【登場人物】
半兵衛:時次郎の父。商人。粋な人。かたすぎる息子を心配し、源平と田助に、遊びに連れ出すよう頼む。
時次郎:堅物。本を読んでばかりいる。
源平:町内の遊び人。半兵衛に、息子を遊びにつれていくよう頼まれて引き受ける
田助:源平と一緒に、時次郎を吉原に連れていく。少し短気。
女将/浦里大夫/枕:
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【枕】
昔は、色街というようなところがございました。芸者や遊女などがいて、遊べるところですね。大坂の新町遊廓、京都の島原遊廓、江戸の吉原遊廓は、三大遊廓と呼ばれ、大変栄えました。
「あけがらす」とは明け方に鳴くカラス、また、その声のことを言います。情を交わした男女の夢を破る、つれないものの例として用いられることが多いのですが、今回は商家の堅物な若旦那が「お稲荷様にお参りにいきますよ」と連れていかれる噺でございます。
吉原に行くことは、単なる遊びではなく格式ある遊びが行われていたこともあり、「文化的な体験」としても認識されていました。
商家の若旦那にとって、遊郭遊びは「一人前の男」として認められるための通過儀礼のようなもので、親の代からの取引先との関係を大事にするため、世間の遊びを知らない跡取りでは商売に影響が出ることもあった。
そのため、「遊びを知らないと恥ずかしい」と考えられ、遊び人の指南役をつけて経験させることがよくあったそうです。
吉原、中継ぎ、大門、見返り柳―
それらの風景を思い巡らしながら、堅物な若旦那が果たしてどうなるのか。
お楽しみいただけますと幸いです。
-----【本編】-----
半兵衛:おばあさん、どうしたぃ倅は。ええ?出かけた?
へぇぇぇ、珍しいこともあるんもんだねぇ。
いやいやいや、用じゃねぇんだよ。
いまちょうど二階にね、片付けものにあがったら、
あれがいつも本読んでんのに今日姿見えないからね、どうしたのかと思ったんだ。
珍しいこともあるもんだなぁ。ああそうかい、へえ。
何が?
心配だ?
どうして。
すぐに帰ってくるって出てったのに、いまだに帰ってきません?
ばあさん、何を言ってんだよ。子供じゃないんだよ。
あれはもう二十歳になるんだ。夜遅くなってるわけじゃありませんよ。
もし、よしんばなったっていいじゃない。
一晩ぐらい、うちを開けるようでなくちゃいけませんよ、あの歳なんだから、ねぇ。
いや、それはね、おばあさん、いつもそれ言うんだよ。
わかってるんだってんだよ。
かたいのは結構ですよ。あれは少しかたすぎるんだよ。
何でも程というものが大切だと……
いい年頃の男がだよ?
毎日毎日うちに閉じこもって本ばかり読んでんだよ。
しょうがないよ、あれじゃあ、ねぇ、体ぁ弱くなるしさ、ねぇ?
人間が堅物だから人様が付き合ってくれなくなるよ?
商人(あきんど)で人様が付き合ってくれなくなったら商売うまくいきませんよ。
いや、悪くしようてんじゃないよ、なんでも程があるってんだよ。
あ、ほら喧嘩してる場合じゃないよ、堅物帰ってきましたよ。
誰だい。
時次郎:あ、どうも。ただいま帰りました。おとっつあん。
あいすいません、遅くなりまして。
すぐに帰ろうと思ったんでございますが……
半兵衛:いやいや、かまやしないんだよ。
別にね、そんなことはどうでもいいんだ。どこ行ったんだい?
時次郎:はい。
ちょっと本を読みすぎまして、頭が痛くなりまして表へぶらっと出ました。
横町のお稲荷さんに参りましたら、今日は初午(はつうま)でございまして、
町内の方(かた)が大勢集まっていらっしゃいました。
で、あたくしがまいりましたところ
「若旦那お酒はいかがです?」と言ってくだすったんですが、
お断りをしたところ、「それじゃ"おこわ"になさいまし」と勧められまして、
いただいてみたところ、たいへんよく炊けておりましたので、
"おこわ"を三膳おかわりいたしました。
帰ろうかと思いましたら、子供たちが一緒に遊んでくれと、
こうせがむもんですから一緒に太鼓を叩いて遊んでまいりまして遅くなりました。
半兵衛:いい若ぇもんのするこっちゃないよ
あのな、おとっつあん、おまえさんに小言を言うんじゃないよ?
