【登場人物】♂1:♀1
亭主/枕・語り/おとっつあん:亭主は大工。
女房:歌舞伎が好き。
----------------
江戸時代の「娯楽」とは?
女房は歌舞伎役者にご執心。亭主に、子どもの金坊(きんぼう)も一緒に芝居を連れて行ってほしいとねだります。しぶしぶ連れていくことになったわけですが―。
※約15分
※お相手が困らない程度のアドリブ可
※古典落語「堪忍袋」と「鍋墨大根」を少し絡めた話にしています。
【豆知識】
「大根役者」:演技の下手な役者を軽蔑していう言葉。単に「大根」ともいう。大根は格好が悪くとも、食べても決してあたらないところから、どんな役をやっても当たらない役者をいう。その語源については諸説ある。
「千両役者」(せんりょうやくしゃ):江戸時代に歌舞伎役者の中でも、特に人気を誇り、大衆を魅了した者を表した語。1年に千両を超えるほどの高い給金を得た事から、こう呼ばれるようになった。
「荒事」(あらごと):元禄時代の江戸で初代市川團十郎によって創始された、荒々しく豪快な歌舞伎の演技。
「小姑一人は鬼千匹に向かう」:嫁にとって、夫の姉や妹は、千匹の鬼を相手にするくらいに手ごわく、扱いが難しいものだというたとえ。
「掛け声」:役者の屋号であったり、代数であったりする。例えば、市川團十郎には、「成田屋(なりたや)!」「12代目!」と声が掛かる。役者が舞台の上で見得をした瞬間などに、お客が声を掛ける。掛けるタイミングがとても難しい。うまくいくと劇場全体を盛り上げる効果がある。声を掛けることは、客席から芝居に参加していることともいえる。
「毛抜(けぬき)」:歌舞伎十八番の内「毛抜」。弾正(だんじょう)と玄播(げんば)という役名が出てきます。日本刀を持った見得(みえ)が見どころ。
あらすじ → http://enmokudb.kabuki.ne.jp/repertoire/1292
「見巧者(みごうしゃ)」:芝居をよく見慣れていて、一般的に物の見方の上手な人。
「切落し(きりおとし)」:土間の枡席のことで、ひと桝に7~8人詰め込まれた。
「浮世絵」:写楽や歌川豊国など“似顔”の浮世絵を得意とする絵師が登場。歌舞伎役者を描いた役者絵や美人画が、ブロマイドという形で飛ぶように売れ、大衆のすみずみにまで広がる。
「江戸前鰻」:江戸が誇ったブランド。江戸時代、「四大食」といわれた料理は蕎麦、寿司、天ぷら、鰻。
----【枕】----------------
いま、娯楽といえば、そりゃあもうたくさんございます。スポーツ、芸術、音楽、映画、テーマパーク、ショッピング、旅行、ドライブ、釣り、動物園、水族館、カラオケ、飲み会、ゲーム等々、あげていけばキリがありません。
江戸時代には、庶民の娯楽と呼べるものは少なく、歌舞伎、人形浄瑠璃、相撲、浮世絵、大衆向けの貸本等があるくらいでございました。その中で、人気なのは「歌舞伎」。
歌舞伎の席料(せきりょう)はピンキリ。江戸時代の席料も、裕福な商人などが座る良い席は、約五万から十万円以上。
それに比べて、「切落し(きりおとし)」という江戸っ子たちが利用する大衆席はひと枡に七人くらいの収容が一般的で、混雑時にはもっと詰め込まれることもありました。この席で数千円です。それでも「もっと通いたい!」という庶民にとっての人気の席といえば、立見席。ここが数百円くらい。
贔屓(ひいき)の役者を間近に見たい若い女性たちは、舞台に近い土間席で見たかったわけですが、奉公する身分の女性では三か月分の給金が消える。
歌舞伎役者を描いた役者絵が、ブロマイドという形で飛ぶように売れ、大衆のすみずみにまで広がる。
役者の中には、一年に千両を超えるほどの高い給金を得た人気役者もでてくる。千両は、現在のお金にすると一億三千万円。「1億円プレーヤー」と言われる一流プロスポーツ選手と同じぐらい高収入の人が江戸時代にもいたわけです。
そして、みなさまご存じ「外郎売」。「外郎売」は、享保三年・一七一八年に、二代目市川團十郎が森田座で公演した際の台詞とされるもの。江戸っ子の絶大な人気を博して、現在にいたる市川團十郎家の基礎を築いた人物でございます。
もちろん、歌舞伎役者になれば人気役者になれるわけじゃぁございません。「千両役者」もいれば、「大根役者」なんて呼ばれてしまう人もいます。大根は形が悪くとも、食べても決してあたらないところから「どんな役をやっても当たらない役者」のことを言います。
江戸時代には、元々細い大根が多く「すずしろ」と言われることもありました。この細くて色白のきれいな大根を、元々は「大根足」と言っていたのですが、品種改良が進むことで「太くて不格好な足」を意味するようになってしまいました。
江戸時代から、現在に至るまで、日本人の食卓には欠かすことのできない馴染みのある美味しい野菜「大根」。役者にも、足にも揶揄(やゆ)されるほど身近な食品になっているのです。
----【枕ここまで】----------------
【本編】
亭主:おお、この沢庵(たくあん)うまいねぇ。
女房:そうかい?そらよかった。ああ、味噌汁もおかわりあるよ。
亭主:大根(でぇこん)の味噌汁もうまいねぇ。…って、沢庵と大根の味噌汁。おい、このウチには大根しかねぇのか?
