伺いたいことがあるんでございますが!


次郎兵衛:

お!おい、女将さん、何をすんだよ、人の袂(たもと)を。

離しとくれ、離しとくれよ。


佃島の女将:

ちょっとお待ちを願います!お伺いしたい事がございます!


次郎兵衛:

あのね、いま舟に乗ろうってもんにね、モノを訊ねないで。

他に暇なのはいくらもいるだろうから、そういう人にモノを聞いてください。


はやく袂を離してください。着物が切れるから。

ああ、ほんとうに。

いや、あのね、薄情なことを言うようだけども、あたしゃ今急ぐんだか・・・


あ、おい!船頭さん、出しちゃだめだよ!

待っとくれ、戻っとくれ!

いや、そうは待てないって、そんな気の短いこと言わないで。

ちょっと待ってくれ!ちょいと!

はぁ・・・

女将さん・・・

終い舟に乗り遅れちゃいましたよ。


佃島の女将:

あいすみませんでございます。

是非伺いたいことがございましたので。


次郎兵衛:

そうですか・・・。

まぁ、いまさら慌てたって仕方がありませんからね。

なんです?


佃島の女将:

あの間違いましたら、お詫びを申し上げます。


次郎兵衛:

そら困るな・・・

人をこのね、引き止めといて間違えましたなんて・・・。

間違えないようにしてもらいたいんだよねぇ。

で、何です?


佃島の女将:

三年前に吾妻橋から身を投げようとした女に、

五両のお金を恵んでお助けしたというような覚えはございませんでしょうか。


次郎兵衛:

ありません。あたしじゃない。人違いです。ね。

どうしてくれるんですよ・・・ええ?


いや、あたしはね、あの舟に乗らないとね、

この島に知り合いがいるわけじゃないんで、泊ることができないんですよ。

弱っちゃったなぁ・・・。


なんです・・・?三年前・・・?


三年前ですか。

そんなになりますかねぇ。

いや・・・確かね、吾妻橋で、夕暮れ時でしたよ。ええ。

欄干から身を投げようとした若い娘さん。

いや、お金はね、いくら渡したか忘れましたけれどもね。

確かに助けた覚えがありますよ。


佃島の女将:

やっぱり旦那でございましたか。

あたくし、その時の不束者でございまして・・・


次郎兵衛:

え、あなた、あの時の娘さん?

これは、どうもお見それいたしましたですなぁ。

いやいや、たしかあの時はね、島田結ってらしたのが、いま丸髷になって・・・

で、いまどちらに?


佃島の女将:

あの、この佃島におります。


次郎兵衛:

ああ、そうですか。


佃島の女将:

あれからまもなくでございます。

ご主人様からお暇をいただきまして、ある方のお世話で、

この佃島の方へ嫁いでくることができまして。


次郎兵衛:

それはよござんしたなぁ。お達者で何よりでございますよ。そうですか。

そう言われてみると、なんか少しお色は黒くなったんじゃありませんか。


佃島の女将:

毎日、潮風に吹かれておりますとこういうことになります。

まことにお恥ずかしい話で。


次郎兵衛:

いえ、恥ずかしいことありませんよ。

器量の良い女の人が浅黒い。

色の黒い分だけ、ちょっと婀娜(あだ)っぽく見えますからね。ええ。

あ、器量が良くなきゃいけませんよ。

ただ黒いってぇのはよくありません。

・・・いやぁ、ハハハハハ。

あたしも、人の女将さん捕まえて、何くだらないこと言ってるんだ。

いやぁ、それにしてもよくあたしの顔を覚えていてくれましたね。


佃島の女将:

とんでもございません。

忘れることはできませんで、命の恩人でございます。

もう、そんなお方を忘れるわけがございません。

あの時に、お名前もおところもお伺いしそこないました。

ただ、お顔だけはハッキリと覚えておりましたので、

いつかどっかで会えるであろうと、神様にお願いをしておりました。

今ちょっとお見かけして、きっと旦那じゃないかと思いました。

もし舟に乗られてしまえば、またいつ会えるかわかりませんので慌てて止めた、

こういうわけでございます。

まことにあいすみませんでした。


次郎兵衛:

いやいや、お元気で何よりでございますよ。

あたくしも、助けたかいがあるってぇもんですよ。


ああ、よかったはいいんですけどねぇ・・・

これは弱りましたなぁ。

あたしはね、あの舟に乗って帰らなくちゃいけなかったんですよ。

いやぁ、あなたご存じないでしょうけれどもねぇ。

うちの家内というのは、たい~へんなヤキモチ屋でしてね。

あれに乗って帰らないと、えらいことになるんですよ。

あぁ、これはどうも弱りましたですな。


佃島の女将:

それでございましたら、どうぞご安心をくださいまし。

うちの主人が船頭を致しておりますので、

いつ、なんどきでもお舟を出しすることができます。


汚いところでございますけれども、

ちょっとお立ち寄りを願いたいのでございますが。

お急ぎでもございましょうけども、

ちょっとあの手前共まで、お寄りいただけませんでございましょうか。

すぐそこでございますので、連れ合いに会っていただきとうございます。


次郎兵衛:

おお、そうですか。舟をだしていただける。

いやいや、それを聞いて安心しました。

そいじゃあ、ひとつ伺いましょうか。


佃島の女将:

どうもありがとうございます。

こちらでございます。

どうぞこちらへお上がりくださいまし。


次郎兵衛:

いやぁ、まことに結構のお住まいですなぁ。


佃島の女将:

いいえ、もう汚いところでございまして。


次郎兵衛:

いやいやそんなことはありませんですよ、ええ。

掃除が行き届いていらっしゃって、まことに気持ちがよろしいですよ。

おぉ~、いい風が入ってきますなぁ、こらぁどうも。


佃島の女将:

はい、それだけが取り柄の家でございまして、

まもなく主人も帰ると思います。


いつぞやは、本当にありがとうございました。

あたくし、まだ主人に奉公している身でございまして、

主人の五両のお金を落としまして、

申し訳なさに身投げをしようとしたところを

旦那に助けていただきました。


その時のご恩を忘れたわけじゃないんですが、

年の若い時分、嬉しいのと決まりが悪いのとで、

旦那のおところもお名前も伺うのを忘れておりました。

旦那が「早くお店へお帰り」と言われたので、

慌てて駆け出してお店へ帰ってまいりました。


あくる日になって、落ち着いてから、

旦那のところへお礼に伺わなくちゃいけないと思って、

ご主人に話して、さぁ行こうと思って、そこで初めて、

お名前もおところも伺ってないことに気がつきましたが、もう後の祭でございます。

ご主人には叱られるし、また連れ合いと一緒になりましてからも、

旦那の話が出るたんび、小言のべつ言われておりました。


なんとか旦那にお会いしたいと思っていたのでございますが、

先ほどの船場(せんば)で、もしやと思って声をかけさせていただいたのでございます。

本当にあの時にはありがとうございました。

なんとお礼を申していいのか・・・

本当にもう、こうやった会えたのが

あたくし、これで助かったような気持ちがいたします。


次郎兵衛:

いやいやいや、手を挙げてくださいよ。

いいじゃありませんか。

気にすることはありませんよ。

そこまで思っていてくださるだけで、あたしもね、

いいことをしたなと思って、なんか嬉しくなりますよ。

あたしもね、忘れていたくらいのことなんですからねぇ。

かえってあたしの方が決まりが悪いってもんですよ。

あ、女将さん、立たないでくださいね。

あたしはすぐお暇しますから。


佃島の女将:

何もございませんが、お祭り時でございますので、お煮しめでございます。

こちらお茶代わりでございます。どうぞあのひとくち・・・


次郎兵衛:

え、お酒?いや、お酒はよしましょう、ね。

ご亭主の留守にね、お酒をご馳走になったというのは、

ちょいとこれ具合が悪いですから、お酒はよしましょ。


佃島の女将:

ウチのも、よぉく旦那のことは存じ上げておりますので、

あたしが叱られてしまいますから、

どうぞお酒を召し上がって頂きたいんでございますが。


次郎兵衛:

そうですか、旦那もよくご存じで・・・。

じゃあ・・・

ま、一本だけ・・・いただいて。

ああ、はいはい、頂戴いたします。

はいはい。

それじゃ、いただきますよ。

(飲む)

・・・いい酒でございますね。


佃島の女将:

さようでございますか。

さあ、どうぞ召し上がってくださいまし。


次郎兵衛:

ええ、どうも、ありがとうございます。


いやぁ、あたしはね、祭りが好きなんですよ。

こどもみたいな話ですけどね、

方々の祭りを見て回るんですけど、

今年のまた、佃の祭りがよござんしたなぁ。


六角神輿っていうんですか。

あれが、他とはちょいと違うもんでしてね。

ええ、いやぁ、すっかり酔いしれました。

ああ本当にね、この佃の・・・


・・・女将さん、何ですか。

表へ人がバラバラバラバラ駆け出していくようですけれども、

喧嘩かなんかですかね。


佃島の女将:

まあ、なんでございましょうか。

お祭り時でございますので、みんな気が張っておりますから、

よると触ると喧嘩ばかりなんでございまして、

女子供は、危なくて外へ出られないんでございますけれども・・・

しかし本当にうるさい騒ぎ、これいったいなんでしょうね。


金五郎:

おっかあ!!