取り違わないでおくれ?
本を読むのは結構だけどなぁ、ほどほどにしたらどうだい、ねぇ
お前はね、学者になるわけじゃないんだよ?
今におとっつあんの後を継いで、商人(あきんど)になるんだよ。
この家の主になるんだ。
商人は、商人の学問というものがいるんですよ。
どういうことかというとね、まぁ、あっち行ったりこっち行ったり、お前さんが出かけてね、色んなものをみたり、人様の話を聞く。これが大変に勉強になる。お前はバカにするかもしれないが、そうでないんだ、ねぇ。いくら本を読んでも、人様にちょいと話を聞く方がどんだけ役に立つかわかんない。ねぇ?
お前は閉じこもって本ばかり読んでるでしょ?
それはお前、確かに親孝行ですよ?
おとっつあんにしてみると、ああやって何もしないで本ばかり読んでるってぇと
しまいに体を壊すんじゃないかって心配するじゃないか。
親に心配をかける、こら親不孝ですよ?
だからね、これからはちょくちょく表へ出て、ね、いろんな所をみたりなんかしたりしなくちゃいけません。
第一、お前がおとっつあんの後を継いで、商売を一生懸命いろんな人と付き合ったりなんかするでしょ、ね。そん時にね、先方が誘ってくれる。そのまんまお前が金魚のフンみたいに後をウロウロついてるようなこっちゃダメなんだ。
自分の方から「恐れ入りますがお付き合い願いますか。あそこでこういうものを食べさせます」とか「あそこの芸者衆はこういう芸が得意です」とか、そのくらいのことを知ってなきゃいけないよ?
本読んじゃいけないとは言いませんよ。読むのはかまわないが、本もほどほどに。ね?
だから、あとはどっかに出てっていろんなことを見聞きする。これがお前さん、一番大切なことなんだよ。わかったかい?
時次郎:はい、よくわかりました。あのそれでしたら、ちょうど良いお話しかと思いますが、今、表で源平さんと田助さんに会いまして、
「これからお稲荷さんにお参り行くんだけれども、一緒に行かないか」と誘われたんでございますが、行ってもよろしゅうございましょうか。
半兵衛:え?源平と田助に会った?そんな、神信心するような二人……
あーーー!!そうかい。お稲荷様行くって?
いや、そんな話は聞いてました。あの連中よく行くらしいんだ。
ああそうかい、じゃあ行ってきなさい。うん。
いや、あの、"どこの"お稲荷様に行くって言ってました?
時次郎:あの、浅草の観音様の裏手の方に、大変ありがたぁいお稲荷様があるんだそうで
半兵衛:あああああ!ありますよ!ありますよ!!あそこは日本一だよ!?
おとっつあんなんか若い時分には日参(にっさん)したもんだんだよ。
しかし、お参りが過ぎてね、しくじったことがあった。アハハハ!
あ、そうだ。初めていくんだ。
お前ねえ、今日初めてだから、ひとつ御籠りをしてきなさい。
時次郎:それでは定吉に布団を……
半兵衛:そんなことしなくていいんだ、向こうに全部揃っている。あのお二方にお願いしてお付き合いを願いなさいよ?よぉく心得てらっしゃる方々ですから、まかせればいいんだ。
あ、そのなりじゃよくないな。なりが悪いってと、あのお稲荷さん御利益(ごりやく)が薄いからな。
おばあさん、ちょっと何かだしてやって。
―おばあさん、嫌な顔をする
いいんだよぉ。何をブツブツ言って……
うるせぇなぁ。黙ってだしなさい。
紋付袴じゃないよ、馬鹿野郎!
そうそう、そういうもんのがいい。
あと、お賽銭。お賽銭もたっっぷりもたせてやって。
お賽銭が少ないってぇと、これまたご利益が薄い。
―時次郎へ
それでね、あの方たちと行くと、途中で「中継ぎ(なかつぎ)」をなさるかもしれないな。
時次郎:「中継ぎ」と申しますと?
