アタシ、わるいこ【朗読】

 ※約10分


今日は、車でおでかけ。
たのしみ。
どこにいくのかな。

いつもより遠い遠い、はじめての山の中。
木がいっぱい。

ここで待っていればいいの?
わかった。
いいこで待っているね。


お迎えはまだ?
おなかすいたな。

暗くなってきた。
帰りたい。

何回、お星さまをみたかな。
おうちはどこ?

もう、うごけない、ねむい。
いつまで待っていればいい?


ガタン、ガタガタ。

なんの音?

「お、気がついたか。よかった」

だれ?

「やせ細って、動けなくなってたみたいだからびっくりしたよ。
病院とボランティアさんに連絡とってあるから、もうちょっと頑張れ」

おうちは……?

「ごめんな。ウチでは飼ってあげられないんだ……。いい人に出会えるといいな」

もう、かえれないの?
「待て」って言われたのに、アタシが勝手にうごいたから?

アタシが、わるいこだったから?


あたらしいところでは、みんながお世話をしてくれる。

だけど、ケージの中にいないといけないし、
ここにいるのはアタシだけじゃないから、思うようには動けない。

ときどき、たくさんの人がやってきては、のぞいてくる。

アタシ、ここから出たいの。

誰か、おねがい。


しばらくすると、あたらしい、おとうさんとおかあさんができた。

うれしい。

うれしい。

おとうさんは、毎日、お仕事。
さびしいけど、アタシ、いいこに留守番をしているね。

まだかな。

あ、玄関で音がする。
おとうさんが帰ってきた!

うれしくて、ぐるぐるまわって、かまってほしくてほえたら、たたかれた。
「しつこい」って。

おかあさんにも、よくしかられる。

アタシが、おへやでおしっこをしてしまったから?
ごはんをこぼしてしまったから?
クッションをかじって、やぶってしまったから?
おさんぽから帰りたくない、とだだをこねてしまったから?

「いけない子!」

庭にだされる。
雨がふってきて、ふるえる。

ごめんなさい。
おウチにいれてほしい。
おとうさん、おかあさんに甘えたい。


次の日、最初にいたトコロにつれていかれた。

「言うことをきかない。いたずらばかりする」って。
「うるさい。部屋が汚れる」って。

おとうさんとおかあさんは、アタシをおいて帰ってしまった。

やっぱり、アタシがわるいこだったからなんだ。
だから、山の中にもおいていかれたんだ。

アタシ、いいこになるんだ。
しっぽをふるのをやめよう。
じっとしていよう。
さわられないようにしよう。
しずかにしていれば、きっと、いいこになれるよね。


アタシはこの中で、一番おねえさんになった。

ちいさいコたちは元気で、かわいい。
愛想のよい若いコたちもいる。
そのコたちの前には、人がたくさん。
みんな、にこにこしている。

アタシをのぞいてくれる人もいるけど、すぐに行ってしまう。
しかたないよね、アタシはいいこじゃないし、かわいくないもの。



ある時、女の人が、アタシのことを長い時間みていた。
どうしたんだろう。泣いているのかな。

男の人は、アタシをいつも世話をしてくれる人と話をしている。

女の人がうるんだ目と、優しい声で話しかけてくる。
「かわいいこ。お迎えの準備して、待ってるからね」

いいこ……?

男の人は女の人の背中をさすりながら、アタシに声をかける。
「いいこだ。うちには息子夫婦も隣に住んでいるから安心だよ」

アタシが?いいこ?



それから数日後、あたらしいおウチにつれてこられた。

こわい。どうなるんだろう。

おじさんが話しかけてくる。

また、しかられる?

「我が家に来てくれてありがとうな。震えているのか?
 そうか、こわいんだな。ゆっくりでいいんだぞ。
 実はな、こどものようにかわいがっていた犬が、数か月前に死んでしまったんだ。
 かあさんがずっと落ち込んでいるもんだから、
 息子が、また飼ったら?と提案してくれてねぇ。
 でも、いまから子犬は飼えない。
 最期まで責任を持つことができるかどうか……。
 そうしたら、おとなの保護犬を迎えいれるのはどうかって。
 
 とりあえず、見るだけと足を運んだら、
 かあさんがお前の前から動かなくなってしまったんだよ。
 前の犬とよく似ているというのもあるが、何か感じたんだろうな」

でも、アタシは……

「施設に来た経緯も聞いたぞ。つらかったなぁ。
 8歳か……。 5年もひとりで頑張ったんだな。
 人間を信じられなくなっているだろう。ごめんな」

アタシ、わるいこじゃない……?

「そうよ。あなたは全然悪くない。いいこ。
 あなたが来てくれて、とってもうれしいの。
 はい。ここに、水とごはんをおいておくから、落ち着いたら食べてね」

どうしよう。

どうしよう。

「あら。近づこうとしてくれているのかしら?」

「そうかもしれない。どれ、匂いをかがせてみようか」

おじさんの手の甲がそっと近づいてくる。

……くん、くんくん

あたたかい匂い。

「わたしの匂いも覚えてね」

おばさんの匂い。やさしい匂い。

「まぁ、舐めてくれたの?ありがとう」

「見て。少ししっぽをふってる。とってもいいこ」

いいこ?

「うん。ずっと一緒にいるからな。約束する」

しんじて、いい?

でも、でも、また……

「ふむ。困った顔をしているな」

「疲れたのもあるんでしょう。そっとしてあげましょう」

「そうだな」

「隣の部屋にいるから、安心してね。イトちゃん」

イト?

「あなたの名前よ。わたしたちとあなたを繋ぐ糸。家族を繋ぐ糸。愛しい子のイト」



あたたかいおうち。

やさしい声。

気持ちのいい手。

ゆったり流れる時間。

おだやかな空間。

ここなら、アタシ、いいこでいられるかな?



「……おとうさん、おとうさん」

「ん?どうした?」

「しー。わたしの布団。足元の方をそっと見て」

「ん?ああ、イトが布団の上に……」

「丸くなって寝てる。かわいい。よかった」

「この子がこんなに頑張ってるんだから、人間はもっと頑張らないとな」

「そうね。イトちゃん、おとうさんのこともよろしくね」

「おいおい。俺は犬に世話されてたのか?」

「あら、おとうさんもすっかり散歩にいかなくなっちゃたじゃない」

「……そうだな。一緒に散歩できる日が楽しみだ」

「またみんなで行きましょう。おやすみ、イトちゃん」



アタシ、ここにいていいんだ……。

やっと、
やっと見つけた居場所。



「イト、散歩にいくぞ。よしよし。リードをつけるぞ。いいこだ」

「やっぱり、三人で散歩は楽しいわね」

「近所はだいぶ慣れたし、今日はドッグランに行ってみるか」

「イトに友達ができるといいわね」



アタシの名前は「イト」

おとうさんとおかあさんの笑顔をみたい。

おとうさんとおかあさんを守りたい。

アタシは、みんなをつなぐ、強い糸になる。