佃島の女将:

おまえさん、どうしたんだい、喧嘩かい?


金五郎:

喧嘩じゃねぇんだい!

終い舟がひっくり返っちまったんだぃ!

いま仲間が助け舟だしてるんでぃ。

俺もこれからいってくらぁ!


佃島の女将:

あの気を付けておくれ、怪我しないように!

・・・旦那、聞きましたか。

旦那が乗ろうとしてあたしがお引き留めしました、

あの終い舟が沈んだそうでございます。


次郎兵衛:

聞いてます、聞いてますよ・・・

沈みましたか・・・

あれが沈んだということになると、亡くなった方も多いでしょうな。

女子供も多かったから。

もしあたしがあの舟に乗っていたらねぇ・・・

自慢じゃありませんけれども、泳ぎの方はカナヅチですから。

それもただのカナヅチじゃないんですよ。柄のないカナヅチですよ。

ゴボッていったら、それで終いです。

今度は、あたしが女将さんに助けられたようなもんだ。

ああ、今度はあたしがお礼を・・・


佃島の女将:

何をおっしゃるんですか、いいじゃありませんか。

どうぞお酒を召し上がっていただいて・・・


次郎兵衛:

いやいや、お酒はよしましょう。

御覧なさい。総毛立ってきました。

お酒はけっこうでございます。


佃島の女将:

さようでございますか。

あ、うちのが帰ってまいりました。

もうちょっとお待ちくださいまし。

お前さんどうしたいっ


金五郎:

おっかぁ、どうもこうもねぇや。

助かったやつはひとりもいねぇ。

みんな死んじまったい・・・

女子供も多かったからなぁ・・・


泳げるやつが助けようと思って飛び込んだ。

また、そいつに五人も六人もひっつかまるから、

助けに飛び込んだやつもみんな死んじまったんだよ。


はぁ・・・

引き取り手がどういう心持ちになるんだろうと思うと、

とても他人事じゃねぇや。

いやぁな心持ちになって帰ってきたんだぁ・・・

・・・と、だれか来てるのかい。


佃島の女将:

いつもあたしが話をしている、ほら、吾妻橋で助けていただいたあの旦那様。


金五郎:

えっ! おめっ! 会えたのかい!

・・・で、いらっしゃった!


そうかい、そら、いやよかった。

よかったって、こんなんじゃしょうがねぇ。

おいちょっと待ってろ。

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【語り】

真っ黒で引き締まった体つき、ふんどし姿。

裏へいきますというと、井戸から水を汲んでまいりまして、

頭からザパーッ、ザパーッと五、六杯かけますというと

さっぱりとした浴衣に着替えまして、

真新しい手拭いをぐっとつかみましてー

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金五郎:

お初にお目にかかります、あっしは船頭の金五郎と言うものでございまして、

三年前には、この野郎のことを助けて頂きまして、どうもありがとうございました。


まぁ、この野郎、そそっかしいってんで、

命の親の旦那のおところもお名前も聞き忘れたってんで、

一緒になってから、もうのべつ小言でございます。

お名前くらい伺うのが当たり前じゃないかって。


まあ小言を言ったって、旦那にお会いできるわけもなし。

こいつもね、ご恩を忘れたわけじゃないんです。

こういうときゃ神頼みと思いましたけどね、無精者でございましてねぇ。

心安い神様が誰もいねぇんすよ。

あっしはね、あまり神棚に手を合わせたことねぇんです。

たまに義理でもって、ちょいとこんなことやるんです。

こいつは毎日拝んでます。

旦那、ちょいと神棚みてやってもらいてぇんです。

こいつが書いたんです。


下手な字で持って、「吾妻橋の旦那様」


紙に書いて、横に貼ってあるでしょ。

「旦那様とお会いできますように。

この野郎を助けてもらいやしてありがとうございました」

と、一生懸命二人でもって、旦那のことを拝むんですよ。


今日こうしてお目にかかれた。

何とお礼を申していいやら、

こちとら貧乏ですから、銭っこはできませんけれども、

体を使うことはできますから、旦那のためでしたら、

たとえ命を投げ打ってでもお助けいたしますから、

どうも、ありがとうございました。


本当にありがとうございました!!