女房:今日ね、青物屋(あおものや)の徳さんが、駕籠(かご)に大根を盛り上げて長屋にきたもんだから、長屋中の女将さんらに、「徳さんが大根一本四文に負けてくれるそうだから、買ってあげて!」って。ほら、あんなにたくさん。
亭主:まったく押しが強ぇな、おめえは。本当はいくらだったんでぇ。
女房:六文(約300円)だよ。こっちだって、毎日切り盛りするのに、知恵を使ってんだよ。おまえさんと違ってね。
亭主:なに抜かしてやがる。俺だって、知恵くらい使ってらぁ!
女房:浅漬けならぬ浅知恵だろ?
亭主:口のへらねぇ野郎だなぁ…、ええ?徳さんも気の毒なこった。ま、それにしても、この沢庵の風味と香りの良さ……。味噌汁もいいけどよ、これはあれだな、酒だな。おう、酒つけてくれねぇかな。
女房:鰯(いわし)ならあるよ?
亭主:鮭(しゃけ)じゃねぇよ。お・さ・け!
女房:「飯とおいしい漬物があれば他に何にもいらねぇ!」って言ってたじゃないか。酒屋さんのツケが、ちょいとたまってるんだよねぇ。少しくらい我慢しとくれ。
亭主:だからおめぇはわかってないってんだよ。いいか?一日働いて、湯に行って、酒を呑む。これを楽しみに働いているようなもんだ。疲れが吹っ飛んで、また明日も頑張るぞってなもんよ。ついでに、恨み辛みを忘れさせてくれる。それが酒だ。
おう、酒をだしてくれよ、酒を。
女房:おまえさんはいいよねぇ、それで忘れられるんだから。わたしだって、いろいろ忘れたいよ。ああ、だからさ、おまえさん!お願いがあるの。一生(いっしょ~~~う)のお願い!(手を合わせる)
亭主:おめぇの一生のお願いは何回目だよ…。
女房:いいじゃないか、減るもんじゃないしぃ。
亭主:おめぇの一生のお願いは、だいたい財布の中身が減るんだよ!ま、聞くだけ聞いてやるけどよ。今度はなんでぇ?
女房:芝居!芝居を見に行きたいのよぅ。市川團十郎!
亭主:おぅ、おぅ、カンタンに言ってくれんなぁ。
女房:だって、あの目!迫力があって男前!衣装も、隈どりも、「荒事(あらごと)」そのもの。「いよっ、成田屋!」
亭主:浮ついてやがんなぁ。これだから女は……。この前も、役者絵(やくしゃえ)を買ってニヤニヤしてやがったな。
女房:いいじゃないのさぁ。芝居をみると、たまってるものが、パーッとなくなって、せいせいするんだよぉ。
亭主:ああ?そんなにたまってんのか。
女房:毎日、堪忍袋の緒が切れて仕方ないねぇ。
亭主:おめぇの堪忍袋はずいぶんと小せぇんだな。もっと大きいの作っとけ。
女房:まったく、誰のせいだと思ってるんだい。
おまえさんを、朝はやく起こさなきゃいけない。
ご飯こさえなきゃいけない。
弁当作らなきゃいけない。
掃除しなきゃいけない。
洗濯しなきゃいけない。
子どもの面倒を見なきゃいけない。
舅・姑(しゅうと・しゅうとめ)のご機嫌をうかがわなきゃいけない。
小姑(こじゅうと)はうるさい。
酒に煙草に男と女……
ああ、あたしも、かみさんがほしい!
亭主:おいおいっ!最後おかしいんじゃねぇか?
