古典落語『平林』

※声劇の場合[1:0:1]

番頭/おじさん/おばさん/おじいさん/タバコ屋/隠居:
定吉:丁稚奉公、10代

※枕は相談。内容は自由にアレンジしてください。

---【枕】------------------------------------------------------

江戸時代から昭和の初めまでは、年少の頃から親元を離れ、商人や職人の家に住み込み、仕事のことやしつけ、常識などを身につけました。年齢は10歳前後からだったようですね。それを「丁稚」、「丁稚奉公」ともいいます。いろんな雑用や使い走りをしたようでして―

---------------------------------------------------------------

番頭:おーい、定吉

定吉:はーい、番頭さん、お呼びでしょうか?

番頭:悪いんだがなぁ、ちょいと手紙を、届けてきて欲しいんだ。

定吉:手紙ですか?

番頭:そうだ。いま、手の空いているものが誰もいないんだよ。ちょぃと急ぎの手紙でな、お前さんが持って行って、先方に直接お渡しして来てほしいんだ。「平河町の平林(ひらばやし)さん」。この前の通りをずーっと行って、橋を渡ったあたりが平河町だ。そこでもって、「平林さん」ときけば、すぐわかるから。すまないが、ちょっと行ってきておくれ。

定吉:はい、わかりました。あ~、あたし、いま、お風呂を沸かしておりますので、それがすみましたら行ってまいります。

番頭:あぁ、風呂か。それはあたしが見ておくから、こっちは急ぎの手紙だ。すぐに行ってきておくれ。

定吉:わかりました……。で、どこへ届ければいいんです?

番頭:「平河町の、平林さん」だ。

定吉:あー、はいはい……。番頭さん、お風呂、おねがいしますよ、沸かし過ぎたりすると、あとを埋めるの、ほんと大変なんですから。

番頭:わかったわかった、いいから、早く行っておくれ、急ぎの手紙なんだから。

定吉:わかりました……。で、どこへ届ければいいんです?

番頭:だから、「平河町の、平林さん」だ!

定吉:わ~かりました!そのかわり、ほんと、お風呂おねがいしますよ、沸かし過ぎたりしたらあとで女将さんに小言をいわれるの、あたしなんですからね。

番頭:わかってるから!俺だって、丁稚の頃は風呂、何千回と沸かしてきたんだ。やりようはわかってんだよ。だから早く行ってきておくれ

定吉:ほんとうですかぁ?いやぁ、でも現役にはかなわないでしょう?

番頭:うるせぇな。なんでそんな偉そうなんだよ。え?急ぎだっていってんだよ。他に行けるもんがいねぇから、お前にたのんでんだよ?

定吉:そこまでおっしゃるなら、この定吉、「ためしてガッテン承知の志の輔」だ!

番頭:誰だよ……。それを言うなら、「合点承知の助」だろ?

定吉:え?「承知の助」って誰です?

番頭:深掘りするとこじゃねぇんだよ。話が進まなくなるだろう?

定吉:はぁ……。じゃ、ひとっ走りいってきます!……で、どこへ届ければいいんです?

番頭:ほんっとに、おめぇは忘れっぽいねぇ。もう、聞いてるお客さんのが覚えちまったよ?分からなかったら、そこに宛名が書いてあるだろう、それを読めばいいんだ!

定吉:読めれば苦労ありませんよ!!

番頭:逆ギレ?怒鳴らなくてもいいじゃねぇかよ。なんだ、字が読めないのかい?

定吉:ハイ!あたし、字が読めない、おとっつぁん、字が読めない、じいさん、字が読めない。先祖代々、み~んな字が読めない家系なんですよ!

番頭:どんな家系だよ。おい、笑っていうことじゃないぞ、店のもんが字がよめなくちゃあ、しょうがない。物覚えは悪い、字は読めないときた。しかし、弱ったなぁ……
いま、手があいてるものが誰も居ないんだよ。
あ、そうだ、こうしよう。お前さん、先方へ着くまで、口の中でもって「平林さん、平林さん」と唱えながら行きなさい、そうすれば忘れないから。な。

定吉:あぁ、わかりました!それでは、行ってまいりまーす!
へへっ、番頭さん、頭がいいなぁ。「平林さん、平林さん、平林さん」うん、大丈夫だ。

あっと、でっかい水たまりだ。
「どっこいしょ」と。
「……どっこいしょ、どっこいしょ、どっこいしょーのどっこいしょ」

「どっこいしょ!?」
こんな名前じゃなかったな!?……あれ?どうしよう、まいったな……宛名みたって分かりゃしない……いや、困ったなぁ。

あ、そうだ、封筒の宛名、誰かに読んでもらおう……誰かいないかなぁ……

あ、あのおじさんに聞いてみよう!
すいません、おじさん、この封筒の宛名、読んでください!

おじさん:宛名?なんだ、お前さん、こんな字も読めないのかい?いいかい、これはな、上の字が「平清盛」の「たいら」、下が「はやし」。だから「たいらばやし」だ。

定吉:ありがとうございます!