次郎兵衛:

それはもうよしにしましょうよ。

罰が当たりますよ。

女将さん、あれすぐに外してくださいよ?


金五郎:

惚気るわけじゃありませんが、何一つ不足はありゃしません。

こうやって幸せにいられるのは、旦那に助けていただいたおかげです。


次郎兵衛:

顔を上げて下さい。助けた、助けられたじゃございませんで、

申し遅れました、

私は神田お玉ヶ池で小間物屋を営んでおります次郎兵衛と申します。


金五郎:

ええ、神田の、小間物屋の、次郎兵衛さん。

おめっ、忘れんなよ、ええ?


次郎兵衛:

実は、いま沈んだと申します終い舟、あたくし乗りましたところ、

おたくの女将さんに引き止められました。

あたくし、女将さんに助けていただいたんでございまして・・・


金五郎:

旦那!あの舟に乗っていたんでございますか!

それをこの・・・


いや・・・違います、違いますよ。

この野郎が助けたんじゃないんですよ。

旦那みたいな人を殺しまっちゃあ、神も仏もねぇもんかってんでね、

おてんと様が助けてくださったんですよ。そうに決まってますよ。

ああ、そうかい、おめえ、いいことしたな。

こりゃあ、めでてぇや旦那。

助かったやつはいねぇんですから。

いっぱい、いきましょ。


次郎兵衛:

お留守にお邪魔をいたしまして、もう散々ご馳走になったんでございます。

こんなときに誠に申し上げにくいんでございますが、

向こう河岸まで舟を出していただくというわけには参りませんでしょうか。


金五郎:

そっすか・・・、これ弱ったなぁ。

いやいやいやいや、旦那のためですからね、

舟を出すのは構わねぇんですけどね。

こういう間違いがあった時、この舟を出したりなんかするってぇと、

役人もうるせえしね、仲間の手前ちょいと具合が悪いんですよ。

今晩一晩泊まっていただけると言うと、ありがたいんでございますがね。

おもてなし・・・ってわけには、

こっちは貧乏でございますから、できませんですけれども、

まぁなんか、ごちそうっ・・・てわけには、こちとら貧乏ですから、

ま、いろいろ話をさせて頂きたいこともあるんでございます。

おい、おめぇのほうからもお願いをしねえかい。


佃島の女:

私は、実の父親母親がおりませんので、旦那のこと本当の親だと思っております。

どうぞ今晩一晩泊まっていただきたいのでございますが。


金五郎:

いや、かかぁもこう言ってるんでね、一つお願いします。


次郎兵衛:

ありがとうございます。

実は私、暮六つの終い舟で乗って帰ると言って出てきたんでございまして、

うちの家内というのが大変なヤキ・・・、心配性でございまして、

帰らないと、向こうでも、まあ困ってると思うんでございまして、

舟を出していただきたいのでございますが・・・


金五郎:

そっすか・・・。

泊っていただけるというと助かるんですけどね。

じゃあ、わかりました。こうしやしょう。

あっし、もう一度あっち行って様子を見てきます。

で、船場が落ち着いてたら、舟をお出しします。

どんなことがあっても、旦那を送っていきますんで。

それまで旦那、ここで待っててくださいよ。

おめぇ、お相手をして。

魚屋行って刺身用意してこい。


次郎兵衛:

わかりました。

待たしていただきますので。お気を付けて。

・・・

いい方ですねぇ。

あなたも、いい人と一緒になりなすった。

舟を出していただけると聞いて安心をしました。

じゃあ、もうしばらく待たしていただきましょう。

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【語り】

命を助けていただいた大恩人だと思うから、大変なもてなしよう。

次郎兵衛さんも、嫌いじゃありませんから、

それじゃあってもんで、杯を重ねる。

次郎兵衛さんの方は、これで良かったんですけれども、

すまないのは、ウチの方でございまして、

暮六つの終い舟で必ず帰るといったのに、帰ってまいりません。

女将さんの方はもう気になって気になって仕方がない。

どこ行ったんだろう、ことによったら、やっぱり、

祭りじゃなくて女んところにでもいるんじゃないかしらってんで、

もう、ヤキモチがもたげてまいります。

半時ほど待ったんですけど、

もう辛抱できないってんで、表へぽーんと駆け出しまして、

佃の方角をじっと見ておりますと、

向こうから人がバラバラバラと駆け出してまいりまして、

終い舟が沈んじまったという声が。

噂というものは、尾ひれがついて大きくなってくる。

元はというと、終い舟が一艘ひっくり返って、

助かった者は一人もいないというんだったんですが、

これが、だんだんだんだん死んだ者の数が多くなってきて、

五百人死んだ。

いやそうじゃないよ、聞いたところによると、千人死んだ。

いや、佃島行ったもんは一人も助からなかったそうだよ。

・・・ってのが女将さんの耳に入ったもんですから、

女将さん、もう、そのままウチへフラフラって入っていきますというと、

おっかさんの膝へ、わぁ~ってんで泣き崩れてしまう。

さあ、こうなりますというと、もうそのウチとしては気抜けがいたしまして、

何をすることもできなくなる。

まあ昔のことでございますから、町内の人が集まってまいりまして、

いろいろとやってくれるわけでございますけれどもー

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(ここから滑稽噺)

熊五郎:

おい、八っつぁん、聞いたかよ。


八五郎:

聞いた聞いた、次郎兵衛さん死んじゃったんだってな。


夕べ(ゆんべ)湯で一緒だったんだよ、驚いちゃったよ。

湯の帰りがけにね、言われたんだよ、俺。

「明日、佃の祭りがあるんですけど一緒に行きませんか」って。

ちょっと用事があるからって言って断ったんだけど、良かったぁぁぁ!

行ってたら、おんなじめに遭ったんだから。

次郎兵衛さんのところじゃさ、悲しい悲しいってみんな泣いてるけれどもね、

俺んところじゃあ、よかったよかったってんでさ、今朝、赤飯炊いた。


熊五郎:

よしなよ、ええ?

そんこなこと言うもんじゃねぇんだよ。

とにかく、何をさておいても悔みに行かないといけないだろう。

今月の月番、誰だい。


八五郎:

与太郎だ。


熊五郎:

まずいやつが月番だね、おい。与太郎かよ。

だけど月番なんだからな、行って挨拶くらいさせなきゃいけねぇや。

ちょいと呼んでみようじゃないか。


おぅ、与太いるか、与太!


与太郎:

(間抜けな感じ)

ああ~

皆さんお揃いでぇ、なぁに?


熊五郎:

なぁに、じゃねえんだよ。

次郎兵衛さんが亡くなっちゃったい。


与太郎:

へぇ、どこへ?


熊五郎:

そうじゃねぇんだよ。

次郎兵衛さんが死んじゃったの。


与太郎:

へえ、本気で?


熊五郎:

あたりめぇだよ。本気だよ。


与太郎:

へえ、よしゃいいのにねぇ。


熊五郎:

何を言ってんだ、ばか。

誰だってよしゃいいんだよ。

舟がひっくり返っちゃったんだよ。


与太郎:

舟がひっくり返っても、泳ぎゃいいじゃあねえか。


熊五郎:

泳げねぇときてんだよ。


与太郎:

なぜ習わねえ。


熊五郎:

いまそんなこといってもしょうがねえじゃねえか。

とにかく、みんなで悔みを言いに行くんだよ。

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【語り】

ってんで、次郎兵衛さんのうちへ、どこどこどこと上がり込んで、

とにかく、昔の江戸っ子というのは大変やることが早うございまして、

すぐに大きな棺桶を買って、真ん中へどーん。お線香をたてます。

お坊さんを呼んでまいりまして、お経を読んでもらう。

簾を裏返しにしまして、忌中という札を張る。


しかし、悔みというのは難しいもので、

特に急なもんですから、何を言えばいいかわからない。

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八五郎:

おっかさん、この度はとんだことでございました。

女将さん、悔しいでしょうね。


いやぁ、祭りなんかどこでだって一緒なんだからさぁ、

行かなきゃよかったんだよ。

実はね、あっし、夕べ(ゆんべ)湯で一緒だったんですよ。

誘われたんですけどね、断って良かったと思って。

いやいや、そういう意味じゃないですけどね。

とにかくあの、今朝うちは赤飯・・・いやいや・・・

こんな日ですからね、

何を言ったらいいかわかりませんけどね・・・

へっへっへ・・・

仏様のような人が、ほんとに仏様になっ・・・

なんなんでございますねぇ。

まぁ、あの~・・・

早い話が、病気で亡くなったっていうなら、

おっかさんも、あきらめようがあるでしょうが、

舟がナニしてね、ナニしたってぇことになると、

あきられめきれねぇとお気持ちを察しますよ、あっしは。

こういう時ですから、もしナニすることあったら、

あっしらに言ってくれたら、いつでもナニしますから。

どうも、ごめんください。


熊五郎:

なんだよ、あいつは。

言ってることがちっともわからねえじゃねぇか。

本当に悲しいなと思えば、そんなこと出るわけねぇんだよ。本当に。

(泣きながら)

おっかさん!女将さん!

