女剣士 佐々木 累【時代物】

【登場人物】[2:1]または、[1:1:N]

  • 佐々木 累(るい):武家の娘。「異装の女性剣術家」として知られる。男兄弟がおらず、武芸に精進していく佐々木家としての存続を強く心に持ち、念入りに婿選びをしているうちに父が病没。家名断絶。以後浪人となり、浅草に剣術の道場を開き、佐々木家再興を目指す。

  • N/佐々木 武太夫/白柄組男1/弟子/北町奉行:佐々木 武太夫(ぶだゆう)は土井 利勝の家臣。塁の父、剣術家。

  • 白柄組男2/小杉 左衛門・九十九(つくも):九十九は、土井 利勝の家臣、小杉 重左衛門の次男。武芸の達人。土井 利勝の心遣いで、累に婿入りすることになる。

※約30~40分。史実に基づき脚色。

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N:江戸時代初期。多くの剣術家が現れる。江戸時代において、剣術家は男性が多かったが、「異装の女性剣術家」と呼ばれた女性剣術家が存在した。

「佐々木 累(るい)」である。

佐々木累は、江戸時代前期、「下総国古河藩」(しもうさのくに こがはん)[現在の茨城県]に生まれる。

古河藩が最も領地を広げたのは、「土井 利勝」(どい としかつ)であり、徳川家康、秀忠、家光の三代に仕え、老中も務めた。

下総国(しもうさのくに)[現在の茨城県古河市]に藩庁を置き、下野国(しもつけのくに)[現在の栃木県]や武蔵国(むさしのくに)[現在の埼玉県]の一部、さらには神戸、大阪、岡山の飛び地までが、その施政(しせい)範囲であった。

利勝は、歴代城主の中でも最高の禄高(ろくだか)で、「三階櫓(さんかいやぐら)」などを築いて古河城(こがじょう)を最大に拡張。

幕閣最高の大老職まで勤め、徳川三百年の確固たる基礎を築いた智臣(ちしん)であり、公正さを重んじ、非常に気配りの行き届く人物であった。

佐々木累の父は、この土井 利勝に仕える剣術家「佐々木 武太夫」。流派は、「一刀流、関口新心流(せきぐちしんしんりゅう)」

累には男兄弟がおらず、一人娘である。父・武太夫は、武道一般を累にすべて伝え、稽古は父との木刀を使った「組太刀(くみだち)」であった。組太刀は、実際に打ち込んだり、受けたり外したりして、相手との間合いや駆け引きを会得する稽古法である。鞘の中から技をかける居合的な業も多くあり、刀をほとんど抜かずに関節技や柄技で相手を制する柔術的な業もある。

礼儀作法も厳しく身に付けさせ、武家の娘として成長した累は、佐々木家を継げる婿を探すことになる。

また、累は美しい娘であり、藩内でもその噂は高く、累を目当てで道場に寄って来る輩もいた。

【間】

累:父上。お具合はいかがでございますか。

武太夫:今日は少し気分がよい。それより、先の見合いはどうであった。

塁:その件ですが……。お断りしたく存じます。

武太夫:お前に見合った相手と知らされていたが……。何か差しさわりがあったか。

累:境内の茶屋でお相手を見るだけでした。言葉を交わしておりませんので、どんな方かわかりません。

武太夫:見合いとはそういうものだ。相手がお前を気に入れば、話が進む。

累:私の容姿を気に入ってはくださったようなのですが、「一緒になった暁には、剣術はやめて、奥として慎ましやかに支えてほしい。おなごは、おなごらしくあってほしい」とおっしゃっているそうです。

もちろん、妻としての役割も、じゅうぶん果たす所存ではございますが、剣術は、私の一部でございます。それを捨てろというのは、やはり、抵抗がございます。

武太夫:ううむ……。

累:それから、茶屋で別れた後、市中で暴れている者たちを見ました。町民が怯えているのを、あの御方も見たはずです。ですが、何もされず、別の通りによけていこうとされました。

武太夫:それが気に食わなかったのか?