女房:特に、小姑!およし姉さん!
「小姑一人は鬼千匹に向かう(こじゅうと ひとりは おにせんびきに むかう)」とはよく言ったものよ。
今日も、およし姉さんったら「近くに来たから寄ってみたよ」なんて言ってさぁ。ウチん中入ってきて、障子の桟(さん)を指でツーっと。「おや、掃除はこれからかい?」って。
これから掃除するって時に来るんだよ。「ええ、すみません。これから掃除しますんで」なんて笑ってごまかすけどさぁ。
アタシはね、毎日、用もないのに来る鬼千匹とたたかってんだよ!!
てやんでぇ、べらぼうめ!
亭主:わかった、わかった。うるせぇなあ。おめぇはそれ言い出すととまらなくなるからな。もう耳にタコだよ。
「よし姉、およし」ってか。
女房:……。
亭主:なんか言えよ!
女房:ああ~!いまので、また堪忍袋の緒がぶっち切れたねぇ。そうかい!タコがあるなら、おつまみにしようか!包丁、包丁!
亭主:耳そぎ落とす気かよっ!わかったって!いいから落ち着けよ、ええ?
女房:もう、だからわかるでしょ?アタシだってたまには楽しみたいのよぅ。
亭主:しょうがねぇなぁ……、わぁったよ。
女房:連れてってくれるのかい!
亭主:たまにゃあ、女房孝行しねぇとな。明日の弁当に何がはいってるかわかんねぇ。沢庵だらけになるか、梅干しだらけになるか、はたまた何も入ってないか……。
女房:よっ!親方!太っ腹!金坊(きんぼう)も連れてって!
亭主:金坊もか?まだ六つだぜ?わかんねぇじゃねえか?金坊は、おふくろに預けて……。
女房:六つだからって、ばかにするんじゃないよ?金坊にも、見せてあげたいんだよぉ。ね?わがままは言わない!
「土間席(どませき)」が、いい!それがダメなら「土間割合(どまわりあい)」。それもダメなら「桟敷席(さじきせき)」でもいい!
亭主:さらっと「土間席がいい」って、言いやがったな。しかも、どんどんいい席になってるじゃねぇか。ばかやろう、「切落し(きりおとし)」に決まってんだろ。
女房:だってぇ、團十郎を間近に見たいだろう?舞台に近い土間席がいいに決まってるさ
。
亭主:見巧者(みごうしゃ)は切落しと相場が決まってるんでぃ。連れてってやるだけで、御の字(おんのじ)と思えよ。
女房:……わかったよぅ。
亭主:演目はなんでぇ。
女房:「毛抜(けぬき)」!
亭主:好きだねぇ。まぁ、おめぇが満足するんなら……。
女房:おまえさん、お酒つけようか!
亭主:調子がいいなぁ、おめえは。おう、その調子で、お銚子の方も頼むぜ?一本じゃ足りねぇぞ?
女房:つまんないこと言ってるけど、あいよ!
亭主:ひでぇ言われようだな、ええ?そこのひと言多い女将さんよ、さっさと酒持ってこーい!
【語り】
語り:そんなわけで、親子三人、歌舞伎を見に行くことになったんですが、生で観ると、やはり迫力があり、大変楽しいものです。仕方なく連れて行ったつもりが、自分の方がハマったりなんてぇこともございますね。
【語りここまで】
女房:いやぁ、楽しかったねぇ。
まぁ、玄蕃(げんば)の憎々しいこと!それを團十郎の「弾正(だんじょう)」が成敗。刀を掲げての見得(みえ)。いい男だねぇ。惚れ惚れするねぇ。
「よっ!千両役者!」
亭主:ああ、たまにゃあ、芝居もいいねぇ。つい見入っちまったよ。
女房:そうだろう?金坊も、話の筋はわからなくても、釘付けだったねぇ。
……ああ、こんな日は飯炊きは休みたいよぅ。
おまえさん、鰻でも食べて帰らない?
亭主:馬鹿野郎!もうそんな金はねぇよ!
女房:よ!親方!「江戸前鰻(えどまえうなぎ)」が食べたい!ね、金坊。
亭主:財布の中身がすっからかんなんだよ!ほこりしか出てこねぇや。
飯炊きしたくねぇってんなら、おっかぁに飯作ってもらうか?
金坊もよ、今日の芝居の話を、爺さん、婆さんにしたいってよ。
【語り】
さて、亭主の実家によりました三人。芝居の話を意気揚々(いきようよう)と話しているのは―
【語りここまで】
亭主:(興奮して話している)でよ、裏で糸を引いてる悪玉がよ、な、なんつったっけ、え~…げん、げん、現場?