この度はまことにご愁傷様でございます。

あっしはね、なんといってお悔やみ申し上げたらわからねえくらいなんですよ。

次郎兵衛さん、ほんとに死んじゃったんですか。

あんないい人が死んじゃうなんてねぇ。


あっしはね、何をおいててでも、

真っ先(まっつぁき)に駆けつけなくちゃいけねってのはね、

今のあっしのかかぁね、次郎兵衛さんのお世話でもらったんですよ。

いい かかぁでね、これが。

何がいいって、朝早く起きますしね。

料理もうめぇんですよ。

針仕事だってちゃんとやりますしね。

それに、器量だって悪くないんですよ。

女将さんの前ですけどね、

近頃、あっしが外から帰ってくるってぇと、いつも一緒にいるんですよ。

そばくっついて離れないんですねえ。へっ。

へっへっへ。

だからあっし、うちに帰るの楽しみなんですよ。

どこ行くんでも一緒でね。

だから、仲間がそう言ってますよ。

「やだねぇ、あいつはぁ。あれは夫婦じゃねぇよ。まるで色だねぇ」


どこ行くんでも一緒なんです。

あ、便所はね。あそこだけは別ですよ。

便所入ってる時は、片方は外で待ってる。

まあ、どこ行くんでも一緒でございましてね。


ところがね、

女将さんの前ですけど、

ここんとこちょっと変わってきたんですよ。

いままで、あっしが「おい」って言うと、

「はい」なんて言ってたんですけど、近頃は

「ダメよ」「いけません」なんてこんなこと言って・・・。


女将さんは女だからわかんないでしょうけどね、

男なんてぇもんは、ダメと言われると余計にこう、

カーッ!と燃えてくるところがあるんで、

あーら、弱っちゃって。へっへっへ・・・

ごめんなさい。


八五郎:

惚気てやがる、悔みじゃねぇよ。

おい、与太、行ってこい!


与太郎:

えー、どぅも、おっかさんに女将さん。

どうも、このたびは、ごしょうしょう、しょうしょう、しょうしょう・・・

ごしょうしょう様でございました。

舟がひっくり返って死んじゃったって、ええ?

ひっくり返ったってね、あがってくりゃいいのに。

それをあがってこないなんて、次郎兵衛さんって人はぁ、遠慮深ぇ。


熊五郎:

おい、与太!おめぇ、ひっこんでろ!


こま:

どうも、ほんとうに、みなさま方に申し訳ないと思っております。

ただ、あたくしがね、次郎兵衛を佃島にやらなきゃよかったんですけど。

あたし止めたんです。

止めたんですけど、どうしても行くっていうんです。

みなさま方、普段からあたしがヤキモチ焼きだ、ヤキモチ焼きだっていうから、

次郎兵衛だって、それに負けない気になって出て行ったんですよ!

早い話、次郎兵衛を殺したのはあなた方なんですよ!!

次郎兵衛を返しとくれよ!!!!


熊五郎:

いやいやいやいや、女将さん、気持ちはわかります。

こういう時には誰だってこうなるもんですよ。ねぇ。

みんなに好かれていた次郎兵衛さんのこってすからね、

長屋中のみんなでお手伝いしてぇ、

そろそろ段取りをしようじゃねぇかって言ってるんです。


ああ、女将さん・・・

泣いて悔んでらっしゃるのはごもっともだ。

よくわかるんですけれどもね、段取りがあるもんで、

次郎兵衛さんを引き取りに行こうと思うんですけれども、

よくあるんですよ、大勢一緒に死んじまった時に

間違ったものを持って帰ってきて弔いを出したってことが。

行く前にちょいと女将さんにね、次郎兵衛さんの体つきを聞いてから、

それで行こうと思うんですけれど、えー、何かありますか。

ここんところ大事なところですからね、一つお願いしますよ。

どんな格好でお出かけになったんです?