累:私は、彼らの無頼行為を見て見ぬふりなどできません。

武太夫:お前の気持ちもわかるが、いらぬ恨みを買ってしまうかもしれん。我が流派、関口新心流は柔術流派でもある。単なる力業ではないぞ。

累:それは重々承知しておりますが……。

武太夫:んん?まさか、塁、何かしたのか?

累:店の前を竹箒で掃いている丁稚がおりましたので、その竹箒を借りて、追い払いました。

武太夫:なんと……。あきれたものよ。その様子、見合い相手にも見られたのではないか?

累:かまいません。

武太夫:わざとか。まったく……。怪我はしておらぬか。

累:はい。

武太夫:(ため息)まぁ、望まぬ相手と一緒になる方が辛いであろう。ふむ。仕方あるまい。おそらく、向こうから断りがはいるやもしれんが、断りをいれることにいたそう。

累:申し訳ありません。

武太夫:佐々木家に婿として入り、この家を守り、土井様の家臣として相応しくあり、さらに、お前に見合う者となると簡単には決められんな。慎重にならざるを得ん。まぁ、そう気にするでない。

累:はい……。

武太夫:(咳をする)

塁:父上。横になっておられた方がよろしいのではないですか。

武太夫:心配無用。それより、累。お前の理想とする婿殿は、どのようなものか。

累:それは……。父上や土井の殿様のような、武術や知力に長け、人柄もよく、周りの者から信頼を得ていて、そして、できましたら、私よりも……

武太夫:自分より強い者がよいのか?

累:……はい。

武太夫:(笑う)それは難儀のことよ。一人娘を大事に育てたつもりであったが、ここに来てそれが障壁になるとはなぁ。

わかっておるか?「剣術十年、槍三年(けんじゅつじゅうねん、やりさんねん)」お前はすでに「師範」の腕前ぞ?

累:はい……。申し訳……ございません。

武太夫:まぁ、よいよい。また他を当たってみよう。

N :しかし、慎重に婿選びをしたのがあだとなり、婿が決まる前に、武太夫は病のため床に臥せってしまう。

【間】

武太夫:累よ……。そろそろ儂にも迎えがきたようじゃ……。

累:父上!どうか、お気をしっかりお持ちくださいませ。

武太夫:すまぬ……。お前や家臣を残して、このようなことになるとは、なんとも不甲斐ない……。婿をとらせることができず、娘ひとり残して逝ってしまうことになるとは……。

累:父上……。

武太夫:この体制では、家督相続者は男子であることが自明の理。佐々木家には後継者がおらず、家名は儂の代で断絶となる……。ご先祖になんと申し開きすればよいのかわからぬ。無念。無念じゃ……。

塁:父上。生きて、生きてください。父上は病に負けるような方ではございません!

武太夫:すまぬ……、すまぬ、累。おまえを浪人にしてしまうことになるとは、儂はいったいどう許しを請うたらよいのか……。

塁:そのようなことおっしゃらないでください……。佐々木家に生まれ、父上の娘であることを心より誇りに思っております。

私が、佐々木家をなんとしても再興いたします!ですから……

武太夫:殿に……、書状を出し……、おまえのことを……

塁:父上……?

武太夫:……すまぬ……

塁:え……

武太夫:……(息をひきとる)

塁:ち、父上?……父上!そんな!父上!なぜ……。父上!

N:父・武太夫は病死。そのため、佐々木家は断絶。塁は、浪人となってしまうのである。

しかし、累は、佐々木家再興をあきらめず、故郷の古賀藩から、武蔵国豊島郡浅草聖天町(むさしのくに としまぐん あさくさしようでんちよう)まで赴き、剣術道場を開くことを決意。

玄関に槍や薙刀、鎧櫃(よろいびつ)などを飾りつけ、「武道諸芸指南所」という看板を掲げ、累は、佐々木家再興のために動き出す。

【間】

累:ここが浅草、さすがの賑わい。ここならば……。父上の無念を晴らしてみせます。必ずや私が成し遂げてみせます。

N:「女の師範が道場を開いたらしい」「しかも、別嬪らしい」と、浅草の江戸っ子の間で噂になった。噂を聞きつけた者たちが、道場の格子窓からのぞく。だが、なかなか門をくぐろうとする者はいない。