半兵衛:どっかに上がって、まぁいっぱい召し上がるってぇやつだ。
時次郎:お酒でございますか?あのぉ、あたくし、お酒をいただけませんから、それじゃあ、お二方が飲んでいらっしゃる間、表で待っております。
半兵衛:それがいけないんだよ。なんでも「付き合い」というものが大切ですよ?「おひとついかがです?」と言われたら、「飲めません」とか「いただけません」と断ったら世辞も愛嬌もないでしょ。
お前も、おちょこに一杯くらいは飲めるだろう?後はいくら注(さ)されてもみんな飲んだふりをして、杯洗(はいせん)の中へ入れてしまえばいいんだから。
それからね、途中で手を叩いて「お会計!」なんて、これはもう野暮の極みだからね?お前さんが憚り(はばかり)へ行くふりをして、裏梯子(はしご)をとんとんとんと降りて行って、お帳場でもって三人分の勘定を一手に済ませてしまう。
わかったかい。
時次郎:はい。帳面につけておいて、後から割り前をいただくんですね!
半兵衛:そんなことしちゃいけませんよ!
二人は町内の札付きだ、後が怖いんだから。まあ、後は二人言うことを聞いてれば間違いないからね?
時次郎:それでは、行ってまいります。
【場転】
田助:おい!もう行こう!どうせ来やしないよ!
考えて見ねえな!どこの世の中にだよ?
てめえの倅を、女郎屋に連れて行ってくれって頼む親がいるんだよ!?
源平:お前ね、なんにもしらねぇから、そんなこと言ってんだ。
あそこの旦那なんて、粋な人ったらありゃしねぇんだ。
こないだ髪結い床で会ったんだ。
「うちの倅にも困ったもんだ」ってこう言うから、「どうしてです、堅くて結構じゃないですか」って言ったら「堅すぎる」ってんだ。
考えてみるってぇと、親ってのは大変だね。柔らかいと言っちゃ心配し、堅いと言っちゃ苦労するんだよ。俺ぁもう生涯親になんのよそうと思ったね、うん。
で、「どうしてそんなに心配なんです」って言ったら、「これから先、商売をアレが継いだときに、人様が付き合ってくれないから、少しは柔らかくならないってと困る」「たまにはお前さん、どっかに遊びに引っ張りだしておくれよ」ってこう言われたんだよね。うん。
「行きますかね!」って言ったら、「ああいう倅だから、信心にかこつけてどっかにお参りにでも行く、と、こう行って誘ってくれれば行くだろう」
倅が嫌だって言っても、あそこのおとっつあんのことだ。出してよこすよ。
まぁ待ちなよ。いま来るよ、大丈夫……
田助:ま、俺たちの分まで出してくれるってんだから、待つ……いや、おせぇなぁ!
源平:おめぇは気が短すぎんだよ。ああ、ほらほらほら、出てきた。探してるよ。
もし!ぼっちゃん!若旦那ぁ!!(手を叩く・パンパンパンパン)
ここ。ここ。ここですよ!
時次郎:あ、どうもあいすいません。遅くなりました。すぐに出てこようと思ったのですが、親父が「なりが悪いと御利益が薄い」と申しましたので、着替えてまいりました。
源平:おお……(苦笑)聞いたか。なりが悪いと御利益が薄いとよ。
田助:こりゃ俺たちゃぁ、ご利益薄いぞ。
源平:いやいや、結構ななりでございますなぁ。
時次郎:それから、親父が申しますには「お前は今日初めてだから、お参りにでなく、御籠りをしてこい」と言われたんでございますが、あの、お二人ともお付き合い願いますでしょうか。
源平:へ、いいねぇ、御籠りだとさ。ええ、結構ですよ。お付き合いいたしますから大丈夫ですよ。
時次郎:万事、よろしくお願いします。
源平:大丈夫です。出かけましょうか。
時次郎:はい、それであの、あなた方、「中継ぎ」をなさいますでしょう?
源平:おや、「中継ぎ」なんてご存知なんですね。ええ、そうちょいと道中どこかへ寄って一杯……
時次郎:あたくし、ほんとはお酒はいただけないんですけれども、付き合いが大切でございますから、一緒にどちらにでもまいります。注(さ)されましたら、断ると世辞愛嬌がございませんので、おちょこに一杯はいただきたいと思います。あとは何杯注されても、飲んだふりをして杯洗の中へあけてしまいます。
田助:もったいねぇなぁ!!
源平:あのね、飲み手はちゃんといるんですから。下戸の方は下戸の方なりの召し上がりものがありますから大丈夫ですよ。
時次郎:それから、途中で手を叩いて「お会計!」なんてことは野暮の極みでございますので、憚りへ行くふりをして、裏梯子をとんとんとんと降りて行ってお帳場でもって三人分の勘定を一手に済ませてしまいますんで。
田助:親父に聞いたとおりに言ってやがるね……
源平:そうだよ。ちゃんと教わってきたんだよ。
何を言ってんですよ、ぼっちゃん。
はばかりながら、この源平と田助がついてるんですよ。
そんな心配しちゃいけません。万事あたしたちに任せておきなさい。
時次郎:いえ、とんでもない。あなた方、町内の札付きだ。後が怖い。
田助:なんだと?!