こま:

あい、すいません・・・

白薩摩の着物を着てまいりました。


熊五郎:

ああ、そうですか。

ちょいと矢立てある?あ、半紙ある?書いといて。

ええ、いいね白薩摩ってのは。好きなんだよ。

前からね、買いてぇと思ってんだ。

なかなか買えねぇんだ、高いから。

死ぬくらいなら、俺にくれりゃよかったのに・・・(咳払い)

あ、茶献上(ちゃけんじょう)の帯、これもいい帯ですねぇ。


雪駄(せった)が?

ああ、なるほど。

煙草入れをさして、ええ、ええ。 

ああ、ああ・・・、そうすか。


よく覚えてるな、ええ?

普通、亭主が出かけるとき、覚えてねぇもんだと思うんだけど。


いやいや、それだけよく覚えていらっしゃるのは結構なんでございますけどね。

そのまんまの形で死んでいてくれればいいんですけど、

そんなことねぇと思うんですよ。

なにしろ水ん中ですから、とにかく苦しいもんですから、もがきましてね。

身に着けてるものはみんななくなってると、こう思わなくちゃいけないんです。


裸んなってね、こう目印というような、

体に何かそういうようなものがありませんかね。

あれでしょ?女将さん。

次郎兵衛さんが裸になってんのよく見てんだろうから、

何かありませんかね。


こま:

ございます。

どうしてもわかりませんようでしたら、

左の二の腕をご覧になればわかると思います。


熊五郎:

左の二の腕、へぇ、裏の方?こっちの方?

こんなとこに何があるんです?

傷ですか、痣ですか、ほくろですが、いぼかなんですか。


こま:

はい。「こま命」とあたしの名前が刺青になって入っております。


熊五郎:

ああっ!そーすかー!どうもごちそうさまでございます!

驚いたね、これ、ええ?

わからねえもんだね、人ってぇのはねぇ。

あの堅物の次郎兵衛さんが、女将さんの名前をこんなところに刺青を・・・

これでわかったね。

じゃあ、半分は仮通夜をして、

あとの半分は、「こま命」を探しに行こうじゃねぇか!

じゃ、頼むよ!

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【語り】

わぁと表へ駆け出していきます。

次郎兵衛さんのほうは、船場が落ち着いたというので

船頭さんに送ってもらいましてー

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次郎兵衛:

こんなところまで送って頂きまして、本当にありがとうございます。

あぁ、あそこでございます。

簾がかかっておりまして、いま人がばらばらばらって。

あそこが私のウチでございますので、

あの、ちょっとお立ち寄りをいただきまして・・・


金五郎:

そういうわけにはいかねぇんですよ。

こういう間違いがあった時にゃあね、

またすぐに戻らねぇと、仲間内でいろいろとまずいもんでして。

ここまでお送りしたのはですね、実は家を覚えたかったんですよね。

これで覚えましたんでね。

今度は、かみさんと二人で泊るつもりで伺いますね。

ですから、今日はこれで勘弁をしていただけますでしょうか。


次郎兵衛:

わかりました。

じゃ、無理なお引止めは致しませんので、

女将さんに宜しくお伝え下さいまして、お気を付けて。

ありがとうございました。


・・・いい人だなぁ。

あれが本当の江戸っ子って言うんだろうね。

それにススメ上手というか、すっかり遅くなっちまった。

早くに帰ろう。


あれ、灯りがついてるな。

ははぁ、アレが待ってますよ。

起きてるんだろうなぁ。

またうるさいだろうなぁ。

いいや、ちゃんとしたワケがあるんだから。


あれ・・・

お経が聞こえてきたよ。

忌中って札が貼ってある。

誰が死んだんだ?おっかさんか?


おいおいおい、まずいね、おい。

実の親が死んだってのに、

こっちは祭で浮かれてるなんていうことがしれちまったら・・・

だけど、神信心に出かけて、親の死に目に会えないってことがあんのかな、これ。

ああ、ああ、もうみんな忙しそうに出たり入ったり、

出たり入ったりしてくださってる。


あれ?おっかさん見えてるじゃない。

こまもいるじゃないか。

じゃあ、いったい誰が・・・


ま、こんなところで考えてても仕方ない。

とりあえず入ろうか。

はい!どうも、ただいま帰りました!

へい、どうもいらっしゃい!


八五郎:

っ!!!

だーーーーーーーーーっ!!!

だ、だ、だ、だ、だ!!!!


熊五郎:

なんだよ、あんなところでしゃがみこんじゃったよ。え?


八五郎:

じ、じ、じ、じ、じ!!!


熊五郎:

セミだね、まるで、おい。

ひっこんでろ、俺がでるから、

えぇご苦労様でございます、どなた様で・・・

だーーーーーーーーーっ!!!

だ、だ、だ、だ、だ!!!!

じ、じ、じ、じ、じ!!!

だめだめだめだめ!!


次郎兵衛さん、うかんでうかんでうかんで!!


次郎兵衛:

うかんでって・・・。

これは誰の弔いですか。

この棺桶には誰が入るんです?


熊五郎:

お前さんが入るんだよ!

そそっかしい幽霊だな、ほんと。

自分が死んだの忘れて戻ってきた・・・。


お前さんは、佃の祭りに行ってね。

終い舟に乗って死んじゃったんだよ!


次郎兵衛:

・・・あぁ、申し訳ない。そうじゃないんですよ。

いや、聞いてください。


おっかさんも、いろいろ心配をかけて申し訳なかった。

いや、お前も聞いておくれ。そうじゃない。


あたしね、終い舟には乗ったんだけど、三年前に吾妻橋でもって

身投げをしようとした女にね、五両もの金を恵んで助けたことがあった。

その女に引き止められて、その人のうちで酒をのんでいて、

舟に乗らずに助かったんですよ。


熊五郎:

ええ、そんなことってのはあるんですか。


はぁ~、情けは人の為ならずなんてぇ事言いますけれどもね。

こら驚いたね、どうも・・・


おい、女将さん泣いてる場合じゃないよっ

次郎兵衛さん、生きて帰ってきたじゃあないか、ええ?


助けた女の人のうちで、お酒飲んでたんだってさ!

何もなかったと思うかい?ハハハハ!


こま:

悔しいぃぃぃぃ!

どうせこの人はそうですよ!

女の人だから、そん時助けたんですよ!

男の人だったら、ほおり込んでる!


熊五郎:

ハハハハ、女将さん喜んでるよ。

いやぁ、よかったよかった。


よかったけどなぁ・・・

坊さんにも来てもらって、気の毒なのは坊さんだ。ええ?

誰かこん中で一人死なねぇかな。ほんとに。

坊さん、どうしやしょう?


坊さん:

いやいや、結構な話じゃありませんか。

いまの話を伺ってそのままお話すると、法談ということになりますよ。


人間というのは仁徳というのを施しておかねばなりません。

そうすれば、必ずその報われますからね。


身投げをしようしたご婦人を助ける。

お金を恵んであげる。

それを別に誰にも言わない。

忘れてしまった頃に助けられるというのは、

これは報われたというわけでございますな。


とにかく、こういうことは、いい話でございますよ。

どうかこれからみなさま方も、次郎兵衛さんのしたことを

よ~く考えて、見倣っていただきたいものでございますな。


それでは、あたしはこれでごめんこうむりますよ。

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【語り】

これを隅の方で聞いておりました、さっきの与太郎。

物の感じ方が激しいもんですからー

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与太郎:

そうか、人に三両の金を恵んでやって、

身投げをしようとした人を助けりゃ、自分が助かって死なねぇですむんだ。


よぉし、おらぁ身投げをしようとしている人を見つけて助けよう。

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【語り】

家に帰ってどう算段したのかわかりませんが、三両の金を懐にいれて、

あくる日から弁当持って、身投げを探し出した。


身投げの本場ってぇと向島だが、どうも見つからない。

次の日は、不忍池をぐるぐる一日中まわって、

三日目は、本所から深川を探そうってんで、

へとへとになって、永代橋のところにかかってきた。


与太郎がひょいと橋の真ん中のあたりを見ると、

年頃二十五、六になります色の白い綺麗な女将さん。

頭はってぇと、結び髪にしておりました。

目にいっぱい涙をためて、欄干に寄りかかって手を合わせてるのを見つけた。

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与太郎:

あぁ、身投げだ・・・。よぉし。

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【語り】

そーっと後ろから行くってぇと、いきなり女将さんにかじりついた。

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与太郎:

お待ち!お待ち!待ちな!


女:

あ!離してください、離してくださいよ!


与太郎:

待ちな!三両のお金がねぇから、死のうってんだろう?

俺がやるから助け・・・


女:

な、な、何を言ってんだよ、この人は!

身投げなんかするんじゃないよ。

あんまり歯が痛いから戸隠様に願をかけてんだよ!


与太郎:

嘘をつけぇ、それを証拠に、袂にこんなに石があらぁ!


女:

石じゃあないよ、納める梨だよ。


ー終演ー

参考:

古今亭志ん朝

柳家一琴(イッキン)