累は、ひたすら素振りをする。

累(M):まったく、男(おのこ)というのものは……。それとも、おなごに剣術を教わるのは、誇りが許さないのか、ただの野次馬根性なのか……。

累:ふぅ……。やはり、町に引き札 (ひきふだ)でもまいた方がよいのだろうか。少し外の空気でもすいに出かけるか……。

N:累は稽古着のまま茶屋へ向かう。すると、前から、旗本奴(はたもとやっこ)が往来いっぱいに広がり歩いてくる。

累(M):あれは……、白柄(しらつか)の刀、白革(はくひ)の袴……。「白柄組(しらつかぐみ)」か。なんと恥知らずな。

N:江戸時代、世の中もようやく落ち着いてきたと思うころ、「かぶき者」や「達者(だてしゃ)」といった浪人くずれの遊興者や、地位のある大名家や旗本の中からも奇矯(ききょう)な振舞いをする者が現れるようになる。これを「旗本奴(はたもとやっこ)」と呼ぶ。

「旗本奴」は「組」を作り、その素行は、派手な身なりや奇抜な髪型、大きな髭をつけ、なにかというと刀をすぐ抜いて、往来であろうと遊郭であろうと、ところかまわず喧嘩をする。また、仲間内でしかわからない言葉でしゃべりあい、挙句は辻斬りをするなど傍若無人な言動を連日くりかえし、市中は大いに迷惑した。

男1:おい、そこの女。お前だよ。稽古着をきた男勝りの……。

累:私ですか。

男1:おっと、こいつァ上玉だ。ああ、もしかして、最近田舎から出てきて、道場を開いたってぇ噂の剣術の先生かい?

累:私の道場に入門志望ですか?

男1:ハッ!笑わせるんじゃねぇよ。

累:それでは、道を開けてくださいませんか。このように広がられては歩けません。

男1:知らねぇな。なぁ、そんなことより、俺たちと少し遊んでくんねぇかな。

N:男が手を伸ばしたその刹那。累は、男の腕をとりそのまま背後へまわり、ねじ伏せる。

男1:あぐぁっ!いてぇっ!!

累:気安く触らないでいただきたい。道をあけてください。そうでないと、この者の腕が折れますよ。それとも、このまま番所にいきましょうか。

男1:う、腕、お、折れる……。わかった!わかったから、手をはずしてくれ!ぐぁああっ

男2:この女ァっ!!(刀を抜く)

累:そこの方!刀をおさめてください。このまま去っていただけますか。それを見届けたら、この腕を離しましょう。抵抗するというのでしたら、どうなってもしりません。

男:ぐあっ!

男2:兄貴!

男:てめえら……!なにボーっとしてやがんだ!はやく行け!

男2:くそ!おい、行くぞ!!

N:男たちが慌てて去る。それを見ていた町民たちから拍手が沸き起こる。

男:おいっ!いつまでねじ上げてやがんだ!行っただろうが!はやく手を離せ!

累:これは失礼いたしました。

男:ぐぅっ!……こんのー

累:続きをしたいということでしたら、私の道場でお相手いたしましょう。

男:っ!くっそ!