源平:驚いたねぇ、どうも。
―田助、怒っている
源平:まぁいいじゃねぇか。
そうやってさぁ、出したんだからお前いちいち気にすんじゃないよ。
大丈夫ですよ。まあひとつどっかへ参りましょう!
-----------【語り】-----------------------------------------------------
三人でそこらへんの店へあがってしばらくの間やる。
目のふちをほんのり赤くして、吉原へ向かいます。
その時分の吉原道は、宵の口は大変な雑踏だったそうです。
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時次郎:ずいぶん、あの~、人が参りますが、この方たちはみんなお稲荷様……
源平:ええ、みんなそうですよ。大変でしょ。バカな繫盛ですよ、このお稲荷様。
時次郎:そうですか。あのぉ、この方たちは、みなさま御籠りの方でございますか?
源平:いや御籠りの方に限っちゃあいませんよ?中にはお参りだけでスーッと帰っちゃうのもいますよ。いろいろでございますよ。
時次郎:ああそうですか。
あ、こんなところに柳の木がたっています!
源平:え、これが有名な「見返り柳」ですよ。
田助:ばか!これはね、ええ……そう!「ご神木」です。
時次郎:そうですか。もしお二人とはぐれましたら、あたくしあの柳の木のところに立ってますんで
源平:お化けだよそれじゃあ
まぁこっちいらっしゃい。着きましたよ。これがね、このお稲荷様の「大門(といいかけて)」、いや「鳥居」でございますよ。変わった形をしてるでしょう。
さ、中に入りましょう。
大変な賑わいでございましょ?
時次郎:ほんとうでございますね。
……?
三味線や太鼓の音が聞こえますが……
源平:ああ、ここのお稲荷様は、大変寂しがりなんでね。ああやってお慰めしてるんですよ、ね?
時次郎:はあそうですか。変わったお稲荷様でございますね。
源平:ええそりゃもうね、ここだけしかありませんよ!あとは品川とか
田助:余計なこと言うんないよ!
源平:え?どこ?なんです?憚りですか?憚りはあそこにございますよ
汚いですからな。着物を汚さないようにしてください。ここで待ってますよ!へい!どうも……
なるほど。こりゃあ、おとっつあん考え混んじまうよ。
田助:えぇ?ここまで堅くなくたっていいじゃねえか!
大概のもんならここへ入ってくるとね、もう分かるもんなんだよ
未だにお稲荷様だと思ってやがるんだから
源平:店に上がればしまいには現れちまうけどさ。何とかひとつね、せめて茶屋ぐらいまではごまかしたいじゃねえか。
あたしは先に茶屋に乗り込んでって、うまい具合に女将に吹き込んでおくから、あの堅物をね「お巫女の家」とかなんとか言って連れてきなさいよ?頼むよ?
源平:こんばんは!
女将:は~い!あらぁまあお珍しいじゃございませんか!どうなすったんですか?ちっともお見えにならないで!またどこかで浮気でもしてたんじゃないのかい
源平:いやそうじゃねえんだよ女将。ちょいと野暮用続きで来られなかったの!
そんなことより女将、一つ頼みがあってね。
女将:そうですか?なんでしょうねえ?ちょっと怖いですねぇ
源平:実はねちょいと耳を貸してもらいたい
女将:どっちのです?
源平:どっちだっていいんだよ
女将:はい、はい、へぇへぇ、はい、はいはいはいはい
はい、へぇ~!!へぇへぇへぇ!!
あ~はいはいはい~。ん~はい、へえええ!!
源平:おい、ちゃんと聞いてんのかい!?
女将:ですからその堅い方がいらしたことは伺ってました。
はい、その方が?お見えになる!?
そうですか、まあ~よくお見えになりましたね
何ですか?お稲荷様へ御籠りに行くと偽って!?
あら~、悪いことをするじゃあありませんか!
そうですか、まあ大変なところに御籠りでございますねえ。
それでここがお巫女のお家ということで?
あはははっ!ここがお巫女の家だとさ!
まあ~!それであたしがお巫女頭?