女房:玄蕃(げんば)……
亭主:そう!そいつが、小野家を乗っ取ろうとしてだな、やってたことなんだよなっ!家臣のくせにとんでもねぇやつだ。それをよ、あの~、名前(なめぇ)が、ほら、え~、「でたらめ だんじょん」つったか?
女房:粂寺 弾正(くめでら だんじょう)……
亭主:そう!それが、見抜くんだなっ!そのきっかけが、「毛抜(けぬき)」だってんだから、面白れぇ。毛抜が踊りやがるんだ。ええ?
姫さんが、なかなか嫁いでこねぇから、主君に言いつかってだんじょうろうが様子伺いに来るんだけどよ、嫁にいけねぇわけが、姫さんの髪の毛が、こう、ボーっと逆立つんだよ!びっくりしたねぇ。その原因が、髪飾りでよ。
で、だんじょうろうが、槍で天井を突くと、忍びの者が落ちてくるんだよっ!つまり、あれだ、そのからくりが、あ~、なんだ、あれだ!でけぇ鉄の塊!
女房:磁石(じしゃく)……
亭主:それだ!だんじょうろうが忍びの者に、「誰に頼まれたのか言え」と詰め寄るってえと、口封じに、げんばが斬り殺しちまうんだよなぁ。まったく、悪ぃやつだよ。ええ?
そいでよ、無事、病が治った姫さん。これで、めでたく婚儀成立だぁ!そこで、小野家の大事な刀を引出物として渡すよう、殿さんが、げんば、に預けてよ。げんばが、渡そうとしたところ、だんじょうろうが、(咳払い)
(歌舞伎の口調ですが、下手な言い回しで)
「主人(しゅじん)豊秀(とよひで)より頼みの御祝儀(ごしゅうぎ)。こうでござるぅぅぅぅ」
そこで、掴んだ刀でターン!げんばを斬るんだなっ
「おめでとう御座りまする。然らば(しからば)ごめん下さりましょぉぉぉ」
刀を掲げての見得(みえ)。花道から退場ってなもんだ。
いやぁ、すっきりするねぇ。ざまぁみろってんだ。
「よっ、成田屋!」
女房:よくしゃべるねぇ……。弾正と團十郎が混じっちゃって…。
どんな芝居だったか、ちっとも伝わってこないじゃないのさ。
見てごらんよ、おとっつぁん、おっかさんの顔。
亭主:いやぁ、俺もあんな風に見得を切ってみたいもんだねぇ。ええ?
女房:いつも大見得を切ってるじゃないか。「よし、俺が全部引き受けた!」って安請け合いして、結局手伝ってもら……
亭主:(被せて)うるせぇなぁ!その見得じゃねぇんだよ!
女房:ああ、おとっつぁん、おっかさん、心配なさらないでくださいね。この人は本当によく仕事ができて、みなさまから、「親方!親方!」って、かわいがってもらっているんですよぅ。ありがたいことです。
亭主:なんだぁ?おだてやがって。んなこと言っても、何も出やしねぇぞ。
おめぇこそ、亭主の前で「團十郎は男前」だの「惚れた」だの「芝居絵がほしい」だの……
女房:(咳払い・つねる)
亭主:いてぇっ!
女房:オホホ。いやですよぅ、この人は。
あ~、それにしても、おっかさんの大根料理は日本一ですねぇ。刺身のつまは魚屋さんですけど、おでん、風呂吹き(ふろふき)、味噌汁、沢庵、切り干し大根、煮物、大根の葉のおひたし…。こんなにしていただけるなんて、大根も鰻も喜んでますよ、ねぇ?金坊。
亭主:…まだ鰻のことを言ってやがんな。
お、金坊、どうした?急に立ち上がって……
おお、いっちょ前に見得を切ってやがる。ハハハ!
んん?今度はなんだぁ?それは……、外郎売じゃねぇか。
おぅ、おぅ、舌がぜんぜんまわってねぇなぁ。
女房:あらぁ、いつの間に覚えたのかしらねぇ。すごいねぇ、金坊。
亭主:……どうせ、おめぇだろうよ。
女房:なんのことだかさっぱり?
亭主:あれ、おとっつぁん、おっかさん、泣いてやがる。へへ、俺の役者っぷりがよかったんだろうなぁ。なんでぇ、うれし泣きかい?
おとっつぁん:お前は大根だが、金坊は沢庵だ。
亭主:どういうことでぇ。
おとっつぁん:まだ味がある。
―終演―