累:……行ったか。まさに「えせ侍の刀弄り(えせざむらいのかたないじり)」。乱れた装いと振る舞い。徒党を組んで、まったく恥ずかしい輩ども。なぜ取り締まらないのか。

N:こうして、父仕込みの剣術指南が評判を呼び、多くの門下生が累のもとに来た。

それ以降、塁は外出時、異装をするようになる。

色小袖に佐々木氏の四つ目結の紋を縫い付けた黒縮緬(くろちりめん)の羽織。両刀差しで、髪形は屋敷風の笄分け(こうがいわけ)。髪を頭巾に隠し、素足に草履。

この姿は、異装であるとして周りの注目を浴びたが、武芸に通じている累に手出しをするものは誰もいなくなる。

「異装の女性剣術家」の誕生である。

【間】

小杉:「武道諸芸指南所 佐々木累」

ここか……。よし。

頼もう!それがし、小杉左衛門(さえもん)と申します。師範殿にお目にかかりたく、まかりこしました。

弟子:師範は奥に座っておられます。入門志望の方ですか。

小杉:いえ、それがしはー

累:(弟子へ)よい。(稽古中の弟子に向かって)手が止まっていますよ。みなは、そのまま稽古を続けなさい。

小杉左衛門殿、とおっしゃいましたか。私がこの道場の師範、佐々木累でございます。

小杉:突然、申し訳ござらぬ。数日前、江戸へ着き、宿でこちらの道場の噂を耳にいたしまして―

累:旅のお方ですか。

小杉:はい。さすが浅草。賑わいは噂以上。田舎者ゆえ、こちらにたどり着くにも、無駄に歩きまわってしまいました。

累:弟子入り、というわけではなさそうですね。女だてらに剣術指南をしていると聞いて、物珍しさでいらしたのですか。

小杉:いいえ!一介の素浪人でございます。剣術を学んでいた者の一人として、どのような稽古をされているのか、ぜひ拝見させていただけないものかと。

累:なるほど、わかりました。かまいません。どうぞおあがりください。

N:小杉は道場にあがると、礼儀正しく座し、稽古の様子を熱心に観察する。

【間】

累:熱心にご覧になっておられましたが、いかがでしたか。

小杉:大変よきものを見せていただきました。これが柔術・剣術・居合術の三術を根幹とした「関口新心流(せきぐちしんしんりゅう)」。「受け身」もはじめて拝見いたしました。見事なものです。

累:ご興味がおありで?

小杉:はい。それがしも父より「物事を習うにあたり一番大事な事は、師を選ぶことである。一度悪い癖をつけてしまうとなかなか抜けないもの。それ故に、凡庸な師に弟子入りして三年過ごすよりも、三年遅れてでも良師を探すべきである」と教えられました。

累:関口新心流二代、氏業(うじなり)の言葉ですね。

小杉:「一芸に秀でていても、文学に拙いものはその芸もまた卑しいものである。業(わざ)を学ぶのと同様に、書もまた学ぶように」と教えていた、とも聞いております。まったくもってその通りと感じ入り、それがしも、文武両道に励んでおります。

累:そうでしたか。私も父上から、剣術はもとより、礼儀作法を含め、あらゆることを厳しく教えられました。

小杉:さぞや立派な御父上だったのでしょう。

累:はい。佐々木武太夫の娘として恥じぬように生き、必ずや佐々木家再興を……

小杉:え?

累:あ、失礼いたしました。どうか気になさらず……。

小杉:……。ああ、そういえば、白柄組(しらつかぐみ)との話もお聞きしました。彼らは師範殿に傍若無人なふるまいをしたとか。堂々と渡り合ったとお聞きしております。

累:宿でそのようなことまで話されたのですか。

小杉:こちらの道場のことを聞きましたら、みな、師範殿のことを自慢げに話しておられました。一度手合わせ願いたいものです。

累:……小杉殿。いまからでも私はお相手できますが?

小杉:師範殿もお疲れでございましょう。こちらも、旅の疲れが癒えておりませぬゆえ、今日のところは……。

累:……わかりました。ですが、冷やかしではなく「本心」ということでしたら、お時間のある時にいらしてください。

小杉:もちろん、本心でございます。と言いましても、明後日(みょうごにち)戻る予定でおりまして……

累:では、明日(みょうにち)はいかがですか?

小杉:よろしいのですか?

累:お待ちしております。

小杉:かたじけない。それでは、本日はこれにて。

【間】

N:次の日、小杉が塁の道場をたずねる。稽古着と木刀を手に、道場の真ん中に立っている。周りには、弟子たちが座している。

累:「組太刀(くみだち)」でよろしいですか。

小杉:はい。すでに体は温まっております。

累:結構。小杉殿、私はおなごとはいえ、この道場の剣術指南役です。手を抜かず―

小杉:師範に対して手を抜くなど、失礼極まりない行い。全身全霊を尽くす所存です。

累:……。誰か、合図を。

弟子:は!準備はよろしいでしょうか。

累:いつでも。

弟子:それでは、「礼!」

小杉:よろしくお願いいたします。

弟子:構え!