嫌ですよ、お巫女頭だなんて。
あたくしだめですよ?芝居っ気がまるでないんですから
源平:いいんだよ!分かっても!知られたって別にどうってことはねえんだ!
頼むよ!遊びにやるんだから!
おっ!来たよ来たよ!
いいかい?いいね!お巫女頭だよ!?いいね?
もし!ぼっちゃん!若旦那!!どうぞお入んなさい!
時次郎:あっ!あんなところでもって源平さんが呼んでます!
田助:ああ、あそこはねえ、お巫女のお家なんでございますよ。お入りください。
時次郎:そうですか、ちょっとごめん下さいまし
田助:で、あちらにいらっしゃるのがね、「巫女頭」なんだよ
時次郎:巫女頭……。巫女装束(みこしょうぞく)でない巫女頭……
田助:い、いまぁ、休みなんだよ。な!
女将:え、ええ。すみませんねぇ。こんな格好で。さ、どうぞ。
時次郎:あの!
女将:は、はい!
時次郎:あたくしは、日本橋田所町日向屋半兵衛の倅の時次郎と申します。今晩は三名にて御籠りに参りました。何卒一つよろしくお願いいたします。
女将:(笑いそうになりながら)ふっ……
んまぁ若旦那さん、ご丁寧なご挨拶です
これはそうとうですよ……
田助:おい!
女将:よ、ようこそおいでくださいました。どうぞごゆっ……
ふふふっ……ど、どうぞごゆっくり……お、御籠りくだ……
ごほっごほっ!うん!御籠り下さいまし!
時次郎:なにかおかしなことが……
女将:いえいえいえいえ!ごめんなさいねぇ、ふふ……
何を笑ってるんだお前達っ!失礼じゃあないか。
若旦那さん、ちょっとお顔をお上げに……
んまぁ、色の白いいい男
いえね、綺麗な方がいらして、みなざわついているんですよ。
はしたないったらありゃしない。
まあ、これはこれはお稲荷さんもお喜びになられますよ。ただいますぐですから。
若旦那さん、二階へ上がってくださいな。
時次郎:はい、失礼いたします。
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【語り】
茶屋の方でも現れちゃいけないと思うから支度をして、すぐに店の方へ送り込む。その時分の吉原で、最も格式の高い遊女屋というものは本当に立派だったそうで、玄関なんざもう大変で間口が真に広い。入ってみるってと敷台なんざ綺麗に拭き込まれてありまして、お客様の顔が映ったりするそうです
白いはしごをとんとんとんと~ん!とあがりきるってぇと見通せないぐらいの長~い廊下になっている
そこをご婦人が上草履なんてんで厚~い草履を履いてね、パタ~ン、パタ~ン、とこう歩いてくるわけですから。これを見ればどんな堅物だって、お稲荷さんじゃないことくらい分かります
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時次郎:源平さん!!!
源平:っ!!どうしたんですか!?脅かしちゃいけませんよ。
時次郎:ここは、お稲荷様じゃありませんね!?
源平:なんてことを言っ……、
お稲荷様ですよ!
時次郎:いえ!お稲荷様じゃありません!!だって今いましたよ!?こんなんなった頭をした女の人が!!
あれは何です!?
源平:いや~、ここはあの~、弁天様もやってる……
時次郎:嘘です!
ここは吉原というところでございましょう?書物で読んだことがございます!あたくしはお稲荷様へ御籠りになるというので後をついてまいりました。こんなところへ来るつもりはないんでございますよ!
あぁぁ~ッ(泣く)
帰ります。
源平:泣かないでくださいよ。ぼっちゃん!ちょっとお待ちなさいよ!ぼっちゃん!そんなこと言わないで!いいじゃありませんか!?あなた付き合いが大事だってそういったじゃないですか!?
付き合いなさい!!
時次郎:付き合いなさい?あなた方、あたしのことを騙したんじゃありませんか!!冗談言っちゃいけませんよ!家ではこんなところに来てると思っちゃいないんですから!
源平:えへへへ……。それがそうでないんですよ!実はねえ、あなたのおとっつあんに頼まれてあなたを誘い出したんですから
時次郎:え?親父がですか?親父はそういう親父ですから何を言い出すか分かりませんが、 親類中はみんな堅いんでございます!!後で何を言われるか分かりませんから ここはひとつ御勘弁いただきたいと思います!あたくしはお先に……
田助:帰ればいいじゃねぇか。めんどくせぇ。
源平:おめぇまでそんなこと言うなって。
ああ、ちょちょちょ、そんなこと言わないであなたぁ!
