夏休みになると、家族でよく出かけたあの場所。
丸い屋根に、ぐるりと回った赤い廊下。
重くて厚いドア。
中に入ると、真ん中に、黒いゴツゴツした大きな機械が座っている。
まるで、何かの生き物のようだ。
その機械の周りを、ぐるりと席が並んでいる。
座ると背もたれは少し倒れ、上を向く状態になる。
私は床に足がつかず、ぶらり、ぶらり。
照明が変わり、ガイドの声が聞こえてくる。
■BGM流し切り:「星の記憶」(https://dova-s.jp/bgm/play19173.html)
(ガイド)「西の空をご覧ください。太陽がゆっくりと沈んでいきます。
辺りは、すっかり暗くなって空に星が見えてきました。時刻は今晩の9時頃になっています」
暗闇が、室内を覆っていく。
星がひとつ、またひとつと映し出されていく。
そこに、星座のイラストが重ねられる。
〇『夏の大三角』
(ガイド)「東の空の高いところで輝く星を見つけます。これは『こと座』のベガです。
ベガから右下に下がったところに、一つの明るい星があります。
明るい星は『わし座』のアルタイルです。
この二つの星の間には、『天の川』が流れています。
夏の『天の川』は、ほかの季節よりも明るく、はっきりと見えます。
月のない晩の深夜、空気のきれいなところで見上げてみてください。
南から北に流れる『天の川』が見えてきます。
ベガとアルタイルの左側には、『天の川』の上を、翼で橋渡しするように『はくちょう座』があります。
シッポの星デネブと、ベガとアルタイルを結ぶ三角を『夏の大三角』とよんでいます」
(ガイド)「南の空をご覧ください。南の空の低いところには『さそり座』―赤く光っているサソリの心臓、アンタレス。
『さそり座』の東側には、『いて座』。そのまま見上げていくと『へびつかい座』。
天頂(てんちょう)のあたりに『ヘルクレス座』があります。」
私は、まん丸の目で見上げながら、頭を右へ、左へ。
神秘的な名前をつけられた星たちに、魅入られていく。
〇『ペルセウス座流星群』
(ガイド)「ペルセウス座流星群は、毎年お盆の時期に現れます。
明るい流星が多く、肉眼でも観測しやすい流星群です。
北東のペルセウス座付近から、美しい放射状に広がる形で現れます。」
星が流れはじめる。
まるで星が自分に向かって飛んでくるように感じ、思わず、「怖い」と目を手で覆う。
父が笑って「怖くないよ」と言う。
それでも、目を開けられない。
「もうすぐ終わるよ」
投影が終わる。
黒くて不思議な機械が、何事もなかったかのように座っている。
楽しませてくれたその機械にサヨナラを告げ、外に出る。
暗闇との差で目が眩しい。夏の日差しが肌にささる。
プラネタリウムの隣、大きな木の下にあるお店で、アイスを買ってもらい、食べる。
夜になると、父が、ベランダに天体望遠鏡を出す。
あの空間にいた時ほどの星はないが、それでも、「夏の大三角」など、明るい星は見つけることができる。
「月がデコボコだ」
「土星は本当に輪っかがついているんだ」
「あれが、さそり座かな?」
遠い神秘の世界が、身近に思えるひととき。
父がつぶやく。
「僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸(さいわい)のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」(宮沢賢治:銀河鉄道の夜より)
ある年の夏休み、長野県の山奥に泊まりに行った。
夜になって外に出てみる。
はじめてみる満天の星空。
ところ狭しと星が瞬いている。
天の川も、はっきり見える。
「これが、本物の星空……」
綺麗だと思う反面、私はまた怖くなった。
あの時見た、迫ってくる流れ星のようだ。
見られているようで恥ずかしかった。自分が小さな存在に思えた。
走って室内に戻る。
どうしたらいいんだろう。
迷い、立ち止まった時に読みかえす「よだかの星」
答えはでない。
大人になり、「プラネタリウム」に行く機会はすっかり減ってしまったが、
昔、家族で通っていた「投影機」が新しく変わったと聞いた。
父は、歳を重ねて、背中が丸くなり、これまでのような意欲がなくなっていた。
投影をしながら、楽器を演奏するというイベントがあったので、誘って一緒に行ってみた。
黒い投影機は、赤く丸い投影機に変わっていた。
引退した投影機は、飾られていた。
「久しぶりだね。」
心の中で声をかける。
新しくなっても懐かしい空間だ。
チェロの演奏が始まる。
落ち着いて暖かな音で、体が満たされていく。
「セロ弾きのゴーシュだな……」
帰り道、父が「星めぐりの歌」をかすれた声で口ずさむ。
あかいめだまの さそり
ひろげた鷲の つばさ
あをいめだまの 小いぬ、
ひかりのへびの とぐろ。
オリオンは高く うたひ
つゆとしもとを おとす、
アンドロメダの くもは
さかなのくちの かたち。
大ぐまのあしを きたに
五つのばした ところ。
小熊のひたいの うへは
そらのめぐりの めあて。
(宮沢賢治:星めぐりの歌より)
「メロディーがあるんだね。そうだ。星に願いごとをしてみる?」
「……”よだか”は、どうした?」
「よだか?……太陽や星に「連れて行ってほしい」と頼むけど、かなえてもらえなくて悲しみのまま星になった?」
「『ただこころもちはやすらかに、その血のついた大きなくちばしは、横にまがっては居ましたが、たしかに少しわらって居りました。』」(宮沢賢治:よだかの星より)
「よだかは……、願いを、自分の力で叶えた?」
父は、肯定も否定もせず、穏やかな顔で星空を見ていた。
私も、黙って星空を見つめる。
いまはもう、天体望遠鏡もない。
晴れている晩には、夜空を見上げ、ひとり星座を探す。
幼いころ感じた怖さは、もう、ない。
「お父さん、よだかの星には会えましたか?」
今日も私は、星をめぐる旅をする。