小杉:……

弟子:始め!

【間】

N:塁、小杉の手合わせは拮抗する。まさかの状況に、弟子たちも固唾を呑んで見守る。双方の息があがっていく。

しかし、やはり、塁の一手が決め手となる。

小杉:まいりました……。

弟子:そこまで!

小杉:さすがでございます。噂以上の腕前。これが真剣でしたら、少し気を緩めた瞬間、おそらく……

累:小杉殿こそ、まさかここまでとは……。まこと、浪人でいらっしゃいますか?

小杉:え、と……。ん?あぁ!

累:な、なんでしょう。

小杉:腕に!腕に痣が!

累:ああ、なんてことありません。よくあることです。

小杉:いけません!すぐに冷やしましょう!水を汲んでまいります。手拭いをお借りします!

累:あれだけきつい手合わせをしておいて、まだあんなに体力が残って……

弟子:師範、我らはどういたしましょう。

累:ん?もう刻限か……。今日の稽古は、終いとする。

弟子:わかりました。(他の弟子たちへ)よし、各々片付けと、雑巾掛けだ。

【間】

小杉:これで少し腫れがひくとよいのですが……。おなごに、痣をつけてしまうとは、まことに申し訳ない。

累:……ふふ。

小杉:ど、どうされました?

累:旅で浮かれついでの見物かと思いきや、さきほどの気配は只者ではなかったです。もちろん、小杉様の身体つきや腕を見て、弟子よりは強いであろうとは思っていましたが……。

小杉:師範殿、なにやら、楽しげですが。

累:稽古の時間は終わりました。いまは師範殿ではなく、『累』とおよびください。私もあのように追いつめられたのは久方ぶりです。大変清々(せいせい)いたしました。

お茶でもお持ちしましょう。

小杉:いえ、お構いなく!いや、えーと……。あ、忘れておりました。土産があります。こちらです。よろしければ。

累:これは……、桃。いい香り。郷の古河に、多くの桃の木があったのを思い出します。小杉様はどちらからいらしたのですか?

小杉:古河でございます。

累:そうでしたか!

小杉:累殿。少しお尋ねしてもよろしいですか。

累:はい。なんでしょう。

小杉:その……、異装(いそう)のために、北町奉行から呼び出しを受けたことがあるとか。

累:それもご存じでしたか。そうですね……。あの時は驚きましたが、お奉行様には―

(回想)

北町奉行:武家の娘ではないのに、その出で立ちはどうなのだ。そなたは女なのだから、女姿(おんなすがた)をするこそ道。理由があるのなら申してみよ。

累:これは父の遺志を継ぎ、武勇に富んだ夫を持つため。父に似た達人に巡り合う機会をより多くつくるためのものでございます。そして、夫となった方に佐々木家を再興をしてもらったのちは、自身はもとの女性に立ち返るつもりでございます。

北町奉行:父君の遺志……か。

累:父、武太夫は、古河藩主・土井 利勝様に仕える剣術家でした。ですが、男兄弟がおらず、嘘偽りなく武芸に精進していく佐々木家としての存続を強く心に持ち、念入りに婿選びをしているうちに、父が病に倒れてしまい、後継者がおらず、家名(かめい)は断絶してしまったのです。私は浪人になってしまいました。古河藩から、ここ浅草に剣術の道場を開いたのは、あくまで佐々木家再興のためなのです。

北町奉行:そうであったか。うむ。まことに立派な心構えである。おなごにしておくのは惜しいくらいじゃ。何か助けが必要であれば忌憚なく言うてみよ。南町奉行の神尾殿にも話しておこう。便宜を図ってくれるやもしれん。

(回想おわり)

累:お奉行様は認めてくださいました。このような、おなご、変わり者だと思われるでしょう?

小杉:いや、累殿。感服いたしました。まことに道理ある申し分です。

累:……小杉様。

小杉:いかがなさいましたか?