よしなさいよぉ~。せっかくここまで来たんですから!
お付き合いしなさいよ!ね?今に必ず困りますよ?
なんだって知らないより知ってる方がいいじゃありませんか!
こういうところへ来て、ああこういうもんかってなことを自分で目の当たりにするってと、これが勉強になるってえやつですよ
時次郎:冗談言っちゃあいけません!そんな勉強なんざしたくありません!とにかくあたしは、こんな不浄なところへは一時たりともいたくはありませんから!あたしは先に帰ります!!
源平:機嫌を直して!騙したのはあたくしです!どうもすいませんでした。どうかこの通り!お願いしますから
田助:どうもしょうがねえなあ、おい……
源平:おめぇ、名前が田助なんだから、助けろよぉ。
一緒に止めてくれりゃあいいじゃねえか
田助:くだらねぇこと言ってんじゃねぇよ
馬鹿だねぇ!今畜生は!わざわざ頭下げて言う必要はねえんだよ!
帰りてえって言うんだから帰ってもらえばいいじゃねえか!
源平:せっかくここまで来たんだから止めてやってくれよ!
田助:いいんだよ!帰してやりゃあいいじゃねえか!
ぼっちゃん!お帰えんなさいお帰えんさい!
えぇ?あなた何にも知らねえからそんなことが言えるんだい!
ねえ?知らねえってのは強えもんだ本当に……
本当にしょうがねえ
でも、あんた吉原の法なんてもんを知らないから、一人で帰るなんてそんなことが言えるんです。ね?その法知ってりゃとてもじゃないが怖くて帰れませんよ
時次郎:吉原の法?
田助:そうです、法ですよ。町には法があるんですよ。
時次郎:それはそうかもしれませんが……
田助:いいですか?「そんな法があるなら、なぜ教えてくれなかった!」って恨まれるのも嫌ですからお話しますがね?
大門のとこから入ってきたらね?あそこからの一本道なんですよ。
他からは出入りができない。
で、大門の所に髭をはやした怖いおじさんが立ってたでしょう?
時次郎:え、立っていましたか?
田助:え?見なかった?ああそりゃあ見過ごしちゃったんだなぁ
そのおじさんはね?こっちの手に帳面を、こっちの方の手に筆を持っててな?
で、こうじ~っと見ている。どういうことをしているかって言うとね?ここにはね色んな奴が入ってくるんすよ。いつ何時どんな風体の男が、何人連れで入ったあてえことをず~とこう帳面につけてる。ね?後はもうす~っと出てってご覧なさい。
『ちょいと待て!この男はさっき何時時分に三人連れで入ってったじゃないか!』
『それで一人で帰って行くのは真におかしい!貴様こっちへ来い』
ってんで大門の所で止められますよ?
なあ!?
源平:ふ~ん、そうだっけ……
田助:の野郎!大門の所で三人で入って来て、一人で帰ったら大門で止められるじゃねえか!!なぁ!!!
源平:そうかい?
田助:この野郎……、しょうがねえなあ……馬鹿野郎……
俺の目を見ろ俺の目を!!よく聞けよ!?ばか!!!
三人で入ってきただろ?一人で帰る!
三人で入って来て一人で帰るなんて大門で止められるだろ?だろ?バァァカ!!
源平:……あああ~~!そうそうそう!止められますよ!もう止められたら中々帰れませんよ?もうこないだなんか元禄時代から止められたのがいて……
田助:馬鹿野郎おめえそんなことがあるかい!それでもよかったら、ぼっちゃん、一人でもお先にお帰んなさい!ね、お帰んなさい!
時次郎:ひどいところでございます……。あたくしそんな思いはしとうございません。恐れ入りますが、ふたりでもって大門のところまで送って来ておくんなさいまし。
田助:冗談言っちゃあいけませんよ!こっちは別に帰りたくねえんだ、あなた一人が帰りてえんだから!今度はあなたの方からこっち付き合いなさい!
時次郎:付き合いなさいって一体どういう……
田助:だからさあ三人で一緒に帰るんだ。あなたの方が付き合いなさい!
時次郎:じゃあ一体いつ頃お帰りになるんですか!?
田助:そうだねえ~、しばらく来なかったからねぇ。まあ、ひと月になるかふた月になるか……
時次郎:冗談言っちゃあいけませんよ!それじゃあ、あたしは帰れないよぉ~。
ううう……
源平:おいおい、本当にしょうがねえなあ!