「たいらばやし、たいらばやし、たいらばやし……」

「たいらばやし!?」
ちょっとずれてる気がするなぁ、こんなんじゃなかったなぁ……弱ったなぁ、だれかいないかなぁ……。

あ、あのおばさんに読んでもらおう!
すいません、この封筒の宛名、読んでください!

おばさん:はいはい、宛名ね……え?どっかのおじさんが「たいらばやし」だって?まぁ、男の人ってすぐにいい加減なことを教えるのねぇ。

いい?上の字が「平たい」の「ひら」、下の字が「森林」の「りん」。「ひらりんさん」よ!

定吉:ありがとうございます!

「ひらりん、ひらりん、ひらりんりん!ひらりん、ひらりん、ひらりんりん…………」

「ひらりん!?」
ええ、こんな可愛い名前じゃなかったよなぁ。

弱ったなぁ、どうしようかなぁ、こういうときは、もうちょっと知恵のありそうな……
あ、あのおじいさんに聞いてみよう。

すいません、この封筒の宛名、読んでください!

おじいさん:どれどれ。なんですと?前の人が、「たいらばやし」?「ひらりん」?ははぁ、お前さん、からかわれおったな。ところで、お前さん、字は読めるかい?読める・読めないで教え方が変わってくる……おぉ、読めない!?読めないときは無理に読むことはないんじゃぞ。
まず上の字。横に一本、棒が引いてあるじゃろ、これは「いち」じゃな。その下のちょんちょん、これは「はち」じゃ。その下のタテ・ヨコが「じゅう」。「木材」の「もく」が二つあるから「もくもく」じゃ。

あわせて、「いちはちじゅうのもーくもく」じゃ!

定吉:ありがとうございます!

「いちはちじゅうのもーくもく! いちはちじゅうのもーくもく!……もくもく!?」

こんな煙たい名前じゃなかったな、弱ったなぁ、どんどん離れていくような気がするぞ。
あ、ここのタバコ屋さんで聞いてみよう!ケムリだけに。
すいませーん!

タバコ屋:はいはい、タバコはなんにしましょう

定吉:あたし、タバコ吸える歳じゃないんで。
すいませんが、この封筒の宛名、読んでもらえませんか?

タバコ屋:宛名?なに?前の人が、たいらばやし、ひらりん、いちはちじゅうのもくもく??へぇ、みんな読み方を知らないんだねぇ。
いいかい?コトバというものはね、「色気」がなきゃいけません。

定吉:色気?!

たばこ屋:「いち」という代わりに「ひとつ」というと、柔らかくて色気があるでしょ。
「はち」という代わりに「やっつ」、「じゅう」という代わりに「とお」。下に「木」という字が二つあるから、
「ひとつとやっつでとっきっき」

定吉:ありがとうございます!これが色気かぁ!
大人の階段のぼっちまったなぁ。

ええと、「ひとつとやっつでとっきっきー、ひとつとやっつでとっきっきー……」

……ぜっっったい違うよなぁ!!!
弱ったなぁ……
あ、そうだ。

宛名が書いてあるんだから、これを前にかかげで、今まで聞いた読み方を全部言いながら歩いたら、「ああ、それ、うちだよ」っていう人が出てくるかもしれない。
よーし……

「たいらばやしか、ひらりんか、いちはちじゅうのもーくもく、ひとつとやっつでとっきっき!」

「たいらばやしか、ひらりんか、いちはちじゅうのもーくもく、ひとつとやっつでとっきっき!」

おいおい、子供が集まって来ちゃったよ、お兄ちゃん、ちんどん屋じゃないんだよ!
後ろついてくんな。祭りじゃないんだよ。
あぁ、弱ったなぁ、日は暮れてくるし、お腹はすいてきたし……
これ、どこへ届けりゃいいんだよ……ぐすん。

「たいらばやしか、ひらりんか、いちはちじゅうのもーくもく、ひとつとやっつでとっきっき!」

「たいらばやしか、ひらりんか、いちはちじゅうのもーくもく、ひとつとやっつでとっきっき!」

お客様の中に、このような名前の方はいらっしゃいませんかぁ……。

隠居:なんだよ、向こうから妙なこと言いながらねり歩いて来るのは……
ありゃ三河屋の丁稚の定吉じゃないか?

おーい、定吉さん、どうした?

定吉:あ、お店でよく見かけるご隠居さんだ……

「たいらばやしか、ひらりんか、いちはちじゅうのもーくもく、ひとつとやっつでとっきっき!」

「たいらばやしか、ひらりんか、いちはちじゅうのもーくもく、ひとつとやっつでとっきっき!」

これがなかなかいい調子なもんで、とまんなくなっちまったんですよぅ。

隠居:にぎやかだねぇ。子どもをぞろぞろ連れて、ええ?どこかで祭りがあるのかい?
なんだその「たいらばやしか、ひらりんか」って。はじめて聞くなぁ。

いったい何囃子なんだい?

定吉:へぃ、「ひらばやし」でございます。

【終演】