累:いえ……。旅のお方、二度しか会っていない小杉様とこのような話をするとは……。同郷の方とわかったこともあり、なにやら安堵いたしました。

小杉:ずっとおひとりで気を張っておられるのでしょう。累殿は芯の強いお方だ。志も腕も優れ、それに……

累:それに?

小杉:高尚にして優姿(やさすがた)でございます。

累:え……

小杉:累殿でしたら、必ずや佐々木家再興を成し遂げられることでしょう!

累:小杉様……。はい。私は、お家(いえ)再興のために力を尽くす所存です。

小杉:……

累:あの……

小杉:ああ、つい長居をしてしまいました。いやぁ、しかし、浅草に参ったかいがあり申した。

累:……お帰り、ですか。

小杉:帰り支度をせねばなりませんので……。累殿にお会いできて、本当によかった。どうか、お体に気を付けてお過ごしください。

しからばこれにて御免。

累:はい……。道中お気をつけて。

【間】

N:その後、塁の件が南町奉行の神尾、古河藩主・土井利勝の耳にも入り、利勝の協力もあって婿探しに乗り出すことになる。土井家家臣の中で、一番の強さを誇る者が、塁の婿候補として見合いの場が用意される。

累:まさか殿が私のために動いてくださるとは……。なんとお礼を申し上げてよいやら、感謝の言葉もありませぬ。

そして、今日が見合いの日。まこと喜ばしきことなのに……。なぜかずっと胸がざわついて、いったいこのざわつきがなんなのか、自分でもわからない。

【間】

小杉:(少し離れたところから)累殿!お久しゅうございます。

累:小杉様?なぜ、ここに?そのお姿は……。

小杉:塁殿こそ、いつもの出で立ちではなく、「女姿(おんなすがた)」なのですね。美しきお姿です。何か祝い事でも?

累:わ、私は、本日見合いでしてー。
いえ、あの、どうなるかはわかりませんが!その……。

それより、小杉様こそ、いかがされたのですか。

小杉:それがし、土井 利勝様の家臣、小杉 重左衛門が次男、「小杉 九十九(つくも)」と申します。

累:は……?

小杉:「小杉 左衛門」と虚言(そらごと)を申し上げてしまいました……。

累:今日、見合いの御方とは、まさか……。

小杉:それがしでございます。

累:それでは、私のことを知っていて道場に?

小杉:(申し訳なさそうに)はい……。お噂はかねがね聞いておりました。どのような方なのか気になりまして、旅人・浪人として道場へ伺い、手合わせをお願いし、如何様(いかよう)な思いでおられるのかと、言葉を交わしたく……。御容赦願います。

殿が、塁殿の婿探しをしていると聞きまして、父に願いでました。

累:……

小杉:累殿……?やはり、おかんむり……でございますか。なんとも、小賢しい真似をしてしまいました。面目次第も御座らぬ。ご無礼の段平にご容赦くだされ。

累:……

小杉:それがしでは、力不足でしょうか。

累:いえ!そのようなことは決して!
ただ、ただ、驚いてしまいまして……、その……
小杉様が帰られてから、ずっとこの胸にざわつきを覚えておりました。
ようやく、いま、その訳がわかりました。

……お会いしとうございました。この上ない喜びでございます。

小杉:累殿……。それがしと夫婦(めおと)になってくださいませぬか。

累:……はい。はい、九十九様。

小杉:……っ!(気が抜けたように)はぁ~~……

塁:え?

小杉:いや、安堵いたしました。「たわけ者!」と言われるのではないかと。

塁:そのようなこと!

小杉:(笑う)

累:あの、ひとつだけ!ひとつだけ、お願いがございます。私、剣術は続けとう存じます!

小杉:師範殿に対して「剣術をやめよ」などと言えません。それに、剣術あってこその累殿でございます。関口新心流(せきぐちしんしんりゅう)の佐々木家を再興させましょう。途絶えさせてはなりませぬ。

累:はい。不束者ではございますが、佐々木 累、九十九様に生涯ついてまいります。

N:こうして、累は、小杉九十九を婿に迎え入れた。

そして、江戸の道場を引き払い、異装をやめ、下総古河(しもうさ こが)に帰り、念願の佐々木家再興を成したのである。