そこでもって一杯やってどんちゃん騒ぎして、でもってこの店に景気をつけて、ス~っと帰りましょうじゃありませんかね?そのくらいはあんた付き合って下さいよ!
時次郎:大門の所で三人で入って来て、一人で帰ったら大門で止められる……
うううう……
源平:ぼっちゃん!あれは冗談!シャレですよ!んなことはありません!けどね!こういう家は縁起商売でね?上がった客にすぐ帰られるってのは縁起が悪くて嫌がられるんですよ。だからね!こうしましょう!ここで座敷がありまして、酒・魚が運ばれてきます
そこで芸者衆が……
時次郎:うううううう……
源平:いやいや大丈夫。心配するこたねえ!何をしようというわけじゃありませんよ。賑やかしに来るんですから。
時次郎:そうですか、それじゃあお付き合いいたします。飲むんでございますね?じゃあ、小さいもんではなくて何かどんぶり鉢かなんかで……
源平:そんなもんで飲みはしませんよ!大丈夫です!大丈夫でございますよ!
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【語り】
ってんで座敷が変わります。酒、魚が運ばれてくる、しばらく経つってと横丁芸者と申しまして、腕達者な芸者衆が繰り込んできます。
「こんばんは~!」なんてんで黄色い声を出します。もうこんな芸者衆が入ってくるってと、どんな陰気な奴でも一気に陽気になったそうでございます。
それがちっとも陽気にならないで……
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田助:もういい……。もういいから。
飲んでたってうまくもなんともねえ。
ええ?なんだよ?駄々っ子上向いてべそかいてやがんだから。
し~んとしちゃってさあ……。通夜じゃねえんだから
おい!おめえが連れて来たんだよ!?なんとかしねえ!
源平:しようと思ったよ?しようと思ったけど女将がね?「うぶでいい!!任しといてくださいよ」ってそう言ったきりなんだから……
ぼっちゃん!!そんなところで一人で離れてねえ、向こう向いてるなんて、なんですよあんた!よそよそしいよ!こっちへ来てみなさんと一緒にお話でもしたらどうですか?
時次郎:結構でございます!!!
源平:取り付く暇がねえんだよ。
あのねえ、ぼっちゃん!
あ、女将が来た。何してたんだよ!!
女将:どうも遅くなりましてあいすいません。
若旦那、遅くなりまして申し訳ございません。さあ、あちらへ参りましょう。
ね?あちらへ、準備が。
時次郎:いえ!結構でございます!どうぞお構いなく!
女将:いえあなたがここにいるってとね、源平さんと田助さんがね?意地の悪い方ですからね?さっ、あちらへ参りましょう?
時次郎:いやです!止めてください!女郎買うってと、悪い病気をもらいます!!
源平:ああ嫌なことを言うねえ!!もうみんなで手伝って向こうやっちまえ!!
女将:さあさ、若旦那あちらへ参りましょう。
時次郎:ちょちょちょなんですか!?あなた方!え?いい歳してこんなくだらないことをして何が面白いんですか!人が嫌がることを無理に進めて!あなた方、他にやるべきことはないんでございますか!?
女将:さ、若旦那、こちらへ。「こういうウブな若旦那ならわたしが」といい浦里大夫からのお見立てでございますよ。
源平:浦里?!嘘だろ!!あの浦里が?!
時次郎:止めてください!手を離してください!手を離せ……
離さないか!!!
離してくださぁい。お願いですから!
お願いですから離してください!
源平:なんでだよ……
女将:さあ若旦那。大夫が待ってますよ。
時次郎:ちょ!押しちゃいけません!!源平さん、田助さん!何とかしてください!お願いします!
助けて~~~!!おっかさ~~~~ん!!!
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【語り】
こんなところでもって、おっかさんなんて言ったってしょうがない。
そこは餅は餅屋でもってうまい具合に納めてしまう。
邪魔者がいなくなったというわけで、あとはもぉひと散財ございまして、それぞれが部屋へ入ってしまいます。
「大一座(おおいちざ)、振られたやつが、起こし番」なんてことを言いまして、ああいうところへ行って友達の所へ何か首突っ込んでるもんに、モテたためしはないそうです
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源平:おはよう!夕べ、どうだった?
田助:ん……、どうだ、オレの目ぇ赤いだろ?
源平:おお、楽しんだか。
田助:部屋へ入ると途端、女がな「あんたを朝まで寝させしません」と、こう言う。どんなことしてくれんのかなぁ?と、胸ワクワクさしてたら、「ちょっとお手水(おちょうず)へ行ってきます」ポ~イと出たきり、帰ってこねぇ。
言うとおり、朝まで一睡もせず。
お前のほうはどうだった?
源平:俺はねぇ、お前と違って、寝間まで女と入った。寝間へ入った途端や、女が「プゥ」て、屁をかましやがって。この屁ぇが臭いのなんの、布団の中酸欠状態。朝まで気絶してた。
田助:なんてこったぃ。
源平:あいつぁ、どうしたよ。
田助:泊ったよ。
源平:よしなよ?あれは少し堅すぎるよ?堅すぎんの!!あそこまで堅いと憎たらしいね、イライラすんだよ。ね?第一ね?嫌なこと言ったろ?女郎買うってと、病気がうつるって。本当に弱ったねあいつぁ。もうね、お前さん物好きだけどもよした方がいいよあれは。で、どうしたの?あいつは?
田助:だから、泊ったよ。
源平:え?泊ま……った?御籠りになった?本当かい?
一人でだろ?相手と一緒!?何ぃ!?
田助:「大門で止められる」というあの嘘が効いたんだろ。泊まった。
そのかわり、夜中に男の叫び声が三回聞こえた。
源平:おい、大丈夫か。若旦那死んでるんと違うか?ちょっと見に行こ。
田助:こっちこっち、この座敷だよ。
おはようございま~す!!
いいねえ、大店というのは、座敷に入ってすぐに寝床が見えない。
源平:俺らの部屋と、雲泥の差だな
田助:これが醍醐味だよ!大店の……
ええ、ごめん下さい!ぼっちゃん?おはようございます
枕元に屏風を立てまわして寝てるよ。
へへっ、どうもねえ。
ぼっちゃん?源平に田助がお迎えに上がりましたよ?
ぼっちゃん!ぼっちゃん?
返事がないってとこっちで勝手に屏風外させていただきますよ?
どうも、失礼を……
浦里:誰だい?無粋だねぇ
源平:おお、これが噂の……。たまんない色気だねぇ
大夫とひとつ布団に入ってる!!
真っ赤になってさあ、潜っちゃったよ布団に!
田助:おっ?あっはははは!!ぼっちゃん?ぼっちゃん?
いかがでございますか?御籠りは?
時次郎:はい……。大変に結構な御籠りでございました……
田助:ああそうですか!結構だったと!花魁ね?可愛いでしょ?
源平:初回でこんなことになるなんて、ないよ!!!(泣きそうに悔しい
田助:どうです、また来たかったら一緒に来ますから。あたしら、帰らないといけません。早いこと起きてください。あのお送りいたしますからお宅へ。そこまであたくしの役目ですから!さあ起きて!
花魁、ひとつ手伝って!手伝って!
浦里:さあ若旦那。起きなんし……、起きなんし
源平:花魁が起きろ起きろって言ってんだから起きりゃあいいでしょ?
時次郎:お、花魁は口じゃあ起きろ起きろって言ってますけど……。布団の中では、足でわたしの太股を、グゥ~ッと挟んで……。
あぁぁ~、あぁぁ~、あとは言葉にできない……
源平:な、何を~ッ!きのうは「そういう女と寝たら、悪い病気をもらいます」言っといて、ひと晩経ったら「足で太股挟んで……、あぁぁ~、あぁぁ~、言葉にできない」
何をぬかしてやがる!!
田助:あたしら行くところがあるから、先帰りますよ!?
時次郎:あんた方、先に帰れるものなら帰ってごらんなさい。
【サゲ】大門で止められます。
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【解説】
「中継ぎ」
まっすぐ吉原へ乗り込むのではなく、途中、景気づけに「中継ぎ」と言って、ちょっと飲んでいったりする。お金持の遊びの場合、いきなり遊女のいる店には行かずに「お茶屋」に寄る。ときに遊女が(花魁が)お茶屋に客を迎えに来ることがあって、それが「道中」である。
『明烏夢泡雪(あけがらすゆめのあわゆき)』
1772年[安永元年]、浄瑠璃 初代鶴賀 若狭掾(つるが わかさのじょう)が作ったとされる新内節(しんないぶし)3大名曲の1つ。雪の中、庭木に縛り付けられ厳しく折檻される遊女・浦里の哀切な姿を描く場面で、恋人の時次郎が救いに来たと思ったのは一場の夢だった、という結